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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第五章 玉虫色の死線
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玉虫色の死線①

 追うか、それともアキの様子を見に行くか。

 束の間逡巡し、いさなは寝室に戻ることを選んだ。

 一定距離を離れると、凍月いてづきが強制的に影に戻されるからだ。そうなった場合、アキの身の安全は保障できない。

「アキくん、大丈夫!?」

 部屋の出入り口でいさなが目にしたのは、巨大な玉虫色のカブトムシと、カブトムシの角にしがみついている凍月の姿だった。カブトムシが突入する際に壊したのか、壁に大きな穴が開いている。

 いさなの倍以上もある、悪夢のような大きさのカブトムシが頭を振り、凍月が振り払われる。

「凍月!」

 空中で器用に身をひねった凍月は、無事に床に着地した。

「平気だ。それよりこいつ、固えぞ」

 凍月が無事のようで、ひとまず安心した。

 しかし――

「アキくん、逃げて!」

 アキは、呆けたようにカブトムシを見上げて棒立ちしていた。恐怖でついに正気を失ったのか、いさなの声にもまるで反応しない。

 玉虫色のカブトムシが、アキ目がけて頭を振り上げる。

「――だめっ!」

 床を蹴って、いさなは部屋に飛び込んだ。同時に、カブトムシの巨大な角が振り下ろされる。

 右手でアキを突き飛ばし、いさなは左手に握った刀で角を受け止めた。

 全身がバラバラになってしまうのではないかという衝撃だった。丸太でも受け止めたのかと思う。

「ぐ……」

 身体が軋む。

 両手で刀を握りなおしたが、立っていられず片膝をつく。大カブトムシからの圧力が増していく。押し返せない。力勝負では、どうあがいても勝ち目はない。

 刃が角にめり込み、角度をつけて滑らせることもできない。このままではじり貧だ。

 かといって、刀を消したらその瞬間自分は角に押し潰されてぺちゃんこだろう。この圧力では、飛び退く余裕はない。

 凍月に魔力を回すか。

 しかし、それは賭けだ。凍月に魔力を回す際に、どうしてもいさなは脱力する。その瞬間、押し負けて潰される可能性が高い。

「――?」

 と、不意に、角がぐにゃりと変化した。刀がめり込んでいる部分が切り離され、いさなは勢い余って体勢を崩す。

 大カブトムシが、頭を横に振りかぶる。尋常のカブトムシではありえない、不自然な頭の角度だった。

「いさな、避けろ!」

 凍月の警告は間に合わなかった。

 ハンマーのような形に変化したカブトムシの角が、無防備ないさなの身体を直撃した。魂が砕け散るのではないかという衝撃がきた。

「がっ……!」

 ひとたまりもなかった。足が浮き、重力が消失した。視界が回転し、いさなは気づけば庭に倒れていた。

 うめく。

 震える足を叱咤し、離さずにいた刀を杖代わりにして立ち上がる。

 どうやら、大カブトムシが開けた穴から外に放り出されたらしい。

「……ごほっ」

 咳き込み、吐血する。身体のあちこちが痛み、どこがどういう状態なのか把握できない。呼吸をするたびに全身に激痛が走る。

「おねえさん、だいじょうぶ?」

 アキと凍月が駆け寄って来た。

「――平気だよ。アキくんは、怪我はない?」

 無理矢理、唇の端を持ち上げる。

「うん、おねえさんがかばってくれたから」

「そう、よかった」

 正気も完全には失っていなかったようだ。

「いさな、おまえ――」

 いさなを見た凍月が絶句した。自分はよほどひどい有様なのだろうか。

 家の中から、のそりと大カブトムシが姿を現した。

 それだけではない。

 庭のあちこちから嫌なにおいがする。暗がりに無数の目が輝く。

 玉虫色に染まった大きなカマキリが、クワガタが、イノシシが、シカが、光に向かう虫のように集まってくる。

「冗談きついぜ。何体いやがるんだよ……」

 凍月がうめいた。

「あなたにしては珍しく弱気だね」

「おまえ、そんな身体で何言ってんだ。逃げるぞ」

「どうやって?」

「それは……」

 全方位を包囲されていて、退路はない。凍月が本来の姿に戻るまで魔力を回せば活路は開けるだろうが、そんな余力は今の自分にはない。途中で衰弱して死ぬのが目に見えている。アキを守りながらでは、一点突破も難しい。

 アキをかばいながら、この場で粘るしかない。

「大丈夫。わたしはまだ戦える」

 満身創痍なのは間違いないが、両手が折れていないのは幸いだった。刀を握ることができる。

 アキが不安そうにいさなに寄り添う。

 いさなはアキの頭に手を置き、笑ってみせる。

「もうちょっとだけ我慢してね」

 この小さな命を、守るのだ。

 刀の柄を握りなおす。不思議と、力が湧いてくる気がした。

 玉虫色の怪物の集団が、そんないさなをあざ笑うように一斉に鳴き声を上げる。


「テケリ・リ! テケリ・リ!」


 何度聞いても、神経を逆なでするような不愉快な声だ。

 鳴き声は段々大きくなっていく。

 いいだろう。ならばこちらも容赦しない。

 この時ばかりは、自分が影無で、戦う力があってよかったと思う。

「上等だ! かかってこい! わたしが相手になってやる!」

 夏の夜に響く冒涜的な鳴き声をかき消すように、いさなは吠えた。


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