僕を合宿に連れてって①
鳴城駅から下りの電車で1時間、到着した泉間駅でローカル線に乗り換える。さらに1時間ほど電車に揺られ、降りた駅で今度はバスに乗り込んだ。
冷房の効いた車内は、さほど混んではいない。
荷物を棚に乗せた氷魚といさなは後部座席に並んで腰かける。
バスがのんびりと動き出す。
窓の外に見えるのは、氷魚が知らない景色だ。
隣のいさなはチョコ菓子を取り出し、嬉しそうに頬張っている。
「氷魚くんも、どう?」
礼を言って一つ貰い、口に放り込む。
氷魚は朝からどうにもいさなを直視できない。
若草色のワンピースを着ているいさなが、いかにも良家のお嬢様といった感じだからだろうか。かわいいのに変わりはないが、いつもと違って落ち着かないのだ。
それにしても、あっという間だった。
いさなから勉強合宿のお誘いを受けて一週間、あれよあれよという間にここまで来てしまった。
両親は、意外なほどあっさりと氷魚が合宿に行くことを許可してくれた。説得? の際に大人の引率がいるといさなが口にしたことも大きかったのだと思う。
氷魚は最初、引率と聞いて道隆のことかと思った。
はずれだった。
あとで引率者は道隆さんですかと聞いたら、いさなは、
「引率? 凍月だよ。千年以上生きてるから、大人でしょ」と言ったのだ。
いいのかなと思ったが、楽しそうないさなの顔を見たら何も言えなくなった。
実質いさなとの2人旅になるが、泊まる場所には凍月の知り合いもいるし、問題はないだろう。
それはそうとして――
――いさなさん、おれのこと、たぶん異性として見てないよな。
と、氷魚は内心嘆息する。
胸中複雑ではあるが、いさなとの勉強合宿は嬉しいに決まっているし、凍月の知り合いに会うのも怖くはあるが楽しみでもある。
「今回は氷魚くんに付き合ってもらって助かったよ」
「おれは何もしてませんけど」
泊まるところはもちろん、電車の切符の手配などもすべていさなが行った。
氷魚がしたことといえば、自分の分の交通費を捻出したくらいだ。いさなはお詫びも兼ねているからわたしが払うと言い張ったのだが、さすがにそれは丁重にお断りした。
「いてくれるだけで嬉しいの。わたしだけだったら絶対緊張してたからね」
空になったお菓子の袋をバッグにしまい、いさなは笑う。
「緊張って、面識があるんじゃないんですか?」
「携帯でのやり取りはあるけど、直接会ったことはないの。凍月はどんなひとか詳しく教えてくれないし」
「あやかし、なんですよね」
「有名だと思うよ。小説の題名にも使われてるね」
そう言われても、小説をあまり読まない氷魚にはぴんと来ない。あやかしの名を題名に使っている小説って、なんだろうか。
「小僧、せいぜい取って喰われないように気をつけるこったな」
と、いさなの影の中から凍月の声が聞こえてくる。
「え……」
あやかしが言うとシャレにならない。氷魚は、恐ろしい形相の鬼みたいな怪物に頭からバリバリとかじられる自分を想像してしまう。
「凍月、脅かさないの」
いさながたしなめ、凍月は低く笑う。
氷魚はにわかに不安になってきた。
さすがに食べられはしないだろうが、一目見ただけで気絶するような恐ろしいあやかしだったらどうしよう。
いさなには今までさんざんみっともない姿を見られてきたが、これ以上醜態をさらすのは避けたい。
かっこういい姿を見せるのは無理だとしても、必要以上に怖がらないように努力をしようと氷魚は心に誓う。
恵淵前という名のバス停で、氷魚といさなはバスを降りた。
生命力にあふれる木々が生い茂り、耳をすませばセミの鳴き声に交じって水の流れる音が聞こえてくる。その名の通り、近くには恵淵という淵があるらしい。
東北屈指の都市である泉間市内とは思えない、牧歌的な場所だった。
ふたりは並んで歩きだす。
「泉間にもこういう場所があるんですね」
「近くにはキャンプ場もあるみたいだよ」
携帯端末で地図を見ながらいさなが言う。
「キャンプ場……」
ふと、熱の記憶が頭をよぎった。
「どうかした?」
「いえ、なんでもないです」
あえて口に出すことでもない。氷魚は曖昧に笑う。だが――
「もしかして、氷魚くんが熱を出したキャンプ場って、この辺のだった?」
いさなはすぐに気づいたようだった。
「……それが、よく覚えてないんです。泉間だった気はしますが。あ、でも、別に嫌な記憶じゃないんで、大丈夫です」
「死にかけたのに?」
「キャンプ自体は楽しかったはずだし、それに――」
「それに?」
河原、膝から流れる血、着物を着た女のひと。
――どうした少年、そんなところにうずくまって。
うん? 転んで膝を擦りむいたのか。
だったらこれを塗るといい。遠野に行ったときに、博打で河童から巻き上げた妙薬さ。
あれは楽しかったな。尻子玉を抜く妖怪の尻の毛までむしってやったのが傑作だった。
と、すまぬ。子どもに聞かせるにはいささか品のない話だったな。
女のひとは、傷の手当てをしてくれた。そして、それから――
――なぜ泣く。まだ傷が痛むのか。
なに? 家族がどこにいるかわからない? ううむ。そんなに泣くな。子どもの涙は苦手なのだ。
わかった。わしがおぬしの家族の元に連れていってやる。幼子にわしの妖気は毒だが、仕方あるまい。まあ、死にはせんだろ。
やさしい声。お年寄りっぽい話し方だけど、若い女性だった。
淡い桃の匂いを嗅いだ気がする。
「――不思議なひとに出会ったんです」