橋の上に立つ姫君⑱
氷魚は放心したように立ち尽くす鎧武者に近寄り、簪を差し出した。
鎧武者が手を伸ばし、氷魚の手から簪を受け取る。
すると、それまで真っ暗だった兜の中に顔が現れた。彫りの深い顔立ちの男性の顔だった。
武者らしい厳めしさの中に、やさしさが見え隠れしている。
鎧武者は、じっと簪を凝視している。それから、ふと何かに気づいたように公園の方に頭を向けた。
視線の先を追う。
公園に、姫が立っていた。
ふたりはゆっくりと歩み寄り、静かに抱きしめ合う。
やっとなんだな、と氷魚は思う。
姫は、きっとずっと前から鎧武者のことを見守っていたのだろう。
簪を手にした氷魚が見た過去の光景、最後の視点はきっと亡くなった姫のものだ。姫は、どんな思いで鎧武者の最期を見届けたのか。姫の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
橋から、そして公園から、姫は亡霊となった鎧武者を見ていたに違いない。
しかし、鎧武者は気づけなかった。姫の死を受け入れられなかったからなのか、それとも他に理由があったのか、氷魚にはわからない。
だけど今、鎧武者の目を曇らせていた覆いは取り払われ、ふたりは再び出会うことができた。
怖い思いをたくさんしたけど、その甲斐はあったと思う。
姫と鎧武者は氷魚たちの方に向き直り、揃って深々と頭を下げた。
そうして、頭を上げたふたりは、柔らかく微笑んでいた。ふたりの身体が淡い光となって夜に溶けていく。
「――?」
ふたりが立っていた場所に、なにか落ちている。
近寄って確かめてみると、赤い傘だった。鎧武者と遭遇したときに陣屋が落とした傘で間違いないだろう。どうやら、拾っておいたのを律儀に返してくれたらしい。
「――終わったね」
傘を拾い上げて、いさなが呟いた。
「はい」と氷魚はうなずく。
「お腹減っちゃった。牛丼でも食べに行きたい」
「この時間にその格好でお店に入ったら、間違いなく通報されますよ」
いさなも氷魚も鳴高のジャージ姿で、しかも汚れていた。深夜で出歩いている人は少ないとはいえ、人目につかないように帰らなくてはと思う。
「だよね。はぁ、買い置きのカップ麺でいいか」
「あ、そうだ。陣屋さんにはなんて報告しますか」
「氷魚くんのお姉さんに頂いたファイルを見せて、説明するわ。ありのままは話せないけど、真実は伝えたいから。この傘も返さないとね」
「そうですね。それがいいと思います」
「とにかく、今日は帰ろうか」
いさなに促され歩き出したところで、
「――なあ」と凍月が口を開いた。
「一件落着ムードに水を差すようで悪いんだがよ、鎧野郎と姫さんの気配、まだ消えてないぜ」
一拍置いて、いさなと氷魚は口を揃えてこう言った。
「――なんでっ!?」
「それでね――」
放課後、屋上へと続く階段への踊り場で、いさなは陣屋に事の顛末を話して聞かせていた。
鎧武者がさまよっていた理由、橋の上に立つ姫君との関連性、井戸の中の簪のこと、そして、亡霊となった後にふたりがようやく出会えたこと。
水鳥から貰ったファイルを見せながら、いさなはそれらを陣屋に説明した。鎧武者との戦闘や、蛇のことは当然伏せていた。
「――というわけだったの」
「そうだったんですね」
全てを聞き終えた陣屋は、ほぅと息を吐く。
「先輩はすごいですね。鳴城7不思議の謎の1つを解いちゃうなんて。橘くんも協力したんでしょ?」
「ほどほどにね」
氷魚は曖昧に笑う。協力したといっても、自分はあくまで脇役だ。いさなと凍月がいなければ、どうにもならなかった。
「陣屋さんは、おれたちの話を信じてくれるの?」
いくら鎧武者の亡霊を目撃してるとはいえ、すぐに信じるのは難しい話ではないかと思う。
「もちろん。傘も返してもらえたし。この傘、お気に入りだったからうれしいよ」
陣屋は握りしめた傘を持ち上げる。さきほど返した赤い傘だ。
意図したわけではなかったが、傘が証拠の代わりになったようだ。
「にしても、簪を見つけたり、鎧武者とお姫様の亡霊を出会わせるとか、どうやったんですか?」
もっともな陣屋の疑問だった。
「企業秘密よ」
いさなは意味ありげに笑う。こうしておけば、相手が勝手に解釈してくれるだろうという目論見らしい。
「もしかして、先輩は霊媒なんですか。霊と交信したとか」
案の定、陣屋はそんなことを言い出した。
「霊媒なんて、よく知ってるね」
「気になって、色々調べたんですよ。オカルトや超能力って、面白いですね。で、どうなんですか。何か特別な力がなくちゃ、あんな具体的な話はできないですよね。ひょっとしてサイコメトリーの力もあったりします? 簪から記憶を読み取ったりとか?」
「ご想像にお任せするわ」
無難な躱し方だと思う。いさなは霊媒ではないが、霊に教えてもらったというのは真実なので、だましているわけでもない。
「テレビに出られるんじゃないですか。時々特番でやってますよね。超能力者が昔の事件を解決する話」
「――陣屋さん。悪いんだけど、わたしの『力』のことは伏せておいてくれるかな。あまり大っぴらにしたくないの」
いさなが重々しく言うと、それまではしゃいでいた陣屋は見る間にしおれた。
「あ……す、すみません。そうですよね。騒がれるのが嫌だっていう人も、いますものね。わかりました。誰にも言いません」
「そうしてくれると助かるわ。――ところで陣屋さん」
「はい?」
「この前、鎧武者に出会った夜だけど、なにか心配事を抱えていたりしなかった?」
陣屋の顔が、不安そうに歪む。
「え……どうして? まさかそれも視えたんですか」
「視えたっていうか、感じたっていうか。漠然としていて、具体的にはわからないけどね」
「そんなこともわかっちゃうんですね……。本当にすごいです」
「もしよければ、話してくれないかな。力になれるかもしれないから」
「霊とか怪異とか、そういう話ではないんですが」
「だったら、先輩として相談に乗るっていうのはどう? 話すだけでも楽になるかもしれないよ」
「相談……。そうですね、聞いてくれますか。嫌じゃなければ、橘くんも」
「ええ」
「おれでよければ」
「わたしが通っている塾での話なんですが――」




