橋の上に立つ姫君⑬
「凍月さんが来てくれて、よかった……」
ペンライトを手に持ち替え、氷魚は安堵の息を吐いた。
「こっちはとんだ貧乏くじだぜ。こんな辛気臭え場所で頭のネジが数本ぶっとんだ小僧と一緒なんてな」
凍月に言われて、改めて不安になった。
「……あの、おれ、やっぱりまともじゃないんでしょうか?」
凍月は呆れたように鼻を鳴らす。
「どうしてこんな無茶をしたんだよ。いさなに任せておけばよかっただろうが」
「――おれは、いさなさんの役に立ちたかったんです」
いさなには怪異を解決できる力がある。
一方、自分は特別な力を何も持っていない。だが、いさなの代わりに井戸に下りるくらいはできる。
いさなが泥にまみれるくらいなら、自分が泥だらけになった方がずっといい。
そう思ったのだ。
「だったら、せめて事前に相談くらいしろ。あいつ、マジで怒ってるぞ」
「……」
「結果的に無事だったからいいが、もしここに凶悪なバケモノがいたらどうする? あるいは死に至るような魔術が仕掛けられていたら? それでおまえが命を失ったら、いさなはどう思うだろうな」
「それは……」
姫なら、自分たちを危険な目に合わせないはずだと考えた。
しかし確たる根拠があったわけではない。ふわふわした、こうだったらいいなという甘いわたあめみたいな楽観しかなかった。
「おまえは家族に心配をかけたくないんだったよな。家族じゃない人間、いさなだったらいいのか? つーか、家族にも心配かけることになるよな。おまえに何かあったら」
「……」
反論の余地はなかった。自分がいかに浅はかで考えなしだったか、凍月の言葉で思い知らされた。無鉄砲を、いさなへの献身とはき違えていたのだ。いさなにしてみれば、いい迷惑だろう。
「おれは……」
ひとりで張り切って、突っ走って。自分は一体何をやっているのか。
氷魚は脱力のあまり、その場にへたり込みそうになる。
「反省するなら後にしろ。何のためにこんなところに来たんだ。これで成果を上げられなかったら、おまえは本物の間抜けだぞ」
その通りだった。確かに自分は考えなしだったが、ここまで来たからにはやるしかない。氷魚は萎えかけていた気力を奮い立たせる。
「そう、ですね。おれはなにを調べればいいですか」
へこんでなんていられない。やるべきことをやるのみだ。
「その意気だ。よし小僧、しゃがめ」
凍月の言葉に従って、氷魚は腰をかがめた。氷魚の肩から器用に身を乗り出した凍月が、泥土に鼻を近づけてくんくんと匂いを嗅ぐ。なにか匂うのだろうか。氷魚にはカビと土の匂いしかわからない。
「――この辺りを掘ってみろ。匂いが違う。なにかが埋まってるな」
凍月が前脚を伸ばす。
「わかりました。ちょっと失礼します」
凍月が落ちないように、ゆっくりと立ち上がった氷魚は背中のリュックから園芸用のスコップを取り出した。こんなこともあろうかと、準備しておいたのだ。
「待て小僧。そりゃだめだ」
「え、なんでですか?」
「埋まってるものが脆いものだったらどうするんだ。そんなんでザクザクやったら、下手したらぶっ壊れるぞ」
「ってことは」
「素手で掘れ」
そういうことになる。
「……わかりました」
毒を食らわば皿までだ。この際手が汚れるくらいどうってことはない。
氷魚はスコップをしまうと、再び中腰になった。左手にペンライトを持つ。
凍月の前脚が示したあたりにペンライトの光を向ける。思い切って右手を突っ込む。なにかが手に触れる感触。早くも当たりかとつまんで引き抜く。
肥え太った大きなミミズだった。
氷魚は乙女のような悲鳴を上げた。
「氷魚くん? すごい声がしたけど大丈夫?」
上からいさなの声が降ってくる。
「問題ない。小僧がでかいミミズにびびって漏らしただけだ」と凍月が答える。
「も、漏らしてはいません!」
己の名誉のため、そこだけは譲れない。
凍月がわははと楽しそうに笑う。氷魚はミミズをできるだけ遠いところに放る。真っ赤になっているであろう顔をいさなに見られずに済んだのはせめてもの救いだ。
いったん吹っ切れてしまえば、あとは楽だった。ひたすら土を掘り、かき分ける。単純作業に没頭する。
こうやって土いじりをするのは子どもの時以来だなと思う。
家の近くの公園で泥団子を作り、姉とぶつけあって遊んだことがあった。汚れて帰ってきたふたりを見て母は渋い顔をしたが、怒りはしなかった。
楽しかった? と母が尋ね、氷魚と水鳥は揃って楽しかったと答えた。それを聞いた母はよかったねと微笑んだ。
懐かしい思い出だ。姉とあんなふうに遊ぶのをやめたのは、いつからだったか。
「ん?」
どれくらい掘り進んだだろうか。人差し指の先に、何か固いものが当たる感触があった。指先で探り、つかんで引き抜く。
くっついていた泥をジャージでぬぐってペンライトで照らす。
「これは……?」
金属製の細長い装身具のようだ。簪だろうか。長い間土の中に埋まっていたはずだが、不思議と錆びついていないし、破損してもいない。
「九曜をあしらった簪だな」と凍月が言う。
「九曜?」
氷魚が首をかしげると、凍月は簪の飾り部分を前脚で指した。
「中央にでっかい丸があって、それを8つの丸が囲んでるだろ。こいつは全部星だ。で、九曜っていうのは、人間が曜日にも使ってる日月火水木金土の七曜に、羅睺と計都を加えたものだ」
「羅睺と計都って?」
「簡単に言うと、日蝕を起こすと恐れられている星さ。詳しく知りたかったら自分で調べてみな。今の人間は便利なものを持ってるだろ」
もっともだ。落ち着いたらネットで調べてみようと思う。
「にしても、九曜か。鳴城氏の家紋だな」
簪をしげしげと青い瞳で眺めて、凍月は言う。
「そうなんですか?」
「ああ。確か、鳴城の殿の祖先が戦で窮地に陥った時に、空から星が降ってきて助けてくれた、っていうのが由来だったはずだ。――その九曜が使われているっていうことは」
「この簪は、鳴城の姫様のもの――」
「可能性は高いな」
「姫様の霊は、これを見つけてほしかったんでしょうか」
「かもしれん。とりあえず、こいつが目的のブツだったと判断していいだろう。これ以上の長居は無用だ。さっさと上がろうぜ」
「ですね」
簪をハンカチでつつんで大切にしまい、氷魚が縄梯子を見上げた瞬間だった。
足を、何かにつかまれた。