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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第六章 穏やかな塵
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夏休み前日②

 部室を出た氷魚ひおは、携帯端末を取り出した。いさなにメッセージを送ろうとして、思い直す。

 屋上へと続く階段に足を向けると、案の定、踊り場にいさながいた。

 壁に背を預け、すらりと長い足を伸ばして座っている。いさなにしては珍しく、熱心に携帯端末の画面を見つめていた。

「おれ、うっかり部室に行っちゃって、部長の彼女と鉢合わせしちゃいましたよ」

 氷魚が言うと、いさなは顏を上げた。

「かわいい子だったでしょ」

「そうですね。ちょっと怖かったけど」

「怖い?」

「なんか、部長を独占するぞオーラが出てたっていうか」

「わかる気がする」

 いさなは困ったように笑った。どういう感情を含んだ笑みなのか、氷魚にはわからなかった。

「普段はやさしいんだけどね。家の試作品のお菓子を持ってきてみんなに配ったりするし」

「試作品?」

香椎かしいさんの家って、駅前にある洋菓子屋なのよ」

「ひょっとして、『椎葉しいば』ですか?」

 何度か食べたことがある。素材にこだわっているらしく、値段は高めだが、味は全国展開している大型の菓子店を凌ぐと思う。

「そうそう。いいよね、ケーキ屋さん」

 そう言ったいさなの声には、羨望の色が混じっていた。

 好きな時にお菓子を食べられることに対する憧れ――ではないと思う。もっと何か、切実なものだ。

 遠い目をしていたいさなはふと相好を崩した。

「ケーキの話をしてたらお腹が空いた。氷魚くん、お昼は?」

「帰って家で食べるつもりだったので、持ってきてません。いさなさんは?」

「わたしも持ってきてない」

「じゃあ、久々にアンジェリカに行きませんか」

「わたしは構わないけど、おうちの方はいいの?」

「昨日の夜の残り物なので、大丈夫です」

 ちなみにカレーである。嫌いではないが、朝もカレーだったので、さすがに食傷気味だ。

「なら、行こっか」

 携帯端末をポケットにしまって、いさなは立ち上がった。

「はい、行きましょう」


「氷魚くんは、夏休みの予定はある?」

 食後の紅茶を一口飲んで、いさなは言った。

 さきほどケーキの話をしたからなのか、いさなの前にはチョコケーキとチーズケーキが並んでいる。

 パフェがおいしいアンジェリカだが、ケーキも引けを取らない。氷魚は自分が注文したいちごのショートケーキを一口かじり、

「――特にないです。さっさと学校の課題を終わらせようとは思ってますが」と答える。

 嘘だった。

 家族旅行に行くのが橘家の夏休みの恒例行事である。今年は3泊4日で北海道に行く予定だ。

 しかし、いさなの前でそれを言うのはなんだかはばかられた。遠見塚とおみづか家の事情の一端を垣間見た後となっては、尚更だ。

 嘘をつくのも心苦しいが、本当のことを言うよりまだマシだと思う。それともこれは単なる独りよがりだろうか。

「そう。じゃあ、鳴城なるしろ星祭りの日は空いてるかな」

「――星祭りがどうかしたんですか」

 星祭りの日程は8月6日と7日だ。旅行の予定日ともろに被っている。

「うん、その、調査をしようと思って。ほら、怪異探求部兼郷土部として、ね」

 ケーキを切るだけ切って、皿からフォークを動かさずにいさなは言った。

「星祭りに、怪異なんてありましたっけ」

 鳴城星祭りはいわゆる七夕のお祭りで、鳴城では旧暦に合わせて月遅れで8月に開催する。

 同時期に開催される泉間せんまの七夕と比べると小規模ではあるが、それでも結構賑わう。このアンジェリカがある畑村はたむら商店街に様々な夜店や笹飾りが立ち並ぶのだ。イベントスペースという名のしょぼい広場では、一昔前の映画を無料上映したりもする。

 生まれも育ちも鳴城という生粋の鳴城っ子である氷魚だが、星祭りに怪異があるなんて知らなかった。

「鳴城7不思議の1つ、聞いたことない? 『鳴城の星祭りには死者が混じる』っていうの」

 たぶん初耳だ。鳴城7不思議とはいうが、有名なのはごく一部である。全部を把握している人など、そうはいないと思う。

「それって、星祭りじゃなくて盆踊り大会にありそうな話ですね」

「だからこそ、かえって信憑性があると思わない? ――ほら、わたしたちって、部活を作ったはいいけど、活動らしい活動をしてないじゃない。鎧武者の依頼くらいでさ。だから、夏休みの活動として、身近な7不思議を調べてみたいの。探求部らしくね」

 一気に言い切ったいさなは、様子を窺うように氷魚を横目で見た。

「だめかな?」

 父はすでに休暇の申請をしているし、宿の予約や飛行機の切符は手配済みだ。氷魚の都合で家族旅行の日程をずらすわけにはいかない。

 正直に告白するなら今しかなかった。


 ――嘘をついてごめんなさい。さっきは言えなかったんですが、実は家族と旅行する予定があるんです。


 そう言おうとした。だが、どうしても口が開かない。

 自分は大馬鹿だ。こんなことなら最初に言うべきだった。これではいさなを余計に傷つけるだけだ。

 いさなは氷魚が言い出せなかった理由を察してはくれるだろうが、だからといってそれが免罪符になるわけではない。

 もしも、と氷魚は考える。

 もしも自分が断ったら、いさなはひとりで星祭りに行くのだろうか。

 星山ほしやまを誘うことはないと思う。もしかしたら誘いたいのかもしれないが、香椎がいる以上、無理だろう。

 ひとりでお祭りの雑踏の中を歩くいさなの姿を想像すると、胸が苦しくなった。

 いさなにしてみれば隣にいるのは別に氷魚である必要はないだろうし、本当は星山がいいのかもしれないが、自分が役に立てるのなら、そうしたい。

 だから、氷魚は決断した。

 嘘を本当にすればいい。北海道には行かない。

「――おれは、いいと思います」

「ほんと?」

 いさなは、ぱっと花が咲くような笑顔になった。

 そういえば、『花笑む』って夏の季語だと現国の先生が言っていたっけなと思う。今の季節のいさなにぴったりだ。氷魚の気持ちも明るくなる。

「はい。面白そうですし。ちょっと怖いけど」

 どちらも本音だった。

 怪異としては面白いかもしれないが、なにせ死者なのだ。お祭りの雑踏の中に、邦画のじっとりとしたホラーに出てくるようなお化けが混じっていたら絶対に怖い。

「怖くはないんじゃないかな」

「どうしてですか?」

「混じっている死者って、見る人がもう一度会いたいと思う人らしいよ」

「ということは、それって、見る人によって違うってことですよね」

「だろうね」

 ならば、話は変わってくる。

「だとすると、幽霊っていうより、幻影みたいなものなんでしょうか。見る人の見せたいものを見せる、とか」

「かもね。それも含めて、調べてみようよ。待ってるばかりじゃなくて、こっちからも行かなくちゃね」

「いさなさんは、会いたい人がいるんですか」

 夏休み開始の前日で、しかもいさなに誘われて浮かれていたのかもしれない。

 世間話の延長みたいな感覚で、あまりにも不用意な質問が氷魚の口からこぼれ出た。

 いさなは、紅茶のカップに手を伸ばした姿勢で固まった。

 そして、己の失言に気づいた氷魚がフォローの言葉を発するより早く、「いる」と簡潔に答えた。それから何事もなかったかのように紅茶を口に運び、一口飲む。

 氷魚は、「そう、ですか」としか言えなかった。

「氷魚くんは、いないの?」

 音もなく、いさなはティーカップをソーサーに置いた。紅茶の表面がわずかに揺らめいている。

「おれは、特には」

 亡くなった後でもまた会いたいと思うような人との別れを、氷魚は経験したことがない。

 それが高校一年生として普通なのか、それとも珍しいのか、氷魚には判断がつかなかった。

 まさかいさなに訊くわけにもいかない。

「そっか」といさなは笑みを浮かべる。ぎこちない笑みだった。

「ごめんね。変なことを訊いて」

「いえ、元はといえば、おれが先でしたし」

 どことなく気まずい空気が流れた。浮かれた気持ちは一瞬でしぼんでいた。

 こういうとき、凍月いてづきが軽口を叩いてくれればいいのにと思う。

 それなりに人がいる場所だからか、他に別な理由があるのか、いさなの影はうんともすんとも言わなかった。

「そうだ、いさなさん。調査以外で、夏休みに何か予定はあるんですか?」

 空気と話題を変えたくて、氷魚は明るい表情を意識して尋ねた。

「補修で、2週間くらいは学校だね。出席日数がまずかったの」

 いさなは苦笑して言う。

「だったら、お昼を一緒に食べませんか。おれも図書室で勉強するので。――その、いさなさんがよければ、ですけど」

 とっさの思いつきにしては名案だ。夏休みでも毎日いさなに会える。

「もちろん、いいよ。わたしも、ひとりでお昼を食べるのは寂しいから」

「なら、決まりですね」

 氷魚は再び浮ついた気持ちになった。我ながら単純だと思う。

「うん、決まりね」

 言って、いさなは微笑んだ。今度は自然な笑みだった。


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