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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第四章 怪物は角度に潜む
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汝、角度を恐れよ⑤

 氷魚ひおが乗ったことがある絶叫マシンといえば、中学の遠足で行った泉間の久我森くがもり遊園地のジェットコースターくらいだ。

 一度乗って、もう二度とジェットコースターなんかに乗るものかと心に固く誓った。

 自称絶叫マシン通のクラスメイトが得意げに、「富士急ハイランドのコースターと比べたら子どもだましだね」とか言っていたが、氷魚にとっては十分にスリリングだった。

 隣に乗っていた乗客は楽しげに手を挙げていたが、バーから手を離したら落ちるだろといわんばかりに、氷魚はずっと安全バーを握りしめていたのだ。しかも目をつぶって。


 そして今、氷魚はあの時のジェットコースター以上の恐怖を味わっている。

 緊急時だからか元からなのか、真白ましろの運転はとにかく荒っぽかった。同乗者としてはたまったものではない。怪物と同等かそれ以上の脅威だ。

 真白が減速せずにカーブに突っ込むたびに、氷魚は今度こそ死んだと思う。

 景色があっという間に後ろにすっとんでいく。どこをどう走ったかなんて覚えていられない。

 ようやくバイクが停車し、真白に「降りてください」と言われたときには、氷魚はへろへろになっていた。

 ヘルメットを外して気づく。

「――ここは」

 見覚えがある家の前だった。遠見塚とおみづか家だ。

 門の上には一羽のカラスがとまっている。カラスの区別なんて氷魚にはつかないが、どこかで見た気がする。

「間に合ったか」

「やあ氷魚くん。また今回も災難だね」

 バイクの音を聞きつけたのか、門から大男と、作務衣さむえ姿の道隆みちたかが現れた。

 バイクから降りた真白がヘルメットを外し、頭を振った。

 その拍子に、左の前髪の生え際に傷跡が見えた。昨日今日ついたものではない。古傷だ。

 氷魚の視線に気づいたのか、真白はさりげなく前髪を撫でつけて傷跡を隠す。それから大男に目を向け、

織戸おりとさん、準備は」と言う。

「ばっちりだ。道場に仕込んでおいたぞ。あとは最後の仕上げだけだ」

 織戸と呼ばれた大男はにやりと笑って親指を立てる。

「ありがとうございます。道隆さん、道場を少々ぶっ壊しても構いませんか」

 真白はヘルメットをハンドルに引っ掛け、指の骨を鳴らした。道隆は嘆息する。

「じい様が生きていたら雷が落ちるな。――まあ、仕方ない。修繕費はいさなにつけとく」

「そんな、なにをするつもりか知りませんが、元はと言えばおれが」

「いいんだよ。元はと言えばいさなの落ち度だからね。事前に気づけたはずの脅威を見逃したいさなが悪い。結果、氷魚くんを危険にさらした」

 氷魚の言葉を途中で遮り、道隆は強い口調で言い切った。

「でも、おれにも責任はあります」

 いさなたちの世界の正論ではあるのだろう。しかし、何もかもをいさなのせいにはしたくないし、第一、できない。

 最終的にかんざしを手にして過去を見たのは氷魚だったが、氷魚が不用意に井戸に入ったりしなければ、結果は違っていたかもしれない。

「いさなはプロです。あなたが気にすることではありません。それより、もう少し付き合ってもらいますよ」

「あ、ちょっと……」

 言い返す暇はなかった。氷魚の手からヘルメットを取り上げ、ヘルメットロックにかけた真白は氷魚の手首をつかむ。強引に引っ張られ、氷魚は遠見塚家の敷地内に足を踏み入れる。

 そのまま家に入るのかと思ったが、違った。

 中庭に向かった真白は、風格のある建物の前で足を止める。

「道場なので、土足厳禁です。靴を脱いでください」

 大きな家だとは思っていたが、道場まであるとは。ますます武家屋敷だ。

 言われた通り、氷魚は靴を脱ぐ。

 動きやすさを考慮してか、真白は靴下まで脱いでいた。すらりとした素足が目に眩しい。

 なんとなく素足から目を逸らしつつ、氷魚は道場に入った。

「これは――」

 氷魚は目をみはった。

 道場の中央、きれいに磨き上げられた板張りの床に不可思議な文様が描かれていた。魔法陣、だろうか。ぱっと見、直径5メートルはある。

 それよりも目を引いたのは、銃火器だ。アサルトライフルやサブマシンガンが数丁、床に並べられている。全部実銃だろう。道場にはそぐわないが、ガンマニアが見たら大喜びしそうだ。

「戦争でもはじめるつもりですか」

「さすがに大袈裟です。けど、人が怪物に勝とうと思うのなら、それくらいの覚悟は必要かもしれませんね」

 真白が手をかざす。近くにあったアサルトライフルが浮かび上がり、真白の手に吸い込まれるように収まる。

「時の腐肉食らいが来るまで、少し休んでいてください」

 どうやら、待ち伏せてここで迎え撃つつもりらしい。

 真白は銃を抱えたまま道場の壁に背を預ける。氷魚も隣に並んだ。

「橘さん、胸は痛みませんか」

「はい、今のところは大丈夫です」

「――そうですか。よかった」

 真白は安堵したように微笑んだ。

 その笑みにどきりとする。

「え、ええと。手で触れずに物を動かすなんて、ジェダイみたいですね」

 氷魚がごまかすように言うと、真白は小首をかしげた。

「ジェダイ?」

「知りませんか。『スターウォーズ』っていう映画に出てくるんですけど」

「ああ、名前だけなら聞いたことがあります。ゲームにもなってますね。ジェダイというのは、超能力者なんですか? それとも魔術師?」

 有名なSF映画だが、当然みんながみんな観ているわけではない。映画に興味がないのなら、名前すら知らなくてもおかしくはない。自分が知っている世界だけがすべてではないのだ。

「詳しく知りたいのなら映画を観てもらうとして、ジェダイを一言で説明するなら、正義の味方、でしょうか。銀河の平和を守る」

 ガチのファンはなんだその説明はと怒るかもしれないが、氷魚の認識としてはおおむねそんな感じだ。

「正義の味方――」

 口の中で言葉を転がした後、真白はふっと笑みを浮かべた。出会ってから初めて見た真白の笑顔は、どこか哀しげだった。

姫咲ひめさきさんも、正義の味方だと思います」

 気づけば、そんなことを言っていた。

「――なぜ、そう思うのですか?」

 真顔に戻った真白が問う。

「だって、おれを助けてくれたし、バイクに乗ってるのも、なんか変身ヒーローっぽいし」

「変身ヒーロー……?」

「あ、女の子に向かって言う言葉じゃなかったですね。ええと、魔法少女?」

「どこの世界にバイクに乗って銃をぶっ放す魔法少女がいるんですか」

 呆れたように真白が言う。もっともだ。

 しかし、昨今の魔法少女の多様化を鑑みれば、氷魚や真白が知らないだけで、そういう魔法少女がいてもおかしくはないと思う。

 少なくとも、現代兵器を使う魔法少女は十年くらい前のアニメで姉と一緒に見たことがある。まだ幼かったのでストーリーはよく分からなかったが、衝撃的だったのは覚えている。

「――姫咲さんも、いさなさんと同じお仕事をしてるんですよね」

 少し迷って、氷魚は言った。

 バイクの免許を持っているということは少なくとも16歳以上なのだろうが、真白の外見は自分と同じくらいか、それ以下に見える。背丈も氷魚より頭一つ低い。

 ――あれ、大型二輪の免許って18歳以上だったっけか。

 屋名池が言っていた気がする。 

 ともかく、見た目的にはまだ幼さの残る少女が銃を持って戦わなくてはいけないような、のっぴきならない理由が真白にはあるのだろう。

「橘さんは、私たちについてどれくらい知っているのですか」

「怪異と関わる仕事をしているってことくらいです」

「――そうですね。大体合ってます。もっとも、私はいさなとは立ち位置が違いますが」

「立ち位置?」

「ええ、身に大妖を宿すが故か、あの子は怪異に寄り添いすぎるきらいがある」

「それ、いけないことなんですか」

「いさなを否定するつもりはありません。ですが、最終的にやることが同じであるなら、情はかけない方がいい。私はそう考えます。じゃないと、つらいから」

 どちらが正しいという話ではないと思う。ふたりのスタンスの違いなのだ。無責任にあれこれ言う権利は、氷魚にはない。

 でも、と思う。

 真白がどのようにして現在の境地に至ったのか、それだけは気になった。

 氷魚は横目で真白の様子を窺う。

 銃を抱いてぴりっとした緊張感をまとう真白は、猫科の猛獣のような、しなやかな美しさがあった。

「私の肌の色が珍しいですか?」

 見とれていたのは間違いないが、誤解されたらしい。

「――そういうわけでは」

「母方の祖母の血です。小さい頃はよくからかわれました。真白のくせに黒いって」

 小学生あたりがいかにも言いそうな悪口だ。

「名前では、おれも散々いじられました」

「そうなんですか?」

「ええ。氷魚って名前は女の子みたいとか、魚くさいとか、そんな感じで」

 一時、そのせいで魚嫌いになったのを覚えている。食べるのはもちろん、水族館に行くのさえ嫌がった。

「橘さんは、自分の名前が嫌いですか」

「昔は嫌いでした」

 氷魚という名をつけたのは母だ。

 中学1年の頃、なんでこんな名前にしたのかと食ってかかったことがある。母は穏やかに微笑んで言った。響きがきれいでしょ、と。

 それを聞いて氷魚は何も言えなくなった。その通りだと感じたからだ。

「でも、今は違います」

 橘氷魚、悪くない名前だと今では思う。自分で自分の名前を好きになれるのなら、他人に何を言われようと気にならない。

「そうですか……」

 真白は、自分の名前が嫌いなのだろうか。

 父親か、母親か、それとも親戚か。誰が彼女にその名を付けたのかはわからないが、真白という名は、とても素敵な名前だ。彼女の雰囲気にぴったり合っている。

「おれは、きれいだと思います。真白という名前も、姫咲さん自身も」

 だから氷魚は、率直に、思ったままを口にした。

「――」

 なぜか真白が固まった。アーモンド形の目を大きく見開いて、氷魚を凝視する。

「姫咲さん、どうかしました?」

「……あ、その、昔、一度だけ同じ言葉を言われたことがあって、それで少し驚きました」

「やっぱり」と氷魚は微笑む。真白は不思議そうに、

「やっぱりって、何が?」と尋ねる。

「そう思ったのは、おれだけじゃなかったんですね」

「橘さん、あなたは……」

「――ぅ!」

 不意に、胸がずきりと痛んだ。氷魚は胸を押さえる。何度嗅いでも慣れない刺激臭が鼻をつく。

 道場の隅の角から煙が噴き出し、不浄の獣の形を取っていく。

「どうやら、おしゃべりはここまでのようですね。敵は私が引きつけます。橘さんは射線に入らない場所にいてください」

 真白は壁から背を離し、アサルトライフルを構えた。

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