星祭りの夜に④
「ええ、ありますけど」
なんだろう。また牛丼でも食べに行くのだろうか。夜店の食べ物でさすがにお腹がいっぱいだ。
北の大地のおいしい食べ物が惜しくなかったと言えば嘘になるが、いさなと食べた夜店の食べ物だって決して引けは取らないと思う。
「だったら、城址に付き合ってくれない?」
「城址ですか」
食事という氷魚の予想は外れた。意外な場所だ。
鎧武者の件は解決したが、何の用があるのか。城址のグラウンドで行われる盆踊り大会の開催は来週だ。
「そう、高台に行きたいの」
瞬間、氷魚の脳裏を時の腐肉食らいに襲われた記憶がかすめる。それから、春夜や真白のことも。
「――いいですよ」
一緒に蘇ってきた恐怖を無理矢理かき消して、氷魚は微笑んだ。
「ごめんね。怖い思いをした場所なのに」
「大丈夫です。怖いだけじゃなかったから」
嘘ではない。
当時は恐怖と混乱でどうにかなってしまいそうだったが、いざ落ち着いてみると、ド派手なアトラクションを体験したと思えなくもないのだ。
「といっても、姫咲さんのバイクの後ろに乗るのはもう勘弁ですが」
だから、今となってはそんな軽口も叩けた。
「――真白さんと2人乗りしたの?」
どういうわけか、いさなの声のトーンが下がった。
「え、ええ……。しました、けど」
「それってつまり、氷魚くんは真白さんの腰にしがみついていたってことだよね。密着して」
ひたりと、いさなは氷魚を見据えた。黒々としたきれいな目が、今日に限ってひどく恐ろしい。
周囲の温度が下がっていく気がする。氷魚の頬を冷や汗が伝う。
目を逸らしたいけど、それをしたらもっと怖いことが起こりそうで、氷魚はいさなから目が離せない。
「――そうなりますね、はい」
何もやましいことはないのだが、改めて確認されると少し恥ずかしい。
「そっか。今まであんまり詳細を考えてなかったけど、真白さんが城址から遠見塚の家まで移動するなら、バイクを使うよね。そして氷魚くんを乗せるなら、必然的に後部座席になる。でもって真白さんの運転なら、身体がぴったりくっつくのは避けられない」
探偵が殺人事件の犯人を追い詰める時のような口調で、いさなは言う。なぜか氷魚は自分が崖っぷちに立たされているような気分になった。
「あ、あの、いさなさん」
「ん?」
「怒ってますか?」
「怒ってないよ。なんで?」
嘘だ。絶対怒っている。
自分は何かいさなの気に障るようなことをした、もしくは言っただろうか。
しかし氷魚にはいさなが怒る理由に心当たりがない。なので、謝りようがなかった。
理由もわからずにとりあえず謝るのは不誠実だろう。だが、どうすれば――
氷魚がへどもどしていると、いさなはふっと毒気を抜かれたような顔になった。
「――ごめん。全部わたしの都合。氷魚くんは悪くない」
「あ、いえ、何か怒らせるようなことを言ったかしちゃったかなって、焦りました」
なんだかわからないが、窮地は脱したようだ。
「間違いなく、やらかしてるぜ」と影の中から凍月が面白そうに言う。
「え?」
「気にしないで。問題ないから」
言い切ると、いさなは勢い良く立ち上がった。
「よし、行こうか」
「え、ええ」
いさなの様子が変わったのは、真白と2人乗りをしたと軽口を叩いた辺りからだが、まさかそれが原因ではあるまい。
どこをどう見てもいさなが怒る理由にはつながらない。
結局、自分が何をやらかしたのか、氷魚にはさっぱり見当がつかないままだった。
夜の城址の高台は、当然のように誰もいなかった。
申し訳程度の照明が細い明かりを投げかける無人の広場は不気味なことこの上なく、このまま怪談の舞台として通用すると思う。
一応夜景は見えるが鳴城の夜景はさほど見どころがない。なので、地上を見るより夜空を見る方がいい。
怖い場所だが、空に近い分、星がよく見えるのは美点ではあった。
氷魚といさなは東屋のベンチに腰を落ち着ける。名も知らぬ虫の鳴き声が聞こえる。
浴衣姿のいさなとふたりきりだが、ムードもへったくれもあったものではない。氷魚の胸は違う意味でドキドキしていた。
明かりが届かない暗がりに、得体の知れないバケモノが潜んでいるのではないかという錯覚にとらわれる。暗闇から時の腐肉食らいみたいな怪物が飛び出してきたらどうしようと思う。
「そんなにビビる必要はねえぞ。なにもいやしねえからな」
氷魚の恐怖を見透かしたように、凍月が言った。忘れていたわけではないが、ふたりきりではなく凍月もいた。
「平気だとは思うんですが、どうしても……」
いさなと凍月が一緒でも、怖いものは怖い。
「ごめんね。話したいことがあるの。ここなら誰にも聞かれる心配がないから」
「聞かれたらまずい話なんですか?」
氷魚はあえて明るい声で尋ねる。
「まずいというより、氷魚くん以外には聞かせたくない話」
いさなの口ぶりでぴんと来た。
「――それって、春夜さんたちのことですか」
「よくわかったね」
「なんとなく、そんな気がしました」
「氷魚くんは、ここで春夜と雅乃に会ったんだよね」
ベンチの縁をそっと撫でて、いさなは言った。
「そうです。どこからともなく現れて、まるで魔法使いみたいでした」
「春夜は、一流の魔術師でもあるからね。まさか、氷魚くんの前に姿を現すとは思ってなかった」
「おれというより、時の腐肉食らいが目的だったみたいですよ。身体の一部を切り取ってましたし」
「……ホント、何考えてるかわかんないよ」
「いさなさんの親戚だって言ってましたけど」
「うん、わたしのいとこ。春夜、雅乃、彰也とわたしはすごく仲がよかったの」
「彰也さん、ですか」
初めて聞く名前だ。ひょっとして、道隆が言葉を濁していた4人目だろうか。
「彰也は春夜の弟で、わたしと同い年。そして」
いさなは、覚悟を決めたように息を吸い込む。
「先代の、影無だった子」
「先代……」
ならば今、その彰也はどうしているのだろうか。
「氷魚くんが春夜たちに会ったって聞いてから、ずっと話そうかどうか迷ってた。春夜たちが何者なのか知らないままだったら、氷魚くんはきっともやもやすると思ったから」
「確かに気になってはいました。でも、いさなさんが話したくないのなら、無理には――」
横目で伺ったいさなの横顔は、耐え難い痛みを耐えているように見えた。
うつむいたいさなはかぶりを振る。
普段は長い髪で見えないうなじの白さが、夜の闇の中で鮮やかだった。
「――もしかしたらそれは言い訳で、本当はわたしが話を聞いてほしいだけなのかもしれない。氷魚くんの負担になるのもお構いなしで」
いつだったか、屋名池がしたり顔で『女はとにかく話を聞いてほしいんだ。聞き上手な男はもてるぞ』と言っていた。
屋名池のは雑誌か何かの受け売りだと思うが、母が父によくとりとめのない話をしているのは事実だ。
父はいつもきちんと母の話を聞いている。たとえそれが、傍から見ればものすごくどうでもいい話だとしても。
話し終えた母は毎回すっきりした顔になっていた。
もてるかどうかはさておいて、話を聞くことでいくばくかの助けになれるのなら、厭う理由などあるはずがなかった。
だから、氷魚は微笑んでこう言った。
「聞かせてください、いさなさん」
いさなは、はっとしたように顔を上げた。
「――いつだって、氷魚くんは……」
それから再びうつむき、「ありがとう」と絞り出すように言う。
少しの間のあと、自分のつま先を見つめたまま、いさなは口を開いた。
「わたしたちは――」




