馬奈守村の怪①
1時間近く山道を走り、峠を越えて、ようやく馬奈守村に着いた。
茉理は公民館の駐車場に車を停める。
「お疲れ様。到着よ」
「凍月、隠形を」
いさなは膝の上で丸くなり眠っていた凍月に声をかけた。
広い駐車場にはかなりの数の車が停まっている。人目につく可能性がある場所では、凍月には影に入ってもらうか姿を隠すかしてもらわないと、騒ぎになる。犬とも猫ともつかない見た目の凍月を珍しい小動物で通すには無理があるからだ。
「――ん、あいよ」
目を覚ました凍月は、猫のように伸びをすると姿を消した。重みだけが膝の上にある。こうなると、いさなも視認できない。ドアを開けると、先に降りたようで、膝から凍月の重みが消えた。
車を降りたいさなは大きく伸びをして、肩を回す。山道はひどく曲がりくねっていたが、茉理の運転がうまいおかげで、乗り物酔いしやすいいさなでも酔わずに済んだ。
いさながストレッチを終えたタイミングで、肩に重みがかかった。凍月が乗ったようだ。
「ド田舎の公民館なのに、やけに立派だな。人口に釣り合ってないだろ」
立派というのには同意だ。
鳴城にも公民館はあるが、あちらとは比べ物にならないくらい、馬奈守村の公民館は大きくて立派な建物だ。併設されている体育館も大きい。
「それだけじゃないわよ。気づいてた? 道路が不自然なくらいきちんと整備されてたの」
車から降りた茉理が言う。
「言われてみれば」
「お金がどこから出ているのか、不思議に思わない?」
「国じゃないの?」
「そうね。でもどうして?」
「なにか厄介なものを押し付けられてるんじゃねえのか。で、迷惑料代わりと」
答えたのは凍月だった。
「でも、そういうの、この村にはないよね」
いさなが言うと、茉理は唇の端を持ち上げる。
「表向きはね」
「茉理、なにか知ってるのか」
「ええ。特災課の施設が近くの駒木山の中にあるんだって。たぶん研究所よ」
「おいおい、一気にきな臭くなってきたな」
「茉理さん、それ、情報の出所は?」
「うちの情報部」
協会の情報部の情報収集能力は確かだ。いさなも何度も助けられている。
「どんな施設なのかわからねえのか」
「さすがにそこまではね。セキュリティが厳重みたいよ」
「今回の怪異災害、まさか特災課のマッチポンプじゃないよね」
「さあてね。鬼が出るか蛇が出るか、まずは話を聞いてみましょう」
「特殊災害対策課の宗祇です。この度はご協力感謝します」
公民館の会議室に入ったいさなたちを出迎えたのは、スーツ姿の男性だった。
年齢は20代半ばだろうか。細身で、一見市役所にいるような役人といった風体だが、こちらを見つめる目の鋭さはカタギのものではない。
「協会所属の遠見塚です。よろしくお願いします」
「活躍は花見川さんからお聞きしています。お若いが、腕利きだとか」
茉理が自分を評価してくれたことが単純に嬉しかった。油断すると緩みそうになる頬を引き締め、いさなは言う。
「ご期待に応えられるように、尽力します」
「宗祇ちゃんも、剣の腕には自信があるでしょ。どう、腕比べとかしてみたら」
「いいですね。機会があったら、ぜひ」
宗祇は笑って剣を振る仕草をしてみせる。
どうやら、茉理と宗祇は顔見知りのようだ。顔が広い茉理のことだから、特災課に知り合いがいても驚かない。
「さて、宗祇ちゃん。依頼について教えてくれる? 私たちは何をすればいいの?」
「はい。協会には、この馬奈守村で発生した怪異の発見と捕獲を依頼しています。おふたりにも、協力をお願いしていいでしょうか」
「発見はわかるけど、捕獲?」
「はい。撃滅は最終手段としてください。生きたまま捕獲していただければ、報酬を上乗せします。すでに出発した方が有利になってしまいますが、こちらは早い者勝ちですね」
報酬増加は魅力的だ。しかし捕獲となると、相手が何であるかにもよるが難しいなと思う。いさなは拘束の魔術なんて使えないし、捕獲に役立つ魔導具も持ってきていない。茉理はどうだろうか。
「ふうん。どんな怪異なの?」
「玉虫色、といえばあなた方には通じるかと」
姿を消したまま肩に乗っている凍月が「最悪だな」と小さくつぶやいた。いさなにはぴんとこなかったが、凍月は知っているようだ。
「熊型の怪異って聞いてたけど」表情を変えずに茉理が言う。
「それは一部ですね。熊に似た個体も確認されているようです。取り込んだのか、擬態したのか、詳細は不明ですが、分裂したものと思われます」
「本体は別にいるってこと?」
「はい。捕獲するのは本体だけで結構です」
「だけって、見分け方は?」
「――そちらにお任せします」
少し間を置いて、宗祇は言った。
いい加減だなと思う。うっかり倒してしまったらどうするのか。
「それ、駒木山の『研究所』から逃げたの?」」
茉理も施設の詳細は知らないはずだ。鎌をかけたのだろう。いさなは思わず横目で茉理の顔を見る。茉理は涼しげな顔だ。
「申し訳ありません。私には答える権限がありません」
宗祇は顔色一つ変えずに言った。
答えを言っているも同じだった。特災課の施設におそらくは研究目的で捕らえられていた何らかの怪異――玉虫色とやらが逃げたとみてまず間違いない。普段は腰が重い特災課が、今回はやけに迅速に動いたのにも納得だ。
特災課の研究所から逃げた怪異が災害を引き起こしたのだとしたら、火消しに懸命にならざるを得ない。
「なるほどね」と茉理は嘆息する。
「人的被害は出てるんですか?」
いさなが尋ねると、宗祇は痛ましげに目を伏せた。
「避難を進めてはいますが、村民に何名か死者が出ている模様です」
死者と聞いていさなの胸が苦しくなる。
怪異で死者が出るのは珍しくないし、そういった現場に居合わせるのも初めてではない。だが、だからといって慣れるものではなかった。慣れていいものでもないと思う。
「避難ね。おっきな体育館を建てたのは、今回みたいなケースを想定してたから?」
茉理の問いに、いさなはなるほどなと思う。
怪異絡みで何かあった際の避難所として使うのならば、体育館の不自然なまでの大きさにも納得できる。怪異災害を想定していたのかもしれない。
駐車場に停まっていたたくさんの車は、ほとんどが避難してきた村民たちの物だろう。
「申し訳ありません。お答えできません」
「意地悪な質問だったわね。オッケー。死者が出ている以上、私たちが見つけたら玉虫色はその場で撃滅する。残ってたら、死骸は好きになさいな」
「わかりました。それで構いません」
渋るかと思ったが、宗祇はあっさりとうなずいた。
「えらく簡単に納得するのね。言っておいてなんだけど、上に怒られない?」
「現場で臨機応変に対応したとでも伝えますよ。人命最優先です。ここだけの話、協会の方々のほとんどは花見川さんと同じ反応をしました」
宗祇は唇の端を持ち上げた。
もしも特災課の不手際が原因で発生した怪異災害であるのなら、半分以上は人災だ。即撃滅が当然の対応だろう。だというのに、よほど貴重な研究対象なのか特災課の上層部は撃滅ではなく捕獲にこだわっている。
宗祇としては、上層部の考えに納得できないところがあるのだろう。さきほど彼が一瞬見せた悼むような顔は、宗祇の素顔だったのだと思う。
「宗祇ちゃん。終わったら飲みに行きましょ。おごるわ」
「割り勘でいきましょう。楽しみにしてます」




