ターニングポイント 2
宏一郎の父親は建設会社を経営していた。彼が入札に入ると周囲が恐れた、それくらい物件を自分のものにしてしまった。羽振りがよかった…少なくともよかった時期があった。
それがどういうわけか倒産してしまった。どうしてなのか、幼い宏一郎にはわかる筈もなく、突然迎えに来た車の中で少し旅行に出るから…という父の話を聞いても何を疑うこともなく、色々回るから…という言葉に色めき立ったものだった。
はやには10年先が見えていたから、そしてその10年先が楽観的なものだったから、特に心配はしていなかった。これから宏一郎の家族は愛情深い生活を送ることになるのよ、そこで宏一郎は、人生で必要なものは何かを知ることになるはずよ。
たとえ、宏一郎の父が死に場所を探していたとしても、そうはならないんだから、今は今で楽しめばいいのよ!
そうはいっても当事者はそう思えるわけもない。
宏一郎は今でも時に思い出す、あのときは色々なところに行ったな。
那智の滝にもいったし、甲子園にも行ったな。甲子園では巨人阪神戦が雨のなか行われていて、透明なカッパを着てライトの外野席に親子が肩を寄せあって見ていた。その姿はテレビにも映ったかもしれない、
その時、まだ現役だった王選手は、ライトラッキーゾーンにホームランを打ってくれた。王選手の打った玉は私たちの方に向かって一直線に飛んでいるように見えた。ライト側の雨の外野席には私たち以外観客はいなかった。
母もよく言っていた、これから貧乏するからね、当分どこへもいけないから、今の内に行っておくの、という母の言葉はその通りだったが、父はそうでもなく、これからの人生を悲観して、死に場所を探していたようだ。
宏一郎は今でも覚えている、あのときのホームランのことを。
人はちょっとしたことがきっかけでどっちにでもころぶ、あのホームランは間違いなく、宏一郎一家に生きる希望を与えたものだ。
それからは話はトントン拍子に進んで、父の再就職先が見つかるに及んで、もはや放浪生活を支えていた高級車も手放し、私たちは親戚のいる大阪から新幹線で西へ向かった。
とはいえ、夜逃げという事態は変わりようもなく、ただ変わったのは、宏一郎の両親の覚悟であったと思う。
はやは安心していた、
もう大丈夫。
宏一郎たちは、その後、岡山の造船の町で暮らすようになるが、そこでやくざものの借金取りと対峙するに及んで、親戚縁者に迷惑をかけた出来事にようやくけじめがついたようである。
宏一郎一家の住んだ長屋には共同風呂があって、当時でも珍しい五右衛門風呂だった。學校で使う縄跳びも買えないような貧乏な生活だったが、段ボールを本棚にしたりして、家族は猫のように体を寄せあって生活した。色々な噂をする人もあったが、そうではない優しい人々に恵まれたのは、そういうことを味わうための人生を正しく歩んでいるかのようであった。
こういう生活になっても宏一郎はよく遊んだ。
はやは思ったものだ、この子は本当によく遊ぶのね。
こうして、宏一郎は岡山の田舎町で伸び伸び育ったようだ、造船会社に就職した父は頑張ってもう一度家を建てるまでになった、そうしてまた商売を始めるわけだが…その話は今度にしよう。
ただ、宏一郎一家が放浪していたとき、紀伊半島の那智の滝にいったときに実は熊野の神様が飛びっきりの伴侶との縁を取り持ってくださったことをはやは聞いていた。前世からの縁だ、というような話だった。
そして、はやが宏一郎の家に来てきっちり10年後、宏一郎は熊野から来た巫女と出会うことになるのである。
次回、ターニングポイント 3 に続きます。(©️2022 keizo kawahara 眷属物語)