死線の先②
部屋の外は見覚えのある廊下だった。
馬奈守村の公民館だ。見上げると、『医務室』と書かれたプレートがある。避難所としても使われる体育館の隣にあるから、こういう部屋もあるのだろう。
歩き出してすぐに足がもつれた。いさなは思わず壁に手をつく。思ったより体力を消耗している。
「無理すんなよ。重傷だったんだからな」
怪我人の肩に乗るのは遠慮したのか、足元にいた凍月が言う。
「凍月、わたしが気を失ったあと、どうなったの?」
本来なら、真っ先に聞くべきことだった。氷魚のことで頭がいっぱいで、現状にまで気が回らなかったようだ。
「バケモノどもを蹴散らした茉理がおれたちをここまで運んでくれたよ。しっかしあいつ、あんなに強かったとはな。さすがは大妖怪だ。全力の俺には劣るけどな」
「アキくんは?」
後半はスルーして問いを重ねる。凍月は一瞬寂しそうな顔をしたが、
「ぴんぴんしてたぜ。おかしなガキだよ。茉理の背中に乗って、ビビるどころか喜んでた」と答えてくれた。
「いさっちゃん、よかった。目が覚めたのね」
ふたりが話をしていると、廊下の角から姿を現した茉理が駆け寄ってきた。勢いよく、ぎゅっと抱きしめられる。
「なかなか起きてこないから、様子を見に行こうと思っていたのよ」
「茉理さん、苦しい」
茉理の腕を軽く叩く。やんわりと、茉理が腕を外した。
「ごめんなさい。嬉しくて、つい」
「いさなを殺す気か。こいつは怪我が治りきってないんだぞ」
凍月が抗議の声を上げた。いつになくやさしい。戦っている時は夢中でそれどころではなかったが、凍月が心配するほどのひどい怪我だったようだ。
「そうだ。怪我、誰か治してくれたんだよね」
「ええ、湊が治癒魔術をかけてくれたの」
「お礼を言わなきゃ」
「ただ、脇腹はどうしても傷跡が残っちゃうみたいなの」
気の毒そうに茉理は言う。
「それくらい、なんてことないよ」
「もう、いさっちゃん。自分の身体はもっと大切になさい。傷が原因でお嫁に行けなくなったらどうするのよ」
「そしたら、茉理さんがもらってよ」
「喜んで、と言いたいけど、どっちかっていうと、私も嫁ぐ側になりたいわね」
「いいね。茉理さんのウエディングドレス姿、素敵だと思うよ」
「いさっちゃんも、きっと似合うわよ」
「どうかな」
自分が結婚する姿を、いさなはうまく想像できない。
母親になることもそうだが、自分には縁がないのではないかと思う。
幸せな家庭を築きたいという願望がないわけではないが、自分にはきっと無理だ。そもそも、いさなを受け入れてくれる相手が見つからないだろう。
「おまえら、無駄口を叩いていていいのか?」
「っと、そうだね。ごめん。茉理さん、状況は? アキくんは無事って聞いたけど、玉虫色はどうなったの?」
「――それがね。ちょっとややこしいことになってるのよ」
言って、茉理は困ったように眉根を寄せた。
「ややこしい?」
どういう意味だろう。単純に倒して終わりではないのか。
「実際に自分で確認してもらった方が早いと思うわ」
「ここよ」
茉理は事務室の前で足を止めた。部屋の前には、長髪と角刈りの男性が門番のように自動小銃を携えて立っている。ふたりとも、一昨日の夜に出会った特災課の職員だ。
長髪の男性はいさなを見て少し眉を上げたが、何も言わなかった。
「宗祇ちゃんから許可は得ているわ。通してくれる?」
茉理が言うと、ふたりは黙って横に退いた。
「ありがとう」と茉理がドアを開ける。
事務室の中央に、アキがいた。椅子に座り、退屈そうに足をぷらぷらさせている。アキのすぐ近くには宗祇がいて、どういうわけか自動拳銃の銃口をアキに向けている。
「ああ、おねえさん。起きたんだね。よかった。また話ができるね」
いさなに気づいたアキは、嬉しそうに微笑んだ。年相応の少年の笑顔だが、なにか違和感がある。なんだろう。アキから感じるこの胸がざわつくような気配は。
「……こいつは」
いさなと同じ気配を感じ取ったのか、凍月が絶句する。
「茉理さん、宗祇さん。これ、一体どういう状況ですか?」
わけがわからない。なぜ宗祇はアキに銃を向けているのか。アキから感じる得体の知れない気配は何か。
「状況はすごくシンプルだよ」
茉理たちに先んじて、アキが口を開いた。
「ぼくが、玉虫色なんだ」