橋の上に立つ姫君➆
コピー用紙をペラペラめくり、とある箇所で水鳥は指を止めた。
「鎧武者の亡霊と橋の上に立つ姫君の関係性……?」と氷魚は呟く。
「著者の考察ね。ふたりは、『橋の上に立つ姫君』の話は知ってる?」
氷魚はかぶりを振る。昔どこかで聞いた気もするが、詳細は覚えていなかった。
「城址の高台へと続く朱塗りの橋から、鳴城の姫君が身投げしたっていう話ですよね。以来、橋の上に悲しそうに立っている姫の姿が目撃されるようになった、とか」
いさなはすらすらと答えた。さすがだ。
「そうそう。心臓破りの坂の途中にある橋ね」
「心臓破り?」
「そっか。氷魚はまだマラソン大会を経験してないから知らないか。いさなちゃんが今言った、高台に通じる坂は知ってるでしょ。橋のある」
姉もちゃん付けだったが、氷魚はひとまずスルーした。
「うん、知ってる」
城址の高台には、鳴城を一望できる展望台や広場がある。そこに通じる坂に朱塗りの立派な橋が架かっているのだ。
「マラソン大会の最後の方に通るのよ。えぐいわよ。ぐるっと10キロのコースを回ってきて、右の裏門に入ればゴールの学校なのに、左に折れて城址に入るの。でもって、心も身体も疲弊しきった状態で、あんな坂を走ったらどうなるか」
「……なるほど。10月が楽しみだね」
ものすごい急勾配というわけではないが、あの坂はかなりの角度がある。心臓破りも納得だ。震えがくる。
「走り込みしといた方がいいよ。ホントに」
「で、そこの橋に姫の幽霊が出るの?」
「って言われてるわね」
ふと、氷魚はこの前の晩に目撃した、公園にたたずむ新緑色の着物を着た女性を思い出す。公園はちょうど橋の真下だ。もしかしてと思う。
「その姫ってさ、公園で目撃されたりはしてないのかな」
「あるわね。ブランコを漕いでたりするらしいわよ」
「やけに具体的だね」
「鳴城探訪に載ってるからね。地元住民からの聞き取りで、そういう話があったみたい。って氷魚、あんたもしかして見たの?」
いさなと水鳥は揃って氷魚に目を向ける。確認のためとはいえ、口が滑った。
「いや、ちょっと気になっただけ。それより、鎧武者との関連性って?」
水鳥は疑うような目をしていたが、
「――まあ、いいけど。姫の身投げだけど、理由にはいくつか説があって、一番有名なのが悲恋なのよ」と、ひとまず追及は後回しにして説明をしてくれた。あとでうまい躱し方を考えておこうと思う。
「悲恋?」
「大名の息女が自分の意志で結婚相手を選ぶなんてまず無理。時代劇でよく見るように、政略結婚が当たり前よ。好きな人と結ばれないのならいっそ、っていうことじゃない?」
「姫の恋の相手が鎧武者だった、というんですか?」
それまで黙って氷魚と水鳥の会話を聞いていたいさなが尋ねた。
「そうじゃないかって、鳴城探訪の著者、民俗学者の山峰倖造さんは書いてるわね。『戦で討ち死にしたとは考えにくい鎧武者の亡霊が、未だに城址をさまよっている理由にもなるのではないか。彼は愛した姫を今も探し求めているのかもしれない』ってさ。あたしとしては、ちょっとロマンチストすぎる気もするけど、学者ってそういう部分があるのかもね」
「鳴城近隣では戦がなかったって部長が言ってたのと繋がりますね」
氷魚が言うと、いさなはうなずいた。
「可能性として考えてもいいかも」
「確たる史料はないけど、論文を書くわけじゃない。学校新聞に使う分にはいいんじゃない?」
「そうですね。助かりました。水鳥さん、ありがとうございます」
いさなは丁寧にお辞儀をする。そんないさなを見て、水鳥はしみじみと呟いた。
「――あたし、弟より妹が欲しかったかも」
「えぇ……」
「冗談よ。半分くらいはね」
水鳥は笑ってファイルを氷魚に差し出した。
「これあげる。がんばりなさいよ、若人たち」
「自分だってまだ20だろ」
ファイルを受け取って、氷魚は苦笑した。
「高校生の輝きには負けるわ。――さて」
水鳥は、ここからが本番とばかりに居住まいを正した。まだ何かとっておきの話があるのだろうか。氷魚といさなは揃って背筋を伸ばす。
「まずは、2人の出会いから聞かせてもらえる?」
――ああ、わかっていた。これが姉という生き物なのだ。




