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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第六章 穏やかな塵
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穏やかな塵④

 夕食のあと、順番にお風呂を済ませたわたしたちは、話もせずにそれぞれの部屋に引き上げた。わたしは自分の部屋、彰也あきやたちは泊まる時に使ういつもの客間に。

 わたしは、布団に入ってもなかなか寝付けなかった。普段はあっという間に眠れるんだけどね。さすがに気が高ぶっていたんだと思う。

 何度も何度も寝返りを打って、羊を数えたりもしたけど無駄で、ついにわたしは眠ることを断念した。

 わたしは、無性に彰也と話したくなった。

 枕元の時計で確認した時間は、確か11時を少し過ぎていたと思う。

 彰也が起きていたら話し相手になってもらう。寝ていたら、すっぱり諦める。

 そう決めて布団を抜け出したわたしは、寒さに震えながら彰也が使っている客間に向かったの。

 お屋敷は、どこもかしこも怖いくらいにしんと静まり返っていた。素足に廊下がひどく冷たかったな。

 彰也が寝ているはずの客間の前で足を止めたわたしは、おかしいなと思った。

 襖が、少しだけ開いていたんだ。几帳面な彰也にしては珍しかった。

 わたしは深く考えずに、静かに襖を開けた。

 暗い部屋の中央に布団が見えた。盛り上がっているから、彰也は寝ているんだろうと思った。

 最初に決めた通り、わたしは自分の部屋に戻ろうとした。

 でも、何か胸騒ぎがしたの。

 わたしは「彰也」と呼びかけた。返事はなかった。

 もう一度、今度は少し大きな声で名前を呼んだけど、やっぱり返事はなかった。

 わたしは手探りで、入り口の近くにあるスイッチで部屋の電気をつけた。


 ――どうしたの、いさな。眠れないの?


 身を起こした彰也が目をぱちぱちさせて、やさしい声でそんなことを言ってくれるのを期待した。

 でも、そうはならなかった。


 わたしは、信じられないものを見た。


 部屋の中央に敷かれた布団に、彰也が寝ている。

 それはぜんぜんおかしくない。

 でもね、そこから先がありえないの。


 彰也の喉は真一文字に切り裂かれていて、血がとめどなくあふれ出ていたんだ。


 そんなのぜったいに変でしょ。致命的に何かが間違ってる。

 わたしは間違いの元を見つけたくて、視線を彰也から外した。

 そして気付いた。

 部屋の隅に、身を隠すようにして春夜がかがみこんでいたんだ。血に濡れた小太刀を手に持って。


 限界だった。


 目で見る光景に、頭が追いつかなかった。

 へたりこんだわたしに、春夜は笑いかけた。悪戯がばれた時の顏みたいだったよ。

 立ち上がって、散歩でもするみたいな足取りで近寄ってきた彰也は、わたしを見下ろしてこう言った。

「いいところに来たね。いさな」

 どういうことって、わたしは思った。わけがわからなかったよ。

 春夜の手には血に濡れた小太刀があって、彰也は首から血を流してる。誰がどう見ても、やったのは春夜だった。それのどこがいいところなのか、教えてほしかった。

 でも、わたしは一言も喋れなかった。

「せっかくだから、俺が影無かげなしになるところを見ていってよ。――凍月いてづき、出てきてくれ」

 わたしが春夜の視線をたどると、彰也の身体――影から『何か』が這い出してくるのが見えた。

 最初は猫くらいの大きさだった『何か』は見る間に大きくなり、やがて大型犬くらいの大きさになった。


 禍々しさと神々しさが同居したような姿――わたしが初めて見る、凍月だった。


「なれなれしく俺の名を呼ぶな」

 重々しい、お腹に響く声だった。

 わたしは恐怖に震え上がった。

 わたしでもはっきりわかるくらいの妖気、そしてなにより、凍月はひどく怒っていた。

 春夜は、まるで動じてなかった。

「つれないことを言うなよ、凍月。彰也を選んだのは何かの間違いだよな。本当は俺を選ぶはずだったんだろ」

 春夜は、親しい友達にでも話しかけるみたいに、凍月に向かって言った。

 なにを言っているの、とわたしは思った。このひとは正気なのだろうか、とも。

 凍月はふんと鼻を鳴らして「そんなわけねえだろ、阿呆あほう」と吐き捨てるように言って、それからこう続けた。

「おまえみたいに魂が濁ったやつなんか、逆立ちしたって選ばねえよ。うぬぼれも大概にしろ、勘違い野郎」

「……言ってくれるじゃないか。だったら、次の影無はどうするんだよ。俺以外に誰かいるのか。いないだろう」って、春夜は苛立った声で言い返した。

 春夜のあんな声を聞くのは初めてだったな。

 自分を否定されたのが、よっぽどおもしろくなかったんだろうね。肯定しかされてこなかった人だから。

「いるさ。おまえの後ろにな」

 凍月は青い目をわたしに向けて、とんでもないことを言った。

「うそ」と、わたしの口が勝手に動いてた。

 わたしが影無なんてありえない。

 誰にもなんにも勝てないわたしが影無なんて、悪い冗談としか思えなかった。

「嘘じゃねえ。次の影無はおまえだ。いさな」

 凍月のその言葉を聞いた春夜は、首をねじってわたしを見たの。

 わたしはぞっとした。

 春夜は笑ってた。でも、目に感情がなかった。

「そうか」とわたしに向き直った春夜は小太刀を逆手に握りなおした。

「彰也だけで済むと思ったんだけどな」

 春夜はわたしを殺すつもりだとわかった。

 春夜はそういうことが躊躇なくできる人間なのだと、その時に気づいた。

 自分が影無になるために彰也を殺した。それでもなれなかったから、次はわたし。

 わたしは、ここで春夜に殺されるのかなと思った。あまりにも突然すぎて、実感がわかなかった。

 でも、結果的にわたしは死ななかった。

 小太刀を振ろうとした瞬間、わたしの目の前から春夜が消えたの。

 大きな音がして、見れば春夜が部屋の端っこでうつぶせに倒れていた。壁が壊れていて、すごい勢いで叩きつけられたんだってわかった。

ものが。二度も俺のねぐらを奪わせるかよ」

 春夜を吹き飛ばしたのは、凍月だったの。大きな腕でね。かっこよかったよ。

 凍月は、その青い目でわたしをまっすぐに見据えた。


「遠見塚いさな」

 

 そうして、厳かにわたしの名を呼んだんだ。

 いつの間にか、わたしの身体の震えは止まっていた。


「汝、我に己の影を差し出すか」


 凍月はわたしに問うた。

 影無になる覚悟はあるかと。

 覚悟なんてできてない。わたしには彰也みたいな立派な志もない。

 わたし以上に影無にふさわしい人なんて、きっといっぱいいる。春夜はありえないとしても、雅乃みやのとか、いっそ兄さんでもいい。

 とにかく、わたしじゃ無理だ。断ろう。

 そう思った。


 でも、でもね。


 首を横に振ろうとしたとき、彰也の笑顔が頭に浮かんだんだ。

 穏やかな笑みだった。

 大丈夫だと、言ってもらえた気がしたよ。

 彰也の笑みがわたしに力をくれた。

「はい」と、わたしはうなずいた。


 わたしの影を、あなたに捧げます。


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