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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第三章 さまよえる鎧武者
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さまよえる鎧武者

 自分が通っている塾の塾長が、男女問わずお気に入りの生徒にストーカーまがいのことをしている。そして、次のターゲットは自分かもしれない。陣屋じんやはうつむいて、そういったことを話した。

「ずっと誰かに相談したかったんです。でも、自意識過剰だって笑われるのが怖くて」

「そんなことないでしょう。陣屋さんかわいいし」

 いさなが言うと、陣屋は顔を赤らめた。

「そ、そうですか?」

「そうよ。にしても、ひどいね、その塾長。女の敵――男の敵でもあるわね」

「成敗するんですか?」

 氷魚が訊くと、いさなは苦笑する。

「時代劇じゃあるまいし、乗り込んでチャンバラするわけにもいかないでしょ」

「でも、放っておけないんですよね」

「うん――」

 いさなは考え込み、陣屋の傘に目を留めた。

「陣屋さん。塾がある日に雨が降っていたら、また送っていくよって言われると思う?」

「……絶対とは言えませんけど、たぶん。あの人、しつこいから」

「だったら、やりようはあるね」

「え?」

「いい? 陣屋さん。次にもし誘われたら、こんな感じで断って。『遠慮しておきます。怖いけど、城址を通れば早く帰れるので』ってね」

「? よくわかりませんけど、わかりました」

「『城址を通る』っていうところ、大事だから忘れないで。もちろん、実際に帰る時は通らなくていいよ。それと、雨で塾がある日は、放課後にでも連絡をくれる? 準備するから」

「準備?」

「ええ。うまくいけば、陣屋さんの心配事は解決すると思うよ」

「――?」

 陣屋が氷魚に目で問いかけるが、氷魚も答えようがなかった。

 一体、いさなはどうするつもりなのだろう。


幸恵さちえちゃん、早く来ないかな」

 夜の鳴城なるしろ城址、砂利道の中ほどに停めた車の中でバックミラーを見つめ、真田塾塾長、真田祐孝さなだすけたかはひっそりと笑みを浮かべた。

 さきほどの陣屋幸恵とのやり取りを反芻する。


 ――幸恵ちゃん。今日も雨だし、よかったら送っていくよ。家、遠いでしょ。

 ――せっかくですが、遠慮しておきます。……怖いけど、城址を通れば近道なので。


 陣屋が帰った後、真田は車で城址に先回りしたのだ。

 陣屋の、あの怯えた顔――

 陣屋はきっと、怖がりながらこの道を歩いてくるだろう。そこで自分が颯爽と登場して、送っていくよと提案する。この前も、さっきも断られたが、まさかこの状況では断るまい。

 自慢のレクサスに乗せて、陣屋を家まで送り届ける。それは本当だ。

 ただ、途中で少し寄り道をしたって構わないだろう。陣屋だって、きっと拒まないはずだ。それどころか、実はそうなることを望んでいるかもしれない。うん、そうに違いない。

 楽しくなってきた。

 鼻歌交じりに再びバックミラーを確認する。そこで真田は、辺りが暗くなっていることに気づいた。

 おかしい。

 陣屋を驚かせるためにエンジンを止めてライトを消してはいるが、それにしたって街灯が辺りを照らしているはずだ。こんなに暗いはずがない。

 外を確認したら、街灯が全部消えていた。


 鳴城城址には、鎧武者の亡霊が出る。


 有名な怪談で、もちろん真田も知っている。だけど信じてはいない。正確には信じたくない。

 幽霊なんて非科学的な存在、いるはずがないと頭で考えてはいる。だが、感情面では否定しきれていない。

 自分は雨が降る夜の城址にいるのだと、唐突に実感した。

 こめかみを汗が伝う。締め切った車内はひどく蒸し暑い。エアコンを入れたいが、エンジンをかけた瞬間に陣屋が来たらせっかくのおぜん立てが台無しだ。

 せめて喉だけでも潤そうと、真田はドリンクホルダーからペットボトルを取る。キャップを開けて口に運んだところで不意に辺りがぼんやりと明るくなった。

 街灯がついたのかと、真田は窓の外に目を向けた。

 街灯は消えたままだった。しかし、石灯籠に火が灯っていた。

「ひっ……!」

 情けない悲鳴が漏れた。思わず落としたペットボトルが膝に当たり、中身の水がこぼれて股間に染みを作る。

 頭の中が恐怖で真っ白になった。

 もはや陣屋どころではなかった。一刻も早くここから逃げ出したかった。しかしどうしたわけか、何回試してもエンジンがかからない。そんなはずがない。整備だって欠かしたことがないのに。

「レクサスなんだぞ!」

 たまらず叫んだ。

 ふと、バックミラーを影がよぎった気がした。同時に、後部座席に何者かの気配を感じた。

 振り向きたくないし、バックミラーも見たくない。確認したら最後、自分は恐怖のあまりどうにかなってしまうと思う。

 ひたりと、なにかが真田の頬に当たった。おそるおそる、目だけ動かして確かめる。

 錆びついた刀だった。

 運転席のヘッドレストを突き抜けて、刀が自分の頬に当たっている。信じがたい光景に気が狂いそうな恐怖を覚える。

「これ以上、生徒につきまとうな」

 地獄の底から響いてくるような声がした。

 耐えきれず、真田はバックミラーを見た。見てしまった。

 鎧姿の武者が映っていた。座って、刀を突き出している。

 これは現実か。夢じゃないのか。

「ぁいっ……!」

 頬に鋭い痛みが走った。バックミラーを見れば、頬から血が滴っている。

 斬られた、斬られた!

「もう一度言う。生徒につきまとうな。わかったなら、返事をしろ」

 有無を言わさぬ口調だった。もたもたしていたら、今度は首を落とされるかもしれない。

「……は、はいぃ」

 まともに思考できる状態ではなかったが、それでも生存本能が仕事をしたのか、かろうじて喉から声が出た。

「よし。ゆめゆめ忘れるなよ。俺はお前を見張っているからな」

 後部座席の気配が、ふっと消えた。

 真田はゆっくり10以上数えてから振り返る。

 誰も座っていない。刀が貫通していたはずのヘッドレストも無事だ。ただ、自分の頬から流れ出る血だけが、今の出来事が幻ではなかったことを証明していた。そして、股間の染みはこぼれた水のせいだけではなかった。

 真田は震える手でエンジンスイッチを押す。

 あれほどかからなかったエンジンが一発でかかった。


「くっははは! うまくいったな、おい」

 真田の車が逃げるように城址を去っていくのを見送って、鎧武者の兜の上に乗った凍月いてづきは楽しそうに笑った。

 いさなと氷魚は、それまで隠れて様子を窺っていた石灯籠の影から砂利道へと出ていく。

「俺たちの名演技、おまえたちにも見せたかったぜ。なあ、鎧野郎」

 雨に濡れるのもお構いなしに、凍月は上機嫌でぺしぺしと鎧武者の兜を叩いた。

「一体、どうやって脅したの?」といさなが尋ねる。

「なに、ちょっくらお願いしただけさ。やっこさん、素直に聞いてくれたぜ」

 そのお願いの仕方がどういうものだったのか、あえて聞かないでおこうと氷魚は思う。

「にしても、作戦通りでしたね」

 いさなが立てた作戦はこうだ。

 陣屋が城址を通ると知れば、ストーカー気質のある真田は高確率で先回りするはず。そこを鎧武者に脅してもらう。凍月は喋れない鎧武者の声帯役だ。

 陣屋から連絡を受けた氷魚たちは事前に城址に張り込み、鎧武者に一芝居打つように打診をしていたのだ。そうして、真田の車が来たことを確認し作戦を実行に移した。

 凍月に意志疎通を頼んだのだが、まさかこんなにうまくいくとは思わなかった。

 凍月曰く、『こっちの言うことは伝わっているみたいだが、あっちが何を考えているのかはさっぱりわからん』とのことだったので、最後まで不安だったのだ。

「しかしおまえさん、あの陣屋っていう嬢ちゃんが心配で姿を現したっていうのはマジなのか?」

 凍月の問いに、鎧武者は静かにうなずいた。その拍子に兜からずり落ちそうになった凍月は、慌てたようにいさなの肩に飛び移る。いさなは傘を凍月の方に傾けた。

「いさなさんの推理通りでしたね。でもどうしてわかったんですか?」」

 鎧武者が陣屋の前に姿を現したのは、彼女が心配だったから。いさなはそう推理したのだが、なぜそう考えたのかというのはまだ聞いていない。

「陣屋さんは、鳴城氏の傍流ぼうりゅうの子孫なのよ」

「え、そうなんですか?」

「ええ。でも、それだけだと理由としては弱い。これまで鎧武者を目撃した人全員が鳴城氏や関係者の子孫だったってわけでもないだろうし。そこで考えたの。鎧武者は、陣屋さんに会ってどうしたかったんだろうって」

「どうしたかった……」

「驚かせようっていうわけではないでしょ。顔を見たかったっていうのはあるかもしれないね」

 続きを考えてみて、というように、いさなは氷魚の目を見た。

「蛇の魔術は関係あるんですか」

「直接のきっかけではないわね。あれは『鎧武者の怪異』に便乗したものだから」

 確信のある口ぶりだった。

 いさなは、あの魔術を仕掛けたのが誰か、もしかしたら見当がついているのかもしれない。訊きたかったが、いさなの方から言い出さないのであれば、今の氷魚が知る必要はないのだろうと思いなおす。

「だったら――」

 氷魚は考える。

 鎧武者は、姫を失った絶望のあまり自ら命を絶った。結果、最後まで主君に仕えることが叶わなかった。それを悔いているのだとしたら? 彼は、どうしたいと願うだろうか。

 不意に、赤い傘が氷魚の脳裏をよぎった。

「――彼は、陣屋さんが心配事を抱えているのを感じ取って出てきたんじゃないですか。自分が仕えた主君の子孫の助けになるために。だから姫と再会できても、まだ心残りがあって成仏できなかった」

 氷魚はちらと鎧武者の亡霊に目を向けた。兜の中は再び真っ暗になっており、顔は見えない。

 いさなは微笑んだ。

「わたしもそう考えた。だから陣屋さんに聞いたの。なにか困ってないかって。そうしたら、案の定だった」

「傘を返したのは、彼のメッセージだったんですね。陣屋さんに、助けになるよと伝えてくれと」

「――ああ、そうか」

「――?」

「わたしはそこまで思い至らなかった。そうかもしれないね」

「はあ。おまえさん、呆れるくらいの忠義者だな」

 凍月が言うと、鎧武者はゆるりとかぶりを振った。

「謙遜すんなって。確かにおまえは途中で命を投げちまったかもしれねえが、おまえのおかげで陣屋の嬢ちゃんは助かったんだぜ。それでいいじゃねえか。いつまでも自分を責めるこたあねえよ」

 鎧武者が頭を上げる。やっぱり顔は見えないが、氷魚は彼が微笑んだような気がした。

 それから鎧武者は踵を返すと、公園に向かってゆっくりと歩き出す。公園には、姫が立っていた。

 ふたりは並ぶと、すうっと消えていく。

「――現世うつしよでは結ばれることが不可能だったふたりだけど、幽世かくりよだったら可能なのかもね」

 感慨深げに、いさながつぶやいた。

「そうだったら、いいですね」

 ふたりにとって哀しいことばかりの中で、それは確かな救いだと思う。

「――さ、これで本当に一件落着ね。安心したらお腹が減ってきちゃった。氷魚くん、今日こそ牛丼付き合ってくれる?」

 しんみりした気持ちが一瞬で吹き飛んだ。

「はぁ、これだもんな」

 凍月が呆れたように嘆息する。

「いいでしょ。今更よ」

「こいつ、開き直りやがった」

 お腹は減っていないし、今牛丼を食べたら明日の朝はほぼ確実に胃もたれすると思う。

 でも――

 氷魚は携帯端末で時間を確認する。ぎりぎり大丈夫だろう。家には例によって屋名池やないけと勉強すると伝えてある。

 携帯端末をしまい、氷魚は笑った。

「いいですね。行きましょう」

「そうこなくちゃ」

 いさなも嬉しそうに笑う。

 雨が降る夜に、美人の先輩と牛丼を食べる。

 たまには、そういうのもいいかもしれない。

 氷魚は、弾むような足取りで歩き出したいさなの後に続いた。


 さまよえる鎧武者 終

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。3章終了です。

 ブックマークや評価、ありがとうございます。ものすごく励みになってます。

 明日から4章を投稿しますので、よろしければまたお付き合いくださると幸いです。

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