死線の先③
「――アキくんが、玉虫色?」
いさなは、アキが口にした言葉の意味をすぐには理解できなかった。
これまでに交戦した玉虫色のバケモノたちと、目の前のアキが結びつかない。
「昨日までは人間の気配しかしなかったじゃねえか」
凍月が言う。
確かに、昨日までのアキは、こんな、いさなでもはっきりとわかるほどの異様な気配を発していたりはしなかった。
「ぼくは、人のまねが得意なんだ」
「彼は玉虫色の上位種なんですよ」
そう言ったのは宗祇だった。
「どのような細胞にも変化できる。人のふりをするなんて朝飯前です」
「うん。こんな風にね」
すっと、アキから異様な気配が消えた。にこにこと笑うアキは、もはやどこからどう見ても普通の子どもだった。
「こうなってしまうと、もはや我々では探知しようがない。あなたがたが見つけてくれなかったら、どうなっていたか」
宗祇は言って、安堵の息を吐く。
「――わかりました。それはそれとして、どうして保護対象であるアキくんを軟禁しているんですか? 銃まで向けて。護送する準備が整っていないわけではないですよね」
「保護ではなく捕獲ですよ」と宗祇が訂正する。
「子どもの姿をしていますが、彼は間違いなく玉虫色なんです。人間ではない」
「――」
いさなは、自分のプロとしての姿勢の甘さを指摘された気がした。
だが、それでもやはり、いさなはアキを怪物として見ることができない。
昨夜、不安そうに自分に寄り添ったアキの姿が偽りだったとは、どうしても思えないのだ。
「おねえさんはやさしいね。やっぱり、おねえさんに頼みたいな」
「頼み?」
「うん。ぼくがまだここにいる理由も含めて説明したいんだけど、いいかな」
いさなは宗祇に目線を向ける。宗祇は黙ってうなずいた。
茉理が「とりあえず、座って」と椅子を差し出してくれる。いさなは礼を言って椅子に座る。凍月が膝の上に飛び乗った。
「まず、言っておきたいんだけど、ぼくは研究所に帰るのが嫌なわけじゃないんだ。ただ、心残りがあって、それで宗祇さんにお願いして待ってもらっているんだよ」
「心残り?」
「うん。ふたつあって、おねえさんと話がしたいっていうのがまずひとつ」
アキは人差し指を立てた。
「おねえさん。ぼくと話をしてもらっても、いい?」
人差し指を自身に向けて、アキは言う。
「――いいよ」
いさながうなずくと、アキは笑みを浮かべた。
「ありがとう。じゃあ、さっそく訊きたいんだけど、おねえさんはなんでぼくを助けたの? ボロボロになってまでさ」
「なんでって……」
「最初にぼくを逃がしてくれた女の人も、そう。見ず知らずのぼくを、どうして助けてくれたのかな。ぼくが子どもの姿だから?」
誰かを助ける理由なんて、訊かれたことがなかった。自分の中で考えを咀嚼しながら、いさなは言う。
「子どもだからというのは、理由にはなるけど、全部じゃないと思う」
「じゃあ、どうして?」
いさなは考え込み、
「――ただ、助けたいって思ったの。わたしがそうしたかったから、そうした。きみを逃がした女の人も、同じような気持ちだったんじゃないかな」と答えた。
「つまり、理屈じゃないんだね」
アキは興味深そうに言う。
「わたしの場合はね」
「ふうん。人って、面白いね。自分を犠牲にしてまで誰かを助けようとするんだ」
「人だけじゃないよ」
「え?」
「あやかしだって、そうでしょ」
凍月と茉理が顔を見合わせ、揃って苦笑する。アキは納得したようにうなずいた。
「――そっか、そうだね」
「わたしからも訊いていい?」
「いいよ」
「アキくんが玉虫色に襲われていたのは、仕込みだったの?」
もしそうだとしたら、アキを逃がした女性は無駄死にだったということになる。さすがにそれは看過できない。
「違うよ。熊やカブトムシ――ぼくの分裂体たちは、本気でぼくを殺そうとしていた。ぼくを取り込んで本体になりたかったんだろうね。だから、あのままだったらぼくは殺されていたよ。大群に囲まれたときは、もうだめだと思った。ぼくでも死に怯えるんだって、初めて知ったよ」
すると、昨晩の戦いの時に見たアキの不安は、本物だったということか。
「間違いなく、ぼくはおねえさんたちに助けられたんだ」
「反撃はできたんじゃねえのか」
凍月がぼそりと言った。アキは首を横に振る。
「防衛本能が働いているのか、ぼくはぼくの分裂体を攻撃できないんだ。もっとも、分裂体の方はそうじゃないみたい。完全に暴走してるんだと思う」
「他人事みたいに言いやがって。あの玉虫色どもは、おまえが意図的に放ったんじゃないのか」
凍月は語気を荒げる。
「それを説明するには、まず、ぼくがこの村にいる理由を話さないといけないね」
「特災課の研究所を脱走したから、じゃないの?」と茉理が言う。
「違うよ。ぼくは脱走なんてしてない。連れ出されたんだ」
「何……?」
初耳だったのか、今まで能面のようだった宗祇の顔に驚愕の色が広がった。
「連れ出されたって、誰に?」茉理が尋ねる。
すでに、いさなにはある種の予感があった。




