死線の先⑤
「春夜と雅乃というのは、遠見塚さんのお知り合いですか」
話に入る隙を伺っていたのか、宗祇が口を開いた。
「はい。わたしのいとこです」
「そうだったのですね……」
「宗祇さんは、春夜たちがアキくんを連れ出したことを知らなかったようですが」
「ええ、上からはただ玉虫色が逃げ出した、としか。今の話を聞いて納得しました。鉄壁のセキュリティを誇るはずの研究所がたった2人と1体にしてやられたなんて、面子が丸つぶれだ。大っぴらにはできませんね」
言って、宗祇は細い息を吐いた。
「そっちの情報部も、今頃血眼になってふたりの行方を追ってるんじゃないかしら」
茉理が頬に手を当てて言う。
「『も』ということは、協会でも?」
「ええ。詳しくは言えないけど、色々やらかしているからね」
「なるほど。情報交換したいですね」
「それを決めるのは上の方ね。私からはなんとも」
「――そろそろ、いいかな」
しびれを切らしたのか、アキが口を挟んだ。茉理が微笑む。
「ああ、ごめんなさい。どうぞ」
「じゃあ、心残りの2つ目なんだけど」
アキはいさなの目を見つめる。昨日までの感情が読めない目ではない。穏やかで、凪いでいる。
見ていると、こちらの気持ちも落ち着いてくる。他の玉虫色の目とは大違いだ。
「うん、なに?」
「ぼくの分裂体の熊、いたよね。あれは危険だ。放っておいては帰れないよ」
「茉理さんが倒したんじゃないの?」
「いえ。私が倒した玉虫色の中に、熊はいなかったわ」
「ということは、手負いのまま今もどこかに?」
だとしたら、確かに放ってはおけない。
「心当たりはあるよ。地図を見せてもらえる?」
茉理が地図を差し出した。
「ここだね」
アキが指さしたのは、神社だった。
「付近一帯の霊力が集中してる。傷を治すにはもってこいだ」
「なるほどね。神社ってそういう場所に建てられていることが多いものね」
茉理がうなずく。
「場所がわかっているのなら、さっそくうちから人員を派遣しましょう。協会の方々は今も村内を巡回してくださっていますし」
宗祇が携帯端末を取り出した。
「待って。ぼくは、おねえさんにお願いしたいんだ」
いさなに目を向けて、アキは言った。
「わたしに?」
「それ、いさっちゃんじゃなきゃダメなの? 私や、他の許可証持ちでも倒すことは可能よ」
茉理が言うが、アキはいさなから目を離さなかった。
「ぼくは、おねえさんがいいんだ」
「ガキ、いさなの状態を知った上で言ってるのか」凍月が口を挟む。
「知ってるよ。ぼくを守るために重傷を負ったんだよね。魔術で治癒したけど、完治には至ってない。今も苦しそうだ」
「だったら、どうしていさなにこだわる」
「まず、おねえさんの刀が理由の1つ。とんでもない刀だよね。斬られたぼくの細胞があっさり消滅してたもの。あれなら、苦痛なく屠れると思ったんだ。でも、いちばん大きな理由は――」
いったん言葉を切って、アキは微笑む。
「おねえさんが、やさしいから。本当は、バケモノといえども斬るのはつらいんでしょう。憎くて戦っているわけじゃないものね。――そんなおねえさんだからこそ、頼みたい。あなたが一番悼んでくれるから」
アキにしてみれば、玉虫色の熊は自分の一部みたいなものだろう。人間でいうなら、血を分けたきょうだいのような感覚なのかもしれない。
そんな自分の分裂体だから、自分の納得のいくやり方で送ってほしい。
そう願うアキの気持ちは、わかる気がした。
「わかった」
いさなはアキの目を見つめ返して、言う。
「わたしが、斬る」
自分がやさしいかどうかはわからないし、ふさわしい役目かどうかもわからない。けれども、アキの気持ちには応えたいと思う。
「つらいことを頼んで、ごめんなさい。わがままを聞いてくれて、ありがとう」
言って、アキは頭を下げた。
「けどいさな、その身体じゃ」
「凍月、あなたいつからそんなに過保護になったの?」
いさなが言うと、凍月は振り向いていさなを見上げた。
「なんだと」
「わたしがやわじゃないのは、あなたが一番よく知っていると思ってたんだけどな」
いさなはあえて挑戦的に言って、不敵に笑ってみせた。
「こいつ――。言うじゃねえか。だったら、今回は俺が手を貸さなくても問題ねえな」
「うん。特等席で見物しててよ」
「後で泣いても知らんからな」
「花見川さん、いいのですか?」
ふたりが言い合いをしていると、宗祇が茉理に尋ねた。
「いいのよ。この子たちはこんな感じで」
茉理は気楽な調子で答える。
「いえ、そうではなく、遠見塚さんの状態では……」
宗祇が言いにくそうに口ごもる。傷だらけの小娘に任せるなんて論外だ。本当はそう言いたいのかもしれない。
「心配いらないわ。彼女、自分で言ったでしょ。やわじゃないって。私はいさっちゃんを信じるから」
「茉理さん……」
温かい茉理の気持ちが伝わってくる。
ボロボロの身体に、力が湧いてくる気がした。
「――わかりました。ならば、今回の件は遠見塚さんに一任します。遠見塚さん、よろしいですか」
しばし思案していた宗祇は、いさなに向き直って言った。いさなは大きくうなずく。
「はい。全力を尽くします。――ただ、出発する前に一つだけ」
「なんでしょうか」
いさなはお腹を押さえた。痛いわけではない。
「レーション、余ってませんか」
色々台無しだが仕方がない。昨日の夜から何も口にしていないのだから、大目に見てほしい。このままでは怪我よりも空腹で戦いどころではない。
「腹が減っては戦ができぬって言うけどよ、こいつの場合、それがマジなんだよな……」
凍月が、呆れたように呟いた。