橋の上に立つ姫君⑪
『市の許可が取れたよ。今晩行こう』
いさなからのメッセージが来たのは、橋を調べた次の日の夕方だった。
昨日の今日で仕事が早い。城址の井戸を調べたいと女子高生が言ったところで、市がすんなり許可をくれるとは思えないのだが、どういう経緯だったのか。猿夢のときに学校に協力を要請したのとはまた違うと思うのだが。
――それにしても早すぎる。
心の準備など何ひとつできていなかったが、待ってくださいなんて言えるわけがない。遅かれ早かれやることは変わらないのだ。覚悟を決めるしかない。
『わかりました』と氷魚はメッセージを送信して、大きく息を吐いた。
「どこの探検隊ですか?」
3度目となる夜の鳴城城址調査、待ち合わせ場所である鳴高裏門前に現れたいさなを見て、氷魚は思わずそう言った。
頭にはライト付きのヘルメット、手には軍手、足は色気も何もない無骨なゴム長だ。背中には大きなリュックを背負っている。服装は鳴高指定のジャージだった。
真夜中にこんな格好でうろついているのをお巡りさんに見つかったら、職務質問からの補導コース待ったなしである。
「井戸に入るんだから、これくらいはね。今日は氷魚くんもジャージなんだ」
「――ええ、まあ」
いさなのものほど大きくないが、リュックも背負っている。
通っている高校を特定されるものを着て夜歩きはしたくなかったが、これからすることを考慮すると、一番いい格好だったのだ。
これからすること――
自分は本当に、できるだろうか。
「よし、行こっか」
「遠見塚いさな探検隊、出発ですね」
氷魚は意識して明るい声で言った。無理にでも気分を上げていきたい。じゃないと、不安で押しつぶされそうになる。
「未確認生物でも探す? ……って、変な名前つけないで」
いっそ探すのが未確認生物ならよかったのにと思う。鳴城城址のお堀に住むナルッシーとかどうだろうか。ツチノコでも、なんだったらでっかいウシガエルを捕まえるのでもいい。自分がこれからすることに比べれば、そっちの方が遥かにマシだ。
――この期に及んで、何を今更。
くだらない妄想をしてしまうのは、弱気の虫が騒ぎ出したからだと思う。
「すみません。行きましょうか」
弱気の虫を振り払うように、氷魚は先頭に立って歩き出す。
なにかの間違いで煙のように消えてないかなと願ったが、古井戸は変わらず昨日と同じ場所にあった。
昨夜より一層不気味さが増しているように見えるのは、確実に自分の気持ちのせいだろう。
井戸に近づいたいさなは、ポケットから鍵を取り出した。鳴城市役所と刻印された大きなタグが付いている。
「市がよく許可を出しましたね」
「家の名を使ったの。市の偉い人の中には、遠見塚家の生業を知っている人がいるから」
言って、いさなは鍵を南京錠に差し込んだ。定期的に交換しているのか、そこそこ新しそうに見える南京錠のロックはすんなりと外れた。
「生業、ですか」
「そう、生業。遠見塚は昔っから怪異と関わってきたのよ」
どういうふうに、とは訊けなかった。なんとなく、いさなが望む関わり方とは違うもののような気がしたからだ。
「家の名前に頼るのは不本意なんだけどね。こういう時は便利だと思うよ」
南京錠を取り外したいさなは、今度は鎖を引っ張る。じゃらじゃらと、鎖のこすれる音が夜の城址に響いた。
「これでよし」
外した鎖と南京錠を脇に避けて、いさなは井戸を覆う蓋に手をかけた。蓋は鉄製だ。厚さはそれほどでもなさそうだが、いさなひとりに任せるわけにはいかない。いさなの反対側に回って、氷魚も蓋に手をかけた。
「手伝います」
「ありがとう。せーので行くよ。――せーの!」
いさなの掛け声に合わせ、蓋を持ち上げそろりと地面に下ろす。
露わになった井戸の中は、あえて見ない。
「結構深さがありそうね。長さ、足りるかな」
一方、まったく頓着せずに井戸の中を覗き込んだいさなは、背中のリュックを下ろすと中から縄梯子を取り出した。
「縄梯子なんて、初めて見ましたよ。それも魔法の道具ですか?」
「ううん。今日ホームセンターで買ってきたものよ」
田舎の例に漏れず、鳴城にはゾンビが攻めてきても立てこもれるような大きなホームセンターがある。あそこなら縄梯子のように日常生活ではあまり馴染みのないものが売っていてもおかしくない。
いさなは井戸の淵にフックを引っ掛け、外れないことを確認してから中に縄梯子を下ろす。
タイミングは、ここしかない。
氷魚はつばを飲み込み、
「いさなさん。ちょっといいですか」といさなに声をかけた。