玉虫色の死線③
鵺が虎の前脚を振るい、いさなを捕まえていた大カブトムシを一撃で打ち倒す。
拘束が解け、解放されたいさなは地面にへたりこんだ。
見上げると、こちらをやさしく見つめる鵺と目が合った。
「――茉理さん、だよね?」
「そうよ。この姿を見られるのはちょっと恥ずかしいけどね」
「ううん。すごくきれいだよ」
いさなが思ったままのことを言うと、鵺――茉理は驚いたように目を瞬かせ、それから微笑んだ。
「――ありがとう」
「おせえんだよ。牛車にでも乗ってきたのか?」
凍月が、声に隠しようがない喜色をにじませて言う。
「凍月ちゃん、まだ憎まれ口を叩く元気はあるみたいね」
「いいから、さっさとこいつらを片付けてくれ。俺たちはガス欠だ」
「了解。私の愛弟子を可愛がってくれたお返しをしないとね!」
茉理が縦横無尽に庭を駆けまわる。見る間に玉虫色のバケモノたちが倒されていく。圧倒的な強さだった。
――よかった。これでもう大丈夫だよね。
張り詰めていた気が緩んだのか、いさなの身体から急激に力が抜けていく。
茉理が躍動する。
人の姿もいいけれど、鵺の姿も素敵だ。
薄れゆく意識の中で見る茉理は、とても美しかった。
目覚めると、ベッドの上だった。いさなはそろそろと身を起こす。
「っつ!」
身体の節々が痛む。
見れば、あちこちに包帯が巻かれていた。いさなの血とバケモノの体液でどろどろになっていた服は脱がされ、女物の高そうな服に替えられている。
おそるおそる、傷の具合を確認する。痛みこそ残っているが、傷はいずれも塞がっていた。
自然治癒ではありえない。誰かが治癒魔術で手当てしてくれたようだ。あのままだったら入院コースだったのでありがたい。
それにしても、ここはどこだろう。どこかの医務室のようだが。
凍月に声をかけようとして、思いとどまった。
いさなが目覚めたのに反応がないということは、凍月も眠っているのだろう。でなければ、憎まれ口の1つでも叩いているはずだ。
いさなは、ベッドの側のチェストに置かれていた携帯端末を手に取った。
7月16日の、朝6時過ぎだった。自分は10時間以上眠っていたらしい。
着信とメッセージがあったので確認する。いずれも氷魚からだった。
メッセージを開く。
一気に血の気が引いた。
「……凍月」
上ずった声で凍月を呼ぶ。返事はない。
寝かせておいてあげようという気遣いはもうどこかに消えていた。
「ねえ凍月、起きて。お願い!」
「……うぅ。もうちょっと寝かせろよ」
「それどころじゃないの、これ見て!」
「あぁ? んだよ、まったく」
ぶつぶつ言いながらも、実体化した凍月は携帯端末の画面をのぞき込んだ。
「こいつは――」
部屋の角から出てきた煙が、グロテスクな犬みたいな姿の怪物になって襲ってきた。護符で追い払えたが、倒せたかはわからない、また襲ってくるかもしれないが、どうしたらいいか。
氷魚からのメッセージには、そういったことが書かれていた。
「この怪物って、汚れたものなの?」
いさなの知らない怪物だ。『マレウス・モンストロルム』を閲覧できないのが悔やまれる。
「ああ、時の腐肉食らいって呼ばれているやつだ。時間の角に潜み、一度嗅ぎつけた相手をしつこく追いまわすバケモノだよ」
「時間の角?」
「そうだ。小僧が簪で過去を見たときだろう。腐肉食らいも小僧を見たんだ。それで目をつけられた」
理屈がよくわからないが、理解するのは後でいい。今大切なのは氷魚の命だ。
「護符で倒せたと思う?」
「無理だな。そんなに簡単に引き下がるタマじゃねえ」
「どうすれば倒せる?」
いさなの問いに凍月はしばし考え込み、
「角がない場所に閉じ込めて、大火力の魔術でもぶち込むのが手っ取り早いな。まあ、おまえの刀で斬れば一発だが……」と答えた。
いさなは唇を噛む。
自分が駆けつけるのはどうやっても無理だ。
身体のこともあるし、第一まだ依頼を完遂していないのだ。途中で投げ出すなんて無責任なことはできない。
この状況で氷魚を救うには、どうすればいい?
爆発的な焦燥感に駆られる。
焦るな。考えろ。
火力と魔術、そして角のない場所――
思い浮かんだのは、真白と織戸、そして道隆の顔だった。
「――なんとかなるかも」
「ん?」
「方法を考えた。凍月、一緒に検討してくれる?」
「そりゃ構わねえが。おまえ、大丈夫か」
「なにが」
「顔だよ。真っ青だぞ。身体、きついんじゃねえか」
「私のことはいい。それより聞いて――」