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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第六章 穏やかな塵
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穏やかな塵⑤

「――そして、わたしは影無かげなしになったの」

 語り終えたいさなは、細い息を吐き出した。

 隣に座っている氷魚ひおが、わずかに身じろぎする気配があった。

「聞いてくれてありがとう。わたしの話は、これでおしまい」

 自分のつま先を見つめながら、いさなは言った。

 氷魚がどんな顔をしているか確かめたいけど、どうしてもできない。

 自分が、氷魚の重荷になる話をしてしまったという自覚はあった。

 途中、ここまで話さなくてもいいだろうと何度か思った。だが、どうしてもやめられなかった。

 隣で静かに耳を傾けてくれる氷魚に話し始めたら、止まらなくなったのだ。

 氷魚にしてみれば、いい迷惑だったに違いない。

 自分はいつもそうだ。凍月いてづきのことを告白した時だって、氷魚の厚意に甘えっぱなしだった。

「――大変、でしたね」

 何を言えばいいのか、訊けばいいのか、すぐにはわからなかったのだと思う。

 考えに考えた末に、といった感じで氷魚はそう言った。

「その、月並みで申し訳ないんですが、でも、他に言いようがなくて」

 いさなは「そんなことない」と首を横に振る。

 大変だった。

 誰かに何かを言われるのならば、それ以上の言葉はないと思う。

 そして、氷魚のいたわるような声の響きが、今はなによりも嬉しかった。

春夜しゅんやさんは、その後は?」

「物音を聞いて駆けつけた父さんたちに取り押さえられて、座敷牢に入れられたよ」

 さっきも、いまも、話さなくてもいいことまで話してしまっている。本当は、ここまで話すつもりではなかったのに。

「座敷牢……」

 氷魚が息を呑む。当然だ。座敷牢なんて時代錯誤が過ぎる。

「古い家だからね。――本当は警察に引き渡すべきなんだろうけど、大人たちは、影無殺しなんていう前代未聞の大罪を犯した春夜を、明らかに持て余してた」

 いさなは嘆息する。

「大人たちが処分を決めあぐねているうちに、春夜は牢から姿を消した。同時に、雅乃みやのもいなくなった」

「それって……」

「雅乃が手引きしたんだろうね。雅乃も、春夜が好きだったんだと思う」

「雅乃さんも――?」

 自分が何かひどい失言をした気がするが、それが何なのかわからないまま、いさなは続ける。

「あとはもう、それっきり。わたしは春夜に会ってない」

「そうだったんですね……」

「遅くなっちゃったね。そろそろ帰ろうか」

 立ち上がったいさなは、思い切って氷魚の顔を正面から見つめた。

 氷魚は、まっすぐに見返してきた。

「いさなさん」

 ある種の覚悟を感じさせる声だった。

「――どうしたの?」

 もうこれ以上はついていけない。部活はやめる。一切の関わりを断ちたい。

 ついにそう言われるのかと思った。

 そうなっても仕方がない。

 自分は、普通の高校生である氷魚をこちら側に引き込みすぎた。これ以上、彼の日常を脅かしてはいけない。

 氷魚が断絶を申し渡すのなら、潔く身を引こう。

 しかし、そうはならなかった。

 穏やかに微笑んで、氷魚はこう言った。

「これからも、一緒にいさせてください」

 それからちょっと照れたように、「何度も同じことを言って、しつこいと思われるかもしれませんが」と付け加える。

「――そんなこと」

 不覚にも目頭が熱くなった。

 人前で涙を見せることは絶えて久しい。

 年下の、しかも男の子の前で泣くなんて、絶対にあってはならないことだった。

「そんなこと、ない」

 絞り出した声は、どうにか震えていなかったと思う。

「これからも、よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

 氷魚の背後に広がる夜空に、星が流れるのが見えた。

 いさなは何も願わなかった。

 もう、この夜のいさなに願い事はなかった。


 帰路の途中で氷魚と別れ、夜道を歩きながらいさなは思う。

 本当に、話しすぎた。

 それでもいくつか氷魚には言えなかったことがある。

 自分の春夜に対する想いがまず一つ。

 そして、自分が影無になった直後、春夜が捕まるまでと、その後の出来事――


 

 よろめきながら立ち上がった春夜は、傍らに落ちていた小太刀を拾い上げた。

「返せよ、いさな。それはおれのものだ」

 春夜は憎々しげにいさなをにらみつける。今までに見たことがない形相だった。

 好きになった人のそんな顔を見るのはつらい。たとえ恋心が霧散していたとしても。

「ちがう」いさなは言った。

「凍月はあなたのものじゃない。誰のものでもない」

 春夜は、殺意を隠しもせずに斬りかかってきた。

 腰を落としたいさなは刀を呼び出す。凍月を封じた霊刀だ。誰に習ったわけでもないが、呼び出せて当然だった。

 春夜の斬撃が迫る。

 昔は目で追うことすら困難な斬撃だった。

 けれども今はあまりに遅すぎる。

 抜き打ちで一閃、小太刀を弾き飛ばす。春夜の手を離れた小太刀は天井に突き刺さった。

 12歳のまだ小さな身体に刀は大きすぎたが、まるで昔からずっと使っていたもののように、柄は不思議と手に馴染んだ。

 間髪入れず、いさなはぴたりと刃を春夜の首筋に当てる。

「なに――?」

 春夜が驚愕に目を見開く。

「いさな、おまえ、いつの間にこんな……」

「負けるわけがない」

「なんだと?」

彰也あきやと一緒にずっと訓練していたわたしが、春夜なんかに負けるわけがない。眠っていなければ、彰也だってやられなかった。春夜は卑怯者だ。正面から戦ったら負けるから、寝込みを襲うことしかできなかったんだ」

「――っ!」

 春夜が何か口にしようとする。魔術を使おうとしているのかもしれない。

 どうする。斬るか。

 ほんの少し力をこめて刃を滑らせれば、春夜の首は畳の上に転がるだろう。

 でも――

 いさなが迷ったその時だった。

 廊下から足音がした。ほどなくして、大人たちが部屋になだれ込んできた。

 部屋の惨状を見て、一同は一瞬言葉を失った。

「いさな、春夜、これはどういうことだ」

 最初に落ち着きを取り戻したいさなの父が言った。

「春夜が彰也を殺めました」

 納刀したいさなは簡潔に述べる。

「次に春夜は新たな影無となったわたしを斬ろうとしたので、迎え撃ったところです」

 大人たちがどよめくが、父が手を挙げて制すると静かになった。

「本当か、春夜」

 春夜は、観念したように力のない笑みを浮かべた。

「本当だよ」

「なぜだ。なぜ彰也を殺した」

「なぜって、自分のものを取り返そうとするのは当然じゃないか。そのためには弟だって殺しもするさ」

「おまえ……」

「けど、もういい。興味をなくした」

 投げやりに言って、春夜は虚脱したように肩を落とした。

 大人たちに連れられて、春夜は部屋から出ていく。

「いさな、おまえが影無になったことについては、後程な」

 父も出ていき、部屋にはいさなと道隆みちたかと、彰也だけが残った。

「いさな」と、道隆がいさなの肩に手を置く。

「おにいちゃん、彰也が死んじゃったよ」

「そうだね」

「わたしは、これからどうしたらいいのかな」

「考えるのはあとでいい。つらいだろうけど、今は彰也の行く末を見届けてあげて」

「見届ける?」

 道隆はうなずくと、それ以上何も言わずに部屋から出ていった。

 いさなは彰也に目を向けた。

 座り込む。

 どれだけ苦しかっただろう。どれだけ無念だっただろう。

 しかしいさなの予想に反して、彰也の死に顔は驚くほど穏やかだった。死してなお、いさなを不安がらせまいとしているようだった。

 いかにも彰也らしいと思う。

 ふと、傍らに気配を感じた。

 凍月だった。

 さきほどよりも小さくなっているが、それでも座り込んだいさなと同じくらいの大きさだ。

「凍月、さま」

「さまはいらねえよ。堅苦しい口調も無しだ」

「なぜ、わたしなの?」

 凍月はいさなの問いには答えず、彰也を青い目でじっと見つめていた。

 凍月が黙っていたから、いさなも黙っていた。

 少しして、彰也の遺体に変化が起こった。

 最初は目の錯覚かと思った。

 いさなは慌てて掛け布団をめくった。

 目にしているのは、紛れもない現実だった。


 彰也の遺体が、音もなく(ちり)へと変わっていく。静かに、さらさらと。


 やがて彰也は完全に塵となった。

 そうして、かつて彰也だった塵はふわりと浮かび上がり、凍月の身体に吸い込まれるように消えていった。

 布団や畳に着いていたはずの血も、きれいに消えていた。

「影無は死ぬと塵になる。塵になって、俺の身体に取り込まれる。あとには骨の一本、血の一滴残らない」

 凍月が淡々と言った。

「あなたが食べたの?」

「そういうことになるな」

「わたしが死んだら、わたしもあなたに食べられるの?」

「ああ、そうだ。おまえがしわくちゃのまずそうなばばあになっていたとしても、俺が喰ってやるよ」

 塚から出てきた彰也の顔が青ざめていた理由が、ようやくわかった。おじいさまが塵になるさまを見届けたからだ。

 いずれ自分もそうなると思えば、平静を保つのは12歳の少年には難しいだろう。

 だがいさなは、意外と動揺していない自分に気づいた。

 灰と骨になるのも、塵になるのもさほど大差はない。

 そう思ったからかもしれないし、あるいは最後に見た彰也の死に顔のおかげかもしれない。

 苦しかったのも、痛かったのも、間違いはないと思う。

 けれども、彰也は死んでもなお、穏やかだった。穏やかであろうとした。

「凍月」

「なんだ」

「わたしは、なれるかな。彰也みたいな、穏やかな塵に」

「ばか。今から死んだときの心配をしてどうする」

 ぶっきらぼうだが、凍月の声にはやさしさが感じられた。

 いさなはそっと手を伸ばし、凍月の背を撫でた。怒られるかとも思ったが、凍月は何も言わなかった。

 凍月はものすごく凶暴な妖怪で、その残虐さゆえに月さえも凍りつくと聞かされて育った。

 出会ったばかりで決めつけるのは早計だ。

 だけどその伝承は、すべてが本当ではないと思う。

 だって凍月はこんなにも柔らかく、温かいのだから。

「凍月」

「なんだ」

 いさなはたまらず凍月に抱きついて、横腹に顔をうずめた。

 そして声を押し殺し、いさなは泣いた。

 凍月はやっぱり、何も言わなかった。



 家に帰り着いたいさなは浴衣を脱いで入浴を済ませ、早々に床に就いた。

 星祭りの夜だからか、それとも氷魚に昔の話をしたからなのかはわからない。

 ともかくその晩、いさなは夢を見た。

 夢だとすぐに気づいたのは、大きくなった彰也が目の前に立っていたからだ。

 彰也、といさなが呼びかけると、彰也は笑った。

 懐かしさで胸がいっぱいになる。小さい頃と変わらない、彰也の笑顔だった。

「彰也、わたしは、あなたの分までちゃんとやれているかな」

「僕の分なんて考えなくていいよ。いさなはただ、自分が思うままに生きればいいんだ」

 彰也の声は、小さかった彰也が声変わりしたらきっとこうなるだろうという声だった。

 胸にしみるような、やさしい声。

「わたしが思うまま?」

「どうか、幸せになって」



 目が覚めた。

「凍月」

「なんだ」

 呼びかけると、すぐに返答があった。

「夢で、彰也に会ったよ」

「そうか」

「幸せになってって言われた」

「あいつらしいな」

 いさなはベッドを抜け出して、カーテンを開けた。外の光が差し込んでくる。

 今日も暑くなりそうだ。

 姿を現した凍月が、いさなの肩に跳び乗る。

「今日はどうすんだ。まだ学校の課題が残ってんだろ。真面目にやらねえと、ダブって小僧と同じクラスになっちまうぞ」

 そうだった。補修は終わったが、どっさり出された課題が山積みなのだ。

「やるよ、やりますよ」

 でも、その前に朝食だ。

 冷蔵庫を開けると、昨晩氷魚に貰ったサイリウムのブレスレットが目に入った。まだかすかに光っている。

 今日の予定が決まった。

 まずは朝食を食べる。その後は課題。

 そして、お昼になったら氷魚に電話をしよう。

 ブレスレットのお礼として、昼食をごちそうするのだ。

 いつものアンジェリカもいいが、和食がおいしい『白波しらなみ』も捨てがたい。カツカレーが名物の『グリーンウッド』も候補だ。


 ――ねえ、彰也。


 朝食の準備をしながら、いさなは思う。


 わたし、今でもけっこう幸せだよ。でも、あなたが望むならもっと幸せになってみせる。

 だから、まだ危なっかしいかもしれないけど、安心して見ててね。






 穏やかな塵 終

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。6章完結です。

 5章完結から6章を投稿するまでちょっと間が空いてしまったので、7章はできるだけ早く投稿できたらいいなあと思います。

 それでは、また。

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