死線の先①
「――なるほどな。それならいけるかもしれん」
いさなの案を聞いた凍月は、大きくうなずいた。
「じゃあ、みんなに連絡するね」
いさなは携帯端末を手に取り、まずは道隆に電話をかけた。手早く事情と策を説明し、武器の準備もお願いする。
『了解だ。武器に関しては姫咲さんと織戸さんの手持ち次第だな。最適なものに魔力を付与する方向で行こうと思う』
「ありがとう兄さん。任せた」
『任された。――と、いさな、そっちはどうなんだ。なんか声に元気がないけど』
「玉虫色っていうのと交戦した。ちょっと怪我したけど、わたしは大丈夫」
『玉虫色? そりゃまたえらいのに当たったね。お疲れ様』
「それがまだ終わってないんだ。――ごめん兄さん、次は真白さんに連絡するね」
『おっと、そうか。じゃあ、気をつけてな。もし了承してもらえたのなら、姫咲さんたちとの細かいすり合わせはこっちでやっておくよ。その場合、電話はいいからメッセージでも送ってくれ』
「助かる。ありがとう」
続けて真白に電話をかける。
そもそも了承してくれるかが不安だったが、事情を聞いた真白はあっさり『いいですよ』と言ってくれた。
『茉理の弟子であるあなたは、身内みたいなものですからね』
意外な気がした。いつもそっけない態度の真白には、嫌われていると思っていたのに。
「――ありがとうございます」
真白が鳴城にいてくれたのは、本当に幸運だった。
『ただし、もし私の任務を優先せざるを得ない状況になったら、わかりますね?』
当然だ。プロなら譲れない優先順位がある。いさなには文句を言う資格はない。元は、腐肉食らいの性質を知らなかったこちらの落ち度なのだから。知っていれば、対策を立てられたはずだ。
「はい、それはもちろん」
ここまで来たらあとはもう氷魚の運次第だ。邪魔が入らないことを祈るしかない。
真白に案を説明し、電話を切る。
最後に、氷魚だ。
いさなは大きく深呼吸する。
後回しにしたのは、段取りを整えてからという理由もあったが、何より怖かったからだ。
電話をして、もし氷魚が出なかったらどうしようと思う。
猿夢の中で、氷魚が槍で突き刺された時の恐怖を思い出す。もう、あんな思いはしたくない。自分が危険な目に合うより、よっぽど肝が冷えた。
いさなは祈るような思いで氷魚に電話をかける。
1コール1コールがひどく長く感じる。
もし――
もし、氷魚に何かあったらどうしよう。
いさなは固く携帯端末を握りしめる。心臓を鷲掴みにされているみたいだった。
どうか、お願い。
『――、も、もしもし、橘です』
氷魚の慌てたような声を聞いた瞬間、安堵のあまり涙がこぼれそうになった。まさか泣き声を聞かせるわけにもいかないので、いさなは必死で平静を装う。
「氷魚くん? こうして電話に出られたってことは、ひとまず無事って認識でいい?」
『はい。いさなさんのお守りが効いたみたいです。怪物は出てきませんでした。やっつけちゃったのかも』
明るく言っているつもりらしいが、氷魚の声には明らかに元気がなかった。
無理もない。
いつ襲ってくるかわからない怪物に怯えつつ、一夜を過ごしたのだ。相当参っているだろう。
「――だといいんだけどね。簡単な相手じゃないみたい。たぶん、一時的に退いただけだと思う」
『というと、正体がわかったんですか?』
「ええ、凍月が言うには、相手は時間の角に潜む汚れたものらしいわ」
それから、凍月と電話を替わりつつ、いさなは氷魚に案を説明した。
氷魚は、驚くほど冷静だった。
猿夢のときも思ったが、氷魚は逆境に強いのかもしれない。土壇場で、普段のおっとりした様子からは想像もつかない行動力を発揮するのだ。
もっとも、ひやりとすることも多いのだが。
「ごめん、氷魚くん。わたしたちが行ければ一番いいんだけど」
最後にそう呟く。偽らざる、いさなの本音だった。
できるのならば今すぐ飛んでいきたい。茉理に頼めばそれも叶うだろう。
だが、できない。責務は投げ出せない。
『大丈夫。なんとか切り抜けます。いさなさんたちもお気をつけて』
命の危機にさらされているというのに、氷魚はこちらを気遣っていた。
もしかしたら、真に強いのは氷魚なのかもしれない。
「――うん、ありがとう。また連絡するね。どうか無事で」
電話を切る。
道隆と真白それぞれにメッセージを送り、しばらく携帯端末を額に当てたあと、いさなはベッドから抜け出し、立ち上がった。
玉虫色がどうなったのかわからない。茉理が助けてくれたから問題ないと思うが、アキも心配だ。
一歩を踏み出す。身体が悲鳴を上げる。
まだ寝ていたい。できれば動きたくない。自分はよくやった。あとは他の許可証持ちに任せてもいいのではないか。
逆らいがたい、魅力的な提案だった。
しかし――
――氷魚くんが頑張っているのに、わたしが頑張らずにどうする。
弱音を押し込め、いさなはドアを開けた。