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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第五章 玉虫色の死線
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馬奈守村の怪③

 近場から、地図を頼りに人家を尋ねて歩く。家はまばらに点在しており、一軒一軒確認していくのはそれなりに骨だった。

 途中、何度か協会の許可証持ちとすれ違う。その中に、玉虫色と交戦した者はいなかった。

 怪物の目的は何なのだろう。犠牲者が出ている以上、人間に友好的という線はないだろうが、積極的に襲う様子もない。まるで息をひそめて隠れているようだ。

「もう遅いわ。戻る時間も考えて、次で最後にしましょうか」

 おしゃれな腕時計に目を向けて、茉理まつりが言った。

 気づけば夜の9時を過ぎている。

 村はすっかり夜の闇に覆われていた。山間の地特有の、重みを感じさせるような暗闇だ。街灯の明かりはいかにも頼りなく、曇り空なので月明かりも期待できない。

「そうだね。お腹も減ったし」

 食事の心配はない。馬奈守村に来る前にスーパーで食料を買い込み、オロチの狭い収納スペースに突っ込んである。ほぼカップ麺や保存食だ。できればがっつり揚げ物を食べたいが、贅沢は言っていられない。それにしても、肉久のコロッケが恋しい。

 いさながそんなことを考えたときだった。

 悲鳴が聞こえた。

 女性のものだった。声の大きさからして、それほど離れていない。

「あっちね」

 茉理が指さした方に、いさなは迷わず駆け出した。走りながら刀を呼び出し、ベルトにねじ込む。

 道路を曲がったところで、『それ』がいさなの目に入った。

 民家の前に中年の女性と高齢の老婆がいる。そして、ふたりの前にカマキリが立ちはだかっていた。

 ただのカマキリではない。

 いさなの背丈を超える大きさのカマキリだった。2メートル近くある。

 加えて、体色が尋常ではなかった。玉虫色にぬらぬらと輝き、しかも表面に無数の目のようなものが見て取れる。

 その目が、一斉にいさなの方を向いた。

 鳥肌が立った。

 通常のカマキリが巨大化したものではまさかあるまい。玉虫色の怪物に違いなかった。

 怪異には慣れているつもりだったが、こんなおぞましい怪物にはそうそうお目にかかれない。思わず身がすくんだ。

「びびってんじゃねえよ!」

 いさなの肩を蹴り、凍月いてづきが大カマキリに跳びかかった。

 黒い弾丸のように飛び出した凍月は前脚を振りかぶり、鋭い爪を振るう。大カマキリの右腕が切り飛ばされた。地面に落ちた腕が意思を持った命のように不気味にのたうち回る。それを見て、中年の女性が再び悲鳴を上げた。一方で、虚ろな目をした老婆は何の反応も示さない。

 悲鳴に反応したのか、大カマキリが残った左腕を女性に向けて振りかぶった。

 凍月が動くより早く、いさなは地面を蹴った。

 鯉口を切り、駆け抜けざまに抜刀して刃を振るう。一閃、大カマキリの首が宙を舞った。

 地面に転がった大カマキリの頭部と右腕を、凍月が前脚で叩き潰した。粘度のある液体が飛び散る。

 頭部を失った大カマキリの胴体がゆらりと動く。倒れるのかと思ったが、違った。

 胴体は、いさな目がけて左腕を振り下ろした。

「――っ!」

 とっさに刀で受け止める。すさまじい衝撃に身体が軋んだ。生半可な刀だったら刀身ごと身体を断たれていたに違いない。

 息を吐く間もなく次の攻撃が来た。左腕が鞭のように変化し、いさなの首を狙った鎌の一撃が真横から迫る。

 曲線的な変化に意表を衝かれたが、いさなは当たる寸前で身を沈めて鎌をかわす。切られた髪が数本宙に舞った。

 身を起こしざま、いさなは刀を振り上げ、伸びきった大カマキリの左腕を斬り飛ばした。更に、返す刀で袈裟懸けに大カマキリの胴体を断ち切る。

 ずるり、と切断された大カマキリの胴体が地面にずり落ちた。無数の目が恨みがましくいさなを見つめていたが、ほどなくして消え失せる。

 ぐずぐずと大カマキリの身体が崩れ、溶けていき、あとには嫌な臭いのする玉虫色のタールのような液体が残った。

 血振りをして刀身に付着した液体を払うと、いさなは静かに納刀する。

「お見事。また腕を上げたんじゃない?」

 近くで戦闘を眺めていた茉理が微笑む。

「あんまりおだてるなよ。調子に乗る」

 頭と腕を潰した際に液体がついたのか、前脚を電柱に擦りつけながら凍月が言った。

 茉理は「いいじゃない。ホントのことなんだから」と言うと、女性たちの方に向き直る。

「大丈夫? 怪我はない?」

「あ、あんたたち、一体なんなの。その変な動物もだけど、女の子が時代劇みたいに日本刀なんて振り回して。それ、本物でしょ」

 女性は、老婆を背中にかばうようにしていさなたちから距離を取った。顔には怯えの表情が浮かんでいる。当然の反応だ。

 なるべくなら人の目のあるところで刀を抜きたくないのだが、火急だったので仕方がない。

「私たちはお化け退治の専門家で、今は避難のお手伝いをしてるの。怪しく見えるのは重々承知だけど、信じてくれないかしら」

 混じりけのない真実を述べて、茉理は笑みを浮かべた。男女問わず魅了する極上の笑みに、女性は幾分か警戒を解いたのか、表情を緩める。

「避難の手伝い? 本当に?」

「ええ。今からここに政府の人を呼ぶから、保護してもらって。体育館にみんな集まってるわ」

 茉理の声は、不思議と聞いている人を安心させる。声に魔力でも乗せているのだろうか。

「――あぁ、よかった。避難指示が出たのは知ってたけど、お母さんが動いてくれなくて困ってたのよ。ようやく家の外に出たら変なお化けはいるし、もうだめかと思った」

 女性は脱力したようにへたり込む。茉理はかがみこむと、やさしく女性の肩をさすった。

「怖かったよね。もう大丈夫だから。家の中で待ってていいわよ。お化けが入ってこないように、私たちが外で見張っているからね」

「ありがとう。本当にありがとう」

 女性は老婆を抱えるようにして、家の中に入っていった。見届けた茉理は携帯端末を取り出し、素早く操作をする。宗祇にメッセージを送ったのだろう。村の中が圏内なのはすでに確認済みだ。

「今のが『玉虫色』?」

 いさなは、汚れた前脚を気にしながらこちらに歩いてきた凍月に尋ねる。

「この鼻がひん曲がるような臭いは間違いない。だが、本体じゃねえな。手応えがなさすぎる」

「そうなの? 十分手ごわかったけど」

「以前俺がやりあったやつはもっとしぶとかったよ」

 凍月はふっと口から青い炎を吐きだして、自分の前脚を浄化した。

「なんでカマキリなのかな」

「知らん。熊もだが、姿を変える理由が読めねえな。油断を誘いたいのなら、わざわざあんな物騒な姿にはならんだろうし」

「だよね」

「もしかしたら、ただの玉虫色ではなく、変異体なのかもね。特災課が研究するくらいだし」

 いさなたちの側に戻ってきた茉理が言った。

「やっぱり、特災課の施設から逃げ出したのかな」

「十中八九間違いないでしょ。ただ、あの施設、そんな簡単に脱走できるようなセキュリティじゃないのよね」と茉理は頬に手を当てる。

「そうなの?」

「ええ、外部も内部もガッチガチよ。アリの子一匹這い出る隙間もないくらい。扱っているものがものだから、魔術的な防壁もばっちり。うちの情報部をもってしてもどんな施設かわからなかった理由ね」

「でも、逃げられてるじゃねえか」

「そうなのよ。玉虫色といえども、普通は逃げられないはず。となると――」

 茉理は指をくるくると回し、いさなを指さした。師匠からのご指名だ。

「なにか、玉虫色が逃げ出すような事故が起きた」

 いさなが言うと、茉理は満足げにうなずいた。

「そうね。もしくは、誰かが意図的に逃がしたとか」

「一体何のために?」

「さあ? 可能性を挙げてみただけよ」

 茉理は捉えどころのない微笑を浮かべる。

 茉理にもう少し突っ込んで訊いてみるかと思ったところで車が到着した。

 頑健なSUVだ。中から男性2人が降りてくる。角刈りと長髪の男性ふたりはカジュアルな格好をしているが、きびきびとした身のこなしは明らかに素人ではなかった。

「協会の方ですね。ご協力、感謝します」

 角刈りの男性が言った。今にも敬礼しそうな勢いだ。

「お疲れ様。要救助者ふたりは家の中にいるわ」と茉理が言う。

「よかったら、きみたちも乗っていくかい?」

 長髪の男性がいさなに笑いかけて言った。

「せっかくですが、遠慮しておきます。怖がらせてしまうから」

「俺は怖くないけどね。むしろ大歓迎だ」

 長髪の男性は芝居がかった仕草で両手を広げる。

「いえ、怖がるのは要救助者の方です。さきほど、わたしが戦う姿を見せてしまったので」

「――なあ。俺の冗談、わかりにくかったかな」

 なぜか悲しそうな顔になった長髪の男性は、角刈りの男性に聞いた。

「無駄口を叩くな。行くぞ」

「はいはい。じゃあね。帰り道、気をつけて」

 ひらっと手を振って、長髪の男性は家の中に入っていく。

 これでひとまず女性と老婆は安心だろう。

「私たちも帰りましょうか」とうながされ、いさなは茉理と並んで歩き出す。

「今の、冗談だったの?」

 いさなが尋ねると、茉理は苦笑した。

「ナンパのつもりだったんじゃない? 下手だったけどね」

「だったら傑作だな。小僧に自慢できるんじゃねえか」

 凍月が笑っていさなの肩に跳び乗る。

「なんで? 氷魚くんは関係ないでしょ」

「――そうだな。そういうことにしておくか」

 何がおかしいのか、凍月はにやにやと笑っている。

「いさっちゃんは、橘くんと仲がいいの?」

 茉理に問われ、いさなはしばし考え込んだ。

「――普通だと思う。先輩と後輩だし」

「なるほどねえ」

 納得したように、茉理は微笑を浮かべた。

「――?」

 いさなは公民館に着くまで考え続けたが、凍月と茉理が何を言いたいのか、結局わからないままだった。

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