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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第三章 さまよえる鎧武者
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橋の上に立つ姫君⑰

 砂利道の中ほど、以前鎧武者と遭遇そうぐうした辺りで、氷魚ひおたちは足を止めた。

「どうすんだ。また魔力を放ってみるか?」

 なぜかいさなではなく氷魚の肩に乗っている凍月いてづきが尋ねる。

「その必要はないみたいですよ」

 氷魚の手の中にあるかんざしが、淡く光っていた。

 簪に呼応するように街灯が消え、石灯籠に火が灯る。

 ゆらりと、闇の中から鎧武者が姿を現した。

 こうして会うのは2回目だ。1回目は恐怖しかなかった。でも、今回は違う。

 兜の中の顔が見えないのも、抜身の刀を持っているのも、鎧を着ているのも、今なら理由がわかる。

 氷魚は、ためらうことなく鎧武者に向かって歩を進めた。半歩後に、刀を持ったいさなが続く。

 鎧武者の間合いに入った。鎧武者はうつむいたまま動かない。

 氷魚は簪をそっと差し出す。

「あなたが姫様に送った簪です」

 鎧武者が頭を上げた。

 そして、簪に惹かれるように、刀を持っていない方の手を伸ばす。

 あと少しで簪に手が届くというところで、しかし鎧武者は動きを止めた。

 手を引っ込め、苦しそうに頭を抱える。

「う……」

 氷魚の胸が、ずきりと痛んだ。鎧武者から禍々しい気配があふれ出す。

「――小僧、下がってな」

 素直に凍月の言葉に従い、氷魚は鎧武者から距離を取った。

 兜の中から、黒い蛇が顔を見せた。こちらを威嚇するように、赤い舌をちろちろと震わせる。

「最後の最後にこれか。この魔術を仕掛けたやつはよっぽど性根が腐ってるわね」

「いさなさんが頭を落としたはずなのに」

「大元を断ち切れなかったみたいね。――今度こそ仕留める」

 背負っていたリュックを下ろしたいさなが刀の鯉口こいぐちを切った。

「待ていさな。俺にやらせろ」

 氷魚の肩からひらりと降りた凍月が言う。

「え――?」

 いさなが抜刀するよりも速く、凍月は蛇に飛びかかり首に噛みついた。そのまま鎧武者の肩を蹴って、反動で蛇を一気に引きずり出す。

 空中で身をひねり、凍月は蛇を地面に叩き付けた。蛇は凍月を振りほどこうとのたうつが、がっちり首に噛みついた凍月は離れない。

 ほどなくして、蛇はその動きを止めた。完全に蛇が沈黙したことを確認してから、ようやく凍月は口を開けた。

「凍月、いきなりすぎ」

 咎めるようにいさなが言う。

「知ってるだろ。自分でも理由はわからねえが、俺は『こいつら』がとにかく気に食わねえ。けがれたものは皆殺しだ」

「汚れたもの……?」

「氷魚くんも猿夢の中で見たよね。カエルのお化けみたいなやつ。あいつらのことよ。人にもあやかしにも等しく悪意を抱き、害をもたらす。そういう存在を、わたしたちは『汚れたもの』って呼んでるの」

 そう言われてみると、いかにもしっくりくる呼び名のように思える。

「いさな、俺に魔力を回せ。3割――いや、2割でいい」

 油断なく蛇の死骸をにらんでいた凍月がうなる。

 もはや蛇は動いていないが、まだ終わっていないのだろうか。

 いさなはとっさに刀の柄に手をかけるが、

「言ったろ。俺がやる」と凍月に言われ、刀から手を離す。

「わかった。任せる」

「ああ、任せな」

 蛇の身体が蠢動しゅんどうし、背中が割れた。蝙蝠こうもりみたいな翼が出現し、空中に浮かび上がる。見る間に身体が歪み、大きく膨れ上がっていく。

 おぞましいその光景に、鳥肌が立った。

 巨大な蛇が鎌首をもたげて、氷魚たちをにらみつける。

 でたらめすぎて、自分の目がどうにかなったのではないかと思う。

 空中に浮かぶ羽の生えた蛇というだけで十分悪夢的なのに、眼前の怪物は大きさが桁外れだった。

 うねっているので全長はわからないが、大きさは軽く見積もっても10メートル近い。そんなものが空中に浮いているのだ。もはや怪物ではなく怪獣だ。

 B級モンスター映画に出てくるCGの怪獣なんて目ではない。圧倒的な現実感を持って、空飛ぶ蛇は氷魚の目の前に存在していた。

「2割なんてけち臭いことは言わない、5割持っていって!」

「いいねえ! 大盤振る舞いじゃねえか!」

 凍月の方にも変化が起きた。小さな身体が盛り上がり、一瞬で大型犬ほどの大きさになる。

 それでもなお、蛇の大きさには遠く及ばない。一口で丸のみにされてしまいそうだ。

「いさなさん……」

 いくら凍月でも、あんなのに敵うのか。加勢した方がいいのではないか。そう提案しようと思った。

 不安そうな声で氷魚の思考が伝わったのか、いさなは笑い、

「大丈夫。凍月は、強いんだから」と言った。


 蛇が大きく口を開け、さきほどのお返しだとばかりに凍月に噛みつこうとする。


 一瞬だった。


 凍月の姿が消えたかと思うと、次の瞬間には蛇の身体がバラバラになっていた。

 自分の身に何が起こったのか、おそらく理解できていないであろう蛇の頭部がこちらに飛んでくる。

 氷魚の前に出たいさなは腰を落とすと、鯉口を切った。

 瞬きをしたわけではなかった。なのに、氷魚はその瞬間を視認できなかった。

 刀を振り上げたいさなの両脇を、真っ二つに断たれた蛇の頭部がすり抜けていく。

「――え?」

 漫画を読んでいて、山場でうっかりページを飛ばしてしまった時の感覚に似ていた。大事な場面が飛んでいる。

 凍月が何をしたのか、いさながいつ刀を抜いたのか、速すぎてわからなかった。

 呆気にとられる氷魚の前方で、血振りをしたいさなが見惚れるような動作で納刀する。

 居合とか抜刀術とか、たぶんそういうものだったのだと、ようやく理解した。

「すまん。詰めが甘かったな」

「いいよ、これくらい」

 いつの間にか小型犬の大きさに戻っていた凍月が、いさなの肩に飛び乗った。ぼけっと口を開けている氷魚にいさなは笑いかけ、

「ね、凍月は強いでしょ」と言う。

「――そうですね。ふたりとも、すごかったです」

 自分は間違いなくとんでもないものを見たというのに、月並みな感想しか出てこない。本当においしい物を食べた人間が「うまい」としか言えないのと同じなのかもしれないと思う。

「魔力、サンキューな」

 凍月が前脚をいさなに向かって突き出す。いさなは拳を軽くぶつける。

「どういたしまして。――さあ、氷魚くん」

 いさなに促されて、氷魚は簪を握りしめた。

 障害はいさなと凍月が取り除いてくれた。

 今度こそ、終わりにしようと思う。


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