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10:聖女、乗り込んで来る。

「行ってらっしゃいませ、スペンサー殿下」


「ああ。できるだけ早く戻って来るよ」


 殿下に行ってらっしゃいのキスをして、お見送りします。

 今日はどなたかお客さんがいらっしゃるそうです。殿下は立派におめかしをしていらっしゃいます。私も行きましょうかと提案したのですが、「その必要はない」のだとか。

 なら、私は大人しく待っています。それが殿下の望みであるならば。


「それにしてもお客さんって誰でしょう。大抵の方は国王陛下に会いにいらっしゃるのですが、わざわざ殿下にというのは……」


 謎ですね。どんなお相手でしょう。

 殿下の友人? しかし学園にいた頃は友人らしき方はあまり見受けられませんでしたが。

 でも案外、人の見ていないところでこっそり交流していたりはするものです。もしかして殿下の愛する別の女性かも――。


「まさか、そんなことはありませんよね。だって殿下はヤンデレ。ヤンデレは浮気をしないって、オネルドが……オネルドが、言ってましたもんね」


 オネルド、か。もはや懐かしく思えてしまうその名前に、私は唇を噛み締めました。

 二度と会うことのないであろう彼。最後に一言だけでも感謝を伝えたかったと思い、しかしそれを断念します。

 私が殿下以外の男性と喋ることは禁止。私は殿下だけのものです。


 そんな風に考えていた、その時でした。


「じゃじゃーん、クズ令嬢のお掃除人参上ー!」


 そんなやけに明るい声が聞こえて来たのは。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ピンクブロンドのツインテールを揺らし、にっこりと微笑む少女。

 彼女には見覚えがありました。そう、王子争いをしていらっしゃった一人、聖女ダコタ様です。


 ダコタ様はいつもの軽そうなワンピース姿で現れ、躊躇なく部屋に入り込んで来ました。

 彼女がどこからやって来たのか。それは普通の出入り口――ドアではなく、外から壁を蹴破って穴を開け、入って来たようなのです。

 なんと恐ろしいことなのでしょう。こんなにも小柄な少女が、ですよ?


「…………。ええと、こんにちは。わざわざ私の部屋まで、いかがなさいましたか? ただ今私はスペンサー殿下がお帰りになるのを待っているところなのですけれども」


「へぇ。王子様に取り入って、嫌な女だねーほんとに」


 ダコタ様は、まるで虫を見るような目で私を見つめています。

 そりゃあそうですよね。私のようなクズに王子妃の座を奪われたんですものね。


「申し訳……ありません」


 謝ってはみました。が、それだけでどうにかなるとはとても思えません。

 わざわざ、城の壁を蹴破ってまでダコタ様がやっていらしたのです。当然ながらタダで済むとは思っていませんでした。


 しかし私は意外にも動揺していませんでした。

 なるようになってしまえ、という諦めの念を抱いていたのです。ここでダコタ様に殺されてもいい。どうせ、クズにできることなど何もありはしません。


「謝罪はいらないからね? ――クズはクズらしく、ゴミ箱に放り込んであげるから」


 その可愛らしい顔には似合わぬ悪意をたっぷり含んだ言葉を吐き、まっすぐこちらへ歩いていらっしゃいます。

 ゴミ箱とはどこでしょうか。私を殺してどこかに埋める気でしょうか。それとも奴隷商人にでも売り渡すのでしょうか。


 想像しただけで身震いしてしまいます。さすがに、そんなことにはなりたくありませんでした。


「……。私にそんなことをなさったら、殿下が黙っていませんよ」


「わかってる。でも、ダコタたちがあんたを殺したっていう証拠はどこにも残らないようにするから大丈夫。それにあんたを殺す気もないよ。クズ令嬢がゴミ箱の中でどんな思いをして過ごすのか、ちょこっと興味あるから」


「ふっ、これじゃあ聖女じゃなくて悪魔だね」なんて笑いながら、ダコタ様は歩みを止めません。

 私はこの時に悟りました。殿下に会いに来た客人、それは彼女が手配した者だったのでしょう。そしてその間に私を連れ去る――策士ですね。


 殿下は戻って来ません。城の壁を蹴破るような力のある方に、私が勝てるとも思いません。

 私はまたもや手も足も出ない。どうしようもないのです。


「……なんで私はこんなことばかりなのですか?」誰にともなく問いかけました。「私が何をしたというのです」


「そりゃ、王子様を奪ったからでしょ。王子様はダコタのものなのに!」


 王子様? 殿下ならくれてやります。

 私を選んだのは、殿下の方でしょう。私は殿下のもの。殿下の人形で、人形を買ったのは殿下です。


 しかしその誤解を解きほぐす意味ももはやありませんね。

 この状況に驚きがないわけではないです。でもきっとどこへ連れて行かれたとしても、殿下が連れ戻しに来るでしょう。


「……殿下のヤンデレ力、舐めないでくださいよ?」


「ヤンデレ? それ、何のこと?」


「病的なまでの愛情ということらしいです。殿下は、私を溺愛してらっしゃいますから」


 ダコタ様がわかりやすく、不満げに唇を歪めました。

 当然ですよね。自分が愛している人が、こんな女に惚れていると聞かされたら。


「――ダコタはあんたを絶対許さ」

「ダスティィィィィィィィィ――!!!」


 ダコタ様が何やら聖なる魔法を展開させて、私を縛ろうとした瞬間のことでした。

 獣のような咆哮が響き、ダコタ様の小柄な体が吹っ飛んでいたのです。


 それを成したのは金髪の美少年――いつの間にかお戻りになられたスペンサー殿下でした。

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