汝、角度を恐れよ⑥
真白は、獣が完全に出現するのを待ったりはしなかった。
氷魚から離れると、真白は構えたアサルトライフルをフルオートでぶっ放す。連続した銃声が道場内に響き渡り、排莢された大量の空薬莢が床に飛び散る。
あっという間に弾切れになった。真白は惜しげもなくアサルトライフルを手放し、今度はサブマシンガンを呼び寄せる。
再び、連射。獣の身体がずたずたになっていく。
だが――
「学習されたか」と真白がつぶやいた。
獣の身体の修復が、明らかに今までより早い。というより、銃弾がさほど効いてないように見える。
真っ先に排除すべき脅威と判断したのか、優先目標であるはずの氷魚を差し置いて、獣は真白目がけて突進した。
横っ飛びで突進を躱した真白はサブマシンガンを放り、先ほどとは別のアサルトライフルをつかみ取った。片膝立ちになって素早くレバーを切り替え、フルオートではなく3点バーストで射撃する。銃弾はいずれも獣の身体をすり抜け、道場の床に穴を開けるにとどまった。
「どうして……?」
「当たる瞬間に身体を煙に変えているようですね。微弱な魔力しか帯びていないこの銃弾では決定打を与えられません。器用な真似をしてくれます」
「いさなさんの刀みたいな武器はないんですか?」
「あんなでたらめに強力な霊刀がほいほいあってたまるものですか。私が用意できるのはこれくらいです」
ライフルを置いた真白はハーフパンツの裾をたくし上げた。太ももにナイフが入った鞘が括り付けられている。それどころではないのに、つい太ももに視線が吸い寄せられるのは男のサガか。
ナイフを引き抜いた真白は順手に構える。魔力を帯びた武器なのか、ナイフの刀身は青白く光っていた。
不浄の獣が走る。真白は腰を軽く落として迎え撃つ。間合いに入った瞬間、獣は青い膿にまみれた前脚を振りぬいた。見るも恐ろしげな爪が真白に迫る。
右足を引いてぎりぎりで爪を躱した真白は、残った左足を使い獣の側面に回り込んだ。
無防備になった獣の脇腹に、逆手に持ち替えたナイフを突き立てる。獣の口からぎゃう、という耳障りな悲鳴らしき声が漏れた。
「効いてる……?」
氷魚にはそう見えた。
しかし――
真白が後ろに大きく跳び退いた。
獣の脇腹の傷が瞬く間に修復されていく。
獣は真白にぎょろりと憎しみのこもった緑の目玉を向けて、喉の奥で低くうなる。
魔力を帯びていると思しきナイフでもダメなのか。
このままではじり貧だ。何か打開策はないのかと氷魚は道場を見渡す。
床に置いてあるアサルトライフルが目に入った。これだと思う。
自分でも、隙を作ることくらいはできるかもしれない。氷魚はアサルトライフルを拾い上げた。ずしりと、冗談では済まされないリアルな重みがあった。
男子なら、一度くらいは本物の銃を撃ちたいと夢想するのではないかと氷魚は思う。少なくとも、氷魚はそうだった。格好いい銃撃戦がある映画を観た後などは、特に。
しかし今、実銃を手にした高揚感など微塵もなく、自分の手の中に生き物の命を奪う兵器があるという事実がひたすらに怖い。
つばを飲み込む。
大丈夫、相手は人間じゃない。怪物だ。遠慮はいらない。
自分にそう言い聞かせる。
しかし拾ったはいいが、どこをどうやれば撃てるようになるのかわからない。安全装置があるはずだが。
おっかなびっくりアサルトライフルをひっくり返していると「橘さん」と真白から声がかかった。
「お気持ちは大変ありがたいのですが、暴発や誤射が怖いので、銃には触らないでください」
「で、でも」
「大丈夫ですよ」
氷魚を安心させるときのいさなのように、真白は言った。
「問題は何もありません」
そしてやっぱりいさなと同じように――微笑んだ。
なんで、と氷魚は思う。
危機的状況なのに、なんで彼女たちはああいう風に笑えるのだろう。
なんで、自分はこんなにも無力なのだろう。
獣が真白に跳びかかる。
危機的状況にも関わらず、真白に焦りの色は見えない。
そこで氷魚はようやく気づいた。真白がいるのは、魔法陣の中だ。
すなわち、角のない、円。
跳び上がった獣が魔法陣の中に入った瞬間、真白はナイフを突き立てた。獣にではなく、魔法陣が描かれた床に。
真白が吠える。
「起動!」
魔法陣が光り輝き、白い鎖が出現する。鎖は一瞬で獣に巻き付き、四肢を縛り上げて床に縫い付けた。
真白の狙いはこれだったのかと思う。効果が薄いと知りつつ銃で撃ったりナイフで刺したりしたのは、注意を真白に向けて獣を魔法陣に誘い込むための布石だったのだ。
角度に潜む怪物を仕留めるためのキルゾーンとして、円形の魔法陣以上のものはないだろう。
いさなから話を聞いた真白たちは、すぐに準備をしたに違いない。
高台で獣にマークされている氷魚を拾い、罠を仕掛けた道場に連れてきて、円の中に怪物を捕らえる。
理にかなった適切な動きに、プロの仕事だということを思い知らされた。
鎖で縛られた不浄の獣は身体を煙に変化させることもできず、虚しくもがいている。
そういえば、北欧神話でもフェンリル狼を捕まえたのは魔法の鎖だったなと思う。
「待たせたな。とっておきを持ってきたぞ」
タイミングを見計らっていたかのように、道場の扉が開いた。
姿を見せたのは、織戸と道隆だった。
織戸が手にしているスリムな土管のような代物を見て、氷魚は目をむいた。
アクション映画やテレビの紛争地帯の映像でよく見かける、弾頭が細長いひし形の対戦車擲弾を発射する兵器だ。すなわち――
「――RPG-7」
信じられない。今日一日でどれだけの武器を目にするのか。ここは本当に戦場なのかもしれない。ブラックホークが飛んできても、もう驚かない。
織戸に駆け寄った真白はRPG-7を受け取る。
道隆が嬉しそうに、
「発射機に取り付けられているのは対厄撃滅魔術付与榴弾、その名も『マジカル☆ディザスターバスター3号改』だ。急ごしらえだけど、効果は保証するよ」と説明する。
いさなの傷を治した薬や、姫の霊を可視化した粉の効果を見る限り、道隆の腕は確かだと思うが、ネーミングセンスは独特らしい。
「といっても、既存の弾薬に魔力をこめて調整しただけの代物だがな」と織戸がつぶやく。
「だけって、それが大変なのに」
「おまえ、絶対に楽しんでいたよな」
「はは、まあね。現代兵器と魔術の融合はロマンがあるからね」
「それは認める」
男性ふたりのやり取りに感想を言うのは控えたのか、真白は黙ってRPG-7を肩に担いだ。
バックブラストを恐れてか、織戸と道隆が慌てて真白の後方から離れる。
鎖に縛り付けられて動けない獣に照準し、真白はこう言った。
「地獄で会いましょう、バケモノ」
発射された榴弾が獣に直撃した。轟音と共に爆発が起こり、こめられた魔力の効果か、青白い炎が天井を焦がす勢いで巻き上がる。
浄化の炎が不浄の獣を焼き尽くしていく。
氷魚は腰を抜かしたようにへたり込んだ。
やがて炎が消えた。
獣の姿は跡形もなかった。道場の床には無残にも穴が開いていた。
氷魚は背中から倒れ込み、大の字になって道場の天井を見上げる。
青い炎で炙られたはずの天井はなぜか無事だった。最初の遭遇で氷魚が獣に投げつけたお守りの時同様、魔術的な炎だったようだ。
それにしても――
「無茶苦茶だ」
思わずつぶやいた。
主人公の活躍を隅っこで見ているアクション映画の端役はこんな気持ちなのだろうか。
真白の行動力と戦闘力があまりにも桁違いすぎて、もはや自分の無力さを嘆く気にもならない。
だが、どうやら、今回も自分は生き延びることができたらしい。
「橘さん、立てますか?」
寝転がったままでいると、顔を覗き込んだ真白が手を差し出してくれた。いつまでもこうしてはいられない。
「はい。ありがとうございます」
真白の手をつかみ、氷魚は立ち上がる。ざらついた手だった。戦う人の手なのだと思う。真白はこの小さな手で銃やナイフを握って戦ってきたのだろう。いさなが刀を握って戦ってきたように。
彼女たちは最初から強かったわけではあるまい。現在の強さを手に入れるまで、きっと血のにじむような研鑽を積んでいるはずだ。
比べて氷魚は銃の安全装置の外し方すら知らない。
生きてきた世界が違うといってしまえばそれまでだが、だからといってそこで思考を止めるのは違うと思う。
もっと知って、できれば理解したい。彼女たちが生きる世界を。




