蛇のお迎え
指定の集合場所の最寄り駅で、いさなは電車を降りた。途端、蝉の声と熱気が身体にまとわりつく。
「鳴城も真っ青のド田舎だな。何もねえぞ」
影の中の凍月が身も蓋もないことを言った。
降り立った駅は無人駅で、駅前には店も、自販機すらない。陽炎が揺らめく細い道路が伸びているだけだ。西日が眩しくて、いさなは目を細める。
迎えが来る手はずになっているのだが、誰もいない。
荷物を抱え、いさなはひとまずペンキのはがれかけたベンチに腰を下ろした。じきに夕方だが、一向に涼しくなる気配がない。電車の中でちびちび飲んでいたペットボトルのミネラルウォーターを飲み干す。
ジーンズのポケットの携帯端末に手を伸ばしたところで、こちらに向かって走ってくる車が見えた。
蛇を思わせる個性的なデザインの車には見覚えがある。オロチという名の車だ。ヘッドライトのカバーには、蛇の瞳孔のような意匠が施されている。
『「本能の誘惑、煩悩の悦楽」ってキャッチコピー、私にぴったりだと思わない?』と持ち主が嬉しそうに言っていたのが忘れられない。
なんでも八岐大蛇を意識して作られたスーパーカーらしいが、いさなには普通の車との違いがよくわからない。男の子が見たら喜ぶのだろうか。氷魚だったらどうだろう。
「迎えって、あいつかよ」と凍月が嫌そうにつぶやく。
いさなの周りで、オロチに乗っている知り合いはひとりしかいない。
はたして、駅舎近くに停車した銀色の車から降りてきたのは、花見川茉理その人だった。
道ですれ違えば100人中100人が振り向くこと間違いなしの絶世の美青年である。スタイルもよくて、役者やモデルだと言われてもまったく違和感がない。
茉理は、惚れ惚れするような笑みを浮かべて言った。
「はぁい、いさっちゃん。久しぶりね。凍月ちゃんも元気してた?」
顔と喋り方のギャップに、初めて会う人は大抵面食らう。いさなも初見はそうだった。
顔は完全に男性だが、女性のようなメイクをしていて、オネエ言葉を話すのだ。しかも声がちょっと野太い。いい声ではあるのだが。
「お久しぶりです。茉理さん」
いさなはベンチから立ち上がって挨拶する。
「前から言ってるだろ。俺をちゃん付けで呼ぶんじゃねえ」
辺りに誰もいないことを確認し、姿を現した凍月がいさなの肩に乗って言った。
「いいじゃない。知らない仲じゃないんだし」
茉理はひらひらと手を振る。完全に女性の仕草だ。
「だから嫌なんだよ。おまえの本来の姿を知ってる俺からしたら、気色悪くてかなわんぜ」
「やだ。すっぴんのことは言わないでちょうだい」
「すっぴんって、おまえは男だろうが」
「心は乙女よ。この姿のときはね」
言って茉理は胸に手を当てた。
「――前から気になってたんだが、なんで人間に化けるとそうなるんだ」
「あら凍月ちゃん、私に興味を持ってくれたの? 以前は一切興味ないって態度だったけど」
確かにそうだ。
凍月と茉理は旧知の仲らしいが、いさなが知る限り、凍月から茉理に話しかけることはほとんどなかった。
どういう風の吹き回しだろう。
「そんなんじゃねえよ。――答えたくないなら、別に構わんぜ」
「そうねえ。答えたいのはやまやまなんだけど、どうしてこうなるか、実は私にもわからないの。不思議よね。身体は間違いなく男なのに、服は女性の物じゃないと違和感がある。任務の時は我慢するけど、スカートをはいてないと落ち着かないわ。化粧も好きだしね」
今日は任務ということもあって、茉理は動きやすいパンツスタイルだ。
オフの日の茉理はスカート姿で、どちらもよく似合っているといさなは思う。同居している真白と一緒に買い物に行ったりすると、注目の的らしい。芸能プロダクションからスカウトされたこともあるそうだ。
「よくわからんが、大変そうだな」
「ぜんぜん。私は生きたいように生きているだけよ」
「――そうか。そうだな」
ふたりの会話の邪魔をするのは気が引けるが、そろそろ仕事の話をしなくてはいけない。
「――それで茉理さん、状況は?」といさなは口を挟んだ。
「おっと。そうね。道々説明するわ。乗って」
茉理は颯爽と運転席に乗り込んだ。
いさなは分厚いドアを開けて助手席に乗り込む。デザインが凝っている分、乗り込みにくい。オロチに乗るのは初めてではないが、毎回、なんとなく蛇に丸呑みされた気分になって落ち着かない。
「じゃあ、しゅっぱーつ」
気楽な調子で言って、茉理は車を発進させた。