玉虫色の死線②
9体目までは問題なく倒せた。
10体目を斬り捨てた辺りから意識が怪しくなった。
11体目のイノシシを斬り伏せた時点で腕に力が入らなくなり、次に向かってきた大カマキリの鎌に振った刀をはじき返された。
たたらを踏むが、どうにか持ちこたえる。追撃の鎌をすんでのところで躱し、意思の力だけで斬撃を放つ。切っ先が大カマキリの胸をかすめた。あと一歩が踏み込めない。足元がおぼつかない。
しかし――
「おおおぉ!」
混濁する意識の中で、残された気力を振り絞り、いさなは刀を叩き付けるように大カマキリに振るった。剣技も何もあったものではない。力任せの斬撃だったが、退魔の刃はいさなを裏切らなかった。
身体を真っ二つに断ち切られた大カマキリが、玉虫色の液体となって溶ける。
いさなは大きく息を吐く。
あと何体いるのか考えそうになって、それは雑念だと思考を切り替える。今はただ目の前の敵を斬ることに専念すればいい。
さっきの玉虫色の熊と比べて、1体1体の強さは大したことがない。だが、とにかく数が多かった。
アキの護衛に専念している凍月の援護は望めない。
アキと凍月を中心に、結界を張るような立ち回りをしているいさなの消耗度合いは半端なものではなかった。
当然無傷で済むはずもなく、何度か打撃や斬撃を受けていた。致命的な一撃はどうにか避けているが、積もり積もれば結果は同じだ。
肉体の限界はとっくに超えている。いさなは今、精神の力だけで刀を振るっていた。
死ねない。死なせない。
自分一人の命の問題ではない。いさなが倒れれば連鎖してアキの命も失われる。それだけはだめだ。アキは、なんとしてでも無事に家族の元へ返す。
イノシシが突進してきた。回避しようとして足がもつれる。イノシシの牙が脇腹をかすめて肉を抉る。灼けるような痛みが走るが歯を食いしばって堪える。傷の具合を確認するのは後だ。今更これくらいどうってことはない。
「あああぁ!」
獣の咆哮が口から漏れた。いさなの脇を勢い余って通り過ぎ、背中を見せたイノシシを一刀の元に斬り伏せる。
「――どうして?」
戦闘の喧騒に紛れて、そんな呟きがいさなの耳朶を打った。
「……?」
空耳か、それとも幻聴か。
「どうして、そんなになってまで戦うの? バケモノが憎いから?」
空耳でも幻聴でもなかった。声の出所は、アキだった。
純粋に、心の底から不思議そうに、アキは問いを発していた。
――違う。憎いわけじゃない
反射的にそう言おうとした。だが、言えなかった。
よそ見したのが仇になった。大カブトムシの角が、いさなをがっちりと捕らえていた。先端が輪に変化して、いさなの身体を締め付ける。
「ぐ……あ」
両腕ごと押さえられていて、身動きが取れない。みしみしと嫌な音がする。
もがくいさなの目の前に影が落ちた。見上げれば、大カマキリが死神さながらに鎌を振りかざしていた。
これまで何度か死を覚悟した瞬間はあった。だがこれは今までの比ではない。
はっきりとした死の形が、すぐ側にある。
「いさなぁ!」
凍月の、これまで聞いたことがないような悲痛な声。
見れば、玉虫色のシカ相手に奮戦している凍月の姿があった。玉虫色たちに阻まれて、こちらに来ることはできそうにない。
いさなはアキに目を向ける。
アキは目を逸らさず、まっすぐにいさなを見つめていた。
――ごめんね。守り切れなくて。
最後に脳裏をよぎったのは、どういうわけか氷魚の顔だった。自分が死んだら、あの子は悲しむだろうか――
その時、どん、と大きな衝撃があった。視線を正面に戻せば、空から降ってきた何かが大カマキリを潰していた。
降ってきたものの姿を見て、いさなは驚きに目を見開いた。
頭は猿で身体は虎、そして尾は蛇。
すなわち――鵺。
「待たせたわね。いさっちゃん」
平家物語にもその名を残すあまりにも有名な妖怪は、茉理の声をしていた。