馬奈守村の怪⑤
すべての缶を開け終えると、殺風景だったテーブルの上が一気ににぎやかになった。缶詰パーティみたいだ。
あとで氷魚に見せようと思い、いさなは携帯端末を取り出して写真を撮る。
「いさっちゃん、わかってると思うけど」
「うん。ネットにアップしたりしないよ。氷魚くんにしか見せないから」
バケモノ退治に来たら自衛隊のレーションを貰ったので食べてみました! とかやったら炎上確実だ。下手したら情報漏洩で許可証剥奪の可能性もある。
「こいつは現役女子高生なのに、ツイッターもインスタもやってないからな」と凍月が言う。
「いいでしょ、べつに」
いさなとて、興味がないわけではない。ただ、アカウントを作るのが怖いのだ。ネットでも人との関わりに苦手意識を持ってしまっているのかもしれない。
「凍月ちゃん、すっかり現代に染まってるわね」
茉理がしみじみと言った。
「おまえも大概だろ。何だあのド派手な車。牛車にでも乗ってろよ」
「一周回ってありかもね。貴族のお姫様っぽくていいかも」
「姫? あやかしが何言ってやがる。どっちかっていうと、おまえは姫を襲う側だろうが」
「あら辛辣。まあ、貴族を驚かせていた時期もあったけどね」
「だから退治されるんだよ」
「退治されたのはお互い様でしょ」
「むぐ……」
「いいから、早く食べようよ」
そろそろ、茉理と凍月のやり取りにも慣れてきた。要は猫がじゃれているようなものなのだ。決して仲が悪いわけではない――と思う。
なお、レーションはおいしかったが味がとにかく濃かった。
食後は作戦タイムとなった。
空になった缶詰を片付けて、いさなと茉理、凍月はテーブルの上に広げた地図を覗き込んだ。昨夜回った家の場所は丸で囲んである。
「あれ? 茉理さん、丸の数多くない?」
よく見ると、訪れた覚えがない家にも丸がついていた。
「ああ、他の許可証持ちが回った家を宗祇ちゃんに教えてもらったの。この情報は全員が共有してるわ」
「なるほど。だったら、今日中に全部の家を回れそうだね」
「そうね」
「茉理さん、来たよ」
声と気配に顔を上げる。テーブルの近くに、3人の許可証持ちが立っていた。2人は男性、1人は女性だ。全員、いさなの知らない顔だった。
「ありがとう、協力してくれて嬉しいわ」
茉理が言うと、最初に声をかけてきた男性はきまり悪げに後ろ頭をかいた。
「本当はもっと集められるとよかったんだがな。さっさとバケモノを倒した方が速いって断られた」
「まあ、それも正論ね」
どういうこと? といさなが目で問いかけると、茉理は、
「みんなで手分けしましょって声をかけておいたの」と答えてくれた。
茉理の人望と行動力に驚かされる。許可証持ちは基本的に単独行動という考えのいさなにはなかった発想だ。
「そういうわけだ。よろしく」
ちらと凍月を一瞥し、男性は言った。
「よろしくお願いします」
男性が名乗らなかったので、いさなも名乗らなかった。男性は茉理とも顔見知りみたいだし、いさなが遠見塚の名を出さなくて済むように気を遣ってくれたのかもしれない。
以前より数は減ったが、許可証持ちの中には、当代の影無であるいさなをよく思っていない者がまだ少なからずいる。
この場にいる人たちがそうだとは限らないが、余計な軋轢を生まないためにも、名乗らずに済むのならそれに越したことはなかった。
茉理主導で誰がどこを回るか手際よく決めて、打ち合わせが終わった。
去り際、女性が「そういえば」と口を開いた。「真白は来ないの?」
「ええ、別件でちょっと手が離せないの」
「そっか。久しぶりに会いたかったんだけど、仕方ないか」
「湊が会いたがっていたって、伝えとくわ」
「ええ、よろしく」
女性は微笑んで、テーブルを離れた。
「今の子、湊っていうんだけど、真白が、というより小さい子が大好きなの」
誤解を生みそうな茉理の言い方だった。
「主な活動域は私や真白と同じ泉間で、何度か任務を一緒にこなしたことがあるのよ。一緒になるたびに真白真白って、すごいの。猫っ可愛がり。真白は嫌がっているけどね」
真白に構いたがる気持ちはわかる気がする。反応が猫みたいなのだ。
「真白って、あの愛想の欠片もない子どもだろ。どこがいいんだ」
凍月が不思議そうに言う。
「真白はかわいいわよ。とってもね。ただ、表には少し出にくいだけ」
そう言う茉理の顔は、完全に母親のそれだった。
いいなと思う。
真白が羨ましい。
今更、母に愛情を注いでほしいとは言わない。
けれど、幼かった自分にもう少し母親が向き合ってくれていたのなら、あの頃感じていた苦しみは軽減されていたのではないかとは思ってしまう。
とはいえ、母は何も悪くない。
遠見塚の血を残すことが第一で、生みさえすれば後のことは知ったことではないという母の態度を、いさなは責めることができない。影無候補を1人でも増やせばそれでいいという遠見塚の仕組みに従っただけなのだから。
兄と自分を生んでくれたことだけでも感謝すべきだ。
ふと思う。
自分は母親になれるのだろうか。なれたとして、自分の子どもを愛することはできるのだろうか。
「あやかしが人に愛情を注ぐのか?」
「いけないことではないでしょう。前例がないわけでもない。異類婚礼譚なんてその最たるものでしょうよ」
「それは、そうかもしれねえが……」
凍月の言葉はしりすぼみになる。
人と人ならざる者の深い関わりは時として悲劇を生む。凍月は、そう言いたかったのかもしれない。昔話の雪女だって、人との間になした子を残して去っていく。誰にもしゃべってはいけないという雪女との秘密を破った男は自業自得だが、残された子の気持ちを考えると胸が痛む。
凍月の言いたいことを察したのかどうかはわからないが、茉理はやさしく微笑んで言う。
「――凍月ちゃん。私はね、真白がかわいくって仕方ないのよ。あの子は私に子どもを育てる喜びと大変さを教えてくれたの」
「デレデレじゃねえか。おまえが人間にほだされるとはね」
「凍月ちゃん、それ、ブーメランになってない?」
「あん? どこがだよ」
「ふふ、さあ? ――さて、食休みはおしまい。出かけるわよ」
茉理は立ち上がると、颯爽と歩き出した。
遅れまいと、いさなも慌てて立ち上がりあとに続く。
「いさな、俺の発言の何がブーメランだったんだ?」
肩に乗った凍月が尋ねる。どうやら、自分では気づいていないらしい。
「――私もわかんないよ」
いさなはとぼけることにした。正直に言ったら、凍月が怒るのは目に見えているからだ。
正解は、氷魚がすでに口にしている。
――凍月さんって、なんだかんだやさしいですよね。
そういうところだよ、凍月。
心の中で、いさなは呟いた。
凍月はいさなの父ではないし、無論母でもない。
けれども、父よりも母よりも、もしかしたら兄よりも、凍月はいさなと向き合ってくれている。本人はぜったいに認めようとしないだろうけど。
いさなが影無になって4年が経つ。12だったいさなも今は16だ。
文字通り自分の一部となった凍月と、人生の4分の1を共にした。最初は反発もしたが、今では誰よりも頼りにしている。
口は悪いし、時々憎らしく思ったりすることもあるけれど、いさなにとって、凍月は間違いなくかけがえのない存在だ。
茉理と真白の関係とはまた違うが、自分は間違いなくそんな凍月に救われているのだと思う。