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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第十一章 素晴らしきかな、文化祭
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素晴らしきかな、文化祭㉞

「ミオ、起きてたの?」

「途中からね」

 氷魚ひおの腕の中を飛び出したミオは、机の上に着地した。

「それにしても、あなたたち兄妹ってどっちも不器用なのね。妹のためにあんな大がかりな空間を構築するって、どれだけなの」

「僕はともかく、いさなも不器用だと思う? あなたはいさなに会ってさほど時間は経ってないよね」

「見てればすぐにわかるでしょ」

「そうか」

 ミオと道隆みちたかは揃って氷魚を見つめ、意味ありげに笑う。

「なんですか」

「いや、別に」

「そうね」

 自分がいさなの不器用さにどう関わっているのだろうか。

 氷魚が問いただすかどうか迷っていると、「あ、ここにいた」といさなが教室に入ってきた。

 いさなは真っ先にミオに向かい、頭を下げる。

「今回は、わたしの兄が迷惑をかけてごめんなさい」

 ミオはかぶりを振る。

「気にしてないわ。楽しかったし」

 ミオもけっこう散々な目に合っていたと思うが、楽しかったというのはまんざら嘘でもなさそうだ。証拠に、ミオの尻尾はゆらりと揺れている。

「意外に寛容なんだな。もっと怒ってもいいんじゃねえか」

 いさなの足下からするっと姿を現した凍月いてづきが言った。

「あたしは心が広いの。猫にひどいことをする輩以外にはね」

「は、そうかい」

「いさな、さいかちさんは?」と、道隆が思い出したように訊く。

「気づいたらいなくなってた」

「さすがぬらりひょんだな。いさなにも見つかったし、僕もそろそろ退散しよう」

「兄さんにはあとでお話があります。家に行くから、逃げないでね」

 いさながにらみつけると、道隆は観念したように肩をすくめた。

「わかったよ。晩ごはんを作って待ってる。それじゃ氷魚くん、ミオさん、またね」

「はい。また」

 道隆はひらっと大きな手を振り、教室を出ていった。

 いさなは細い息を吐き出すと、氷魚たちに向き直った。

「ところで、兄さんとなんの話をしてたの?」

 やはりそう来るかと思う。やましいところはないのだが、正直には言いにくい。

「世間話みたいなものです。ね、ミオ」

 なるべく自然に聞こえるように意識して氷魚は言う。

「ええ、あなたたち兄妹がいかに不器用かという話をしてたわ」

「み、ミオ……」

 身も蓋もなかった。嘘ではないが台無しである。

 いさなは「そっか」と苦笑する。

「いえ、あの、おれは……」

 自分は違うとは言えない。否定も肯定もしなかったからだ。

「わたしは否定できないよ。見ての通りだから」

 いさなは、おどけたように両手を広げる。

「いさなさんは、器用だと思いますよ。その、箸の使い方とか。魚もきれいに食べるし、フォークやナイフの扱い方も上手だと思います。刀だけじゃなくて」

 我ながら苦しい言い訳だった。誰も手先の器用さの話はしていない。そしてなぜか食事に関することばかりだった。

「――氷魚くん、高校を卒業したあとのことは考えてる?」

「え?」

 急にどうしたのだろう。

 氷魚が戸惑っていると、いさなは無言のまま目で先を促した。

「たぶん、大学に行くと思います」

 鳴高は進学校で、氷魚が通う特進科はさらに進学に特化している。ほとんどのクラスメイトは大学受験をするだろう。

「大学で学びたいことは見つかってるの?」

「正直、まだはっきりとは」

 1年生でも、すでに進路を決めているクラスメイトはいる。氷魚には、そういう人がまぶしく見えていた。

「でも」と氷魚は続ける。

「民俗学とか、面白そうだなって思ってます」

 民間の風俗や習慣を研究する。内容によっては、あやかし関連も学ぶことができる学問だ。調べているうちに、興味が湧いたのだ。

「民俗学か。いいね」といさなは笑った。どこか寂しそうに見える笑みだった。

「いさなさんも、大学に行くんですよね」

 氷魚が言うと、いさなは目を伏せた。

「どうかな」

「協会の人でも、大学生はいるのでは」

 高校生のいさなが協会の仕事をしているのだから、大学生の許可証持ちもいるだろう。案の定、いさなはうなずいた。

「うん、いるよ」

「だったら」

「わたしはうまく想像ができない。大学生になった自分っていうのかな、そういうのが。将来やることに変わりはないわけだし」

 言って、いさなは自分の左腰を叩いた。

「でも、協会の仕事だけを生業にする必要はないんですよね?」と氷魚は尋ねる。

「ああ、他の仕事と掛け持ちしてるやつもいるぜ。ほら、夏休みに会った沖津なんかは、雑貨屋をやってただろ。裏では魔導具を商ってもいたけどな」

 そう言ったのは凍月だった。

「それなら、パティシエールって選択肢もあるんじゃないんですか。手先も器用ですし」

「パティシエールって……」

「いさなさん、言ったじゃないですか。小さい頃の夢はパティシエールだったって」

「言ったけど……。お菓子屋さんで許可証持ちなんて、さすがに聞いたことないよ」とかぶりを振る。

「だったら、いさなさんが先駆者になっちゃうってのはどうです?」

 普段の自分なら絶対しない提案だなと氷魚は言ってから思う。文化祭という非日常の空間で、少しだけ気が大きくなっているのかもしれない。

「わたしが……?」

 いさなは想像すらしなかった、という顔で考え込む。

「いいんじゃねえか。ほら、最近はやりの古民家カフェってのがあるだろ。鳴城ならぼろい建物には事欠かねえ。適当なのを一件買い取って店にするのさ」

 凍月が話に乗ってきた。言い方は乱暴だが、鳴城には古民家カフェに向いていそうな建物が多いのは事実だ。

「従業員には、そうだな、俺たちの事情をよぉーく知ってるやつを雇うってのはどうだ」

 凍月は氷魚に視線を向けてにやりと笑う。凍月の意図はすぐに察することができた。氷魚も笑みを返す。

「いいですね。バイトにちょうどよさそうです」

 一般客に混じって、あやかしたちもやってくる古民家カフェ。想像するだけでも面白そうだ。

「あたしも招き猫として雇ってよ」とミオも言う。猫の神様の招き猫、きっと御利益があるに違いない。

「そんな、簡単に」

 あきれ顔でいさなは言う。

「簡単じゃなくても、可能性なんだ、いさな」

 不意に、凍月は声のトーンを変えた。

「どうしたの、急に真面目な顔になって」

「俺は確かにおまえを影無に選んだ。けど、型にはめた覚えはない。影無だからって、自分で自分の可能性を狭めちまう必要はないんだよ」

 いさなの瞳が戸惑ったように揺れた。

「でも……」

「歴代影無の中には、責務を果たしつつも自分に正直に生きたやつがたくさんいる。おまえのじいさまだって、そうだ」

「おじいさまが?」

「ああ、晩年は厳格を絵に描いたようなじじいになってたけどな。若い頃は相当無茶苦茶やってたんだぜ」

「……そういえば、沢音さわねさんもそんなことを言ってた気がする」

「あいつは女好きでもあったからな。だから――って続けるのもなんだが、いさな、おまえも、おまえの好きなように生きたらいいんだ。影無だけに縛られることはない。パティシエールだってなんだって、やってみりゃあいい」

「それ、無責任じゃない?」

「かもな。俺は選ぶだけだから」凍月は渋い笑みを浮かべた。

 いさなは嘆息すると、窓際に行き外に目を向ける。氷魚も釣られて外を見た。夕暮れの空が鮮やかだった。

「もうすぐ文化祭も終わっちゃうね」

「ですね」

「前はぜんぜん意識しなかったけど、学校行事が終わるたび、卒業が近づいてくるんだなって思うようになったよ」

 いさなはそう言って、窓に背を向けた。

「氷魚くんと出会ってからね」

「おれと?」

「うん。味気ない高校生活が、楽しくなったんだ」

 だから、といさなは続ける。

「終わるのが、惜しくなっちゃったのかもしれない」

 自分がいさなにさほど影響を与えたとは氷魚には思えないが、いさなの中でなにかが変わったのは事実らしい。

 考えられるのは、氷魚がなんら特別な力を持っていない一般人だということだ。

 いさなの周りには凍月のようなあやかし、道隆や真白といった特異な力を持った人たちが当たり前のように存在している。

 そんな中で、氷魚はいさなにとって『普通』との繋がりなのかもしれない。そしてもしかしたら、いさなはそういった『普通』に、憧憬にも似た気持ちを抱いているのかもしれない。

 だったら――

「――終わりませんよ」

 そう思ったら、自然と口が動いていた。

「え?」

「いつまでも高校生ではいられませんけど、おれといさなさんの関係って、終わりませんよね。さっき凍月さんが言ってたみたいに、いさなさんが店を持つならおれを雇ってほしいですし、もし大学に行くにしても、いまみたいに仕事の手伝いをさせてほしいです。……もちろん、いさなさんが愛想を尽かしたとかなら話は別ですけど」

「え、でも、なんにしたって、まだ先の話だよ。進路は、いますぐには決められない」

「ってことは、選択肢が増えたんですね」

 言われて初めていさなは気づいたように、

「――そう、かもしれない」とうなずいた。

 それから自分の手をじっと見つめて、

「氷魚くんは、わたしにパティシエールが務まると思う?」

 あるいはいさなは、自分の手にいままで斬ってきた怪異を重ねて見ているのかもしれない。

 斬った怪異の数だけ、いさなの手にはその重みがかかっているのだろうか。

 なればこそ、なにかを作るという行為はいさなにとって重要なのではないか。

 重みで潰れてしまわないように。

 氷魚は、ことさら明るい声で言った。

「できますよ。だっていさなさん、食べるのが大好きでしょう?」

 氷魚の言葉を聞いたいさなが、破顔する。

「そうだね。大好きだ。――目指してみようかな。史上初の許可証持ち兼お菓子屋さん」

「応援します」

「うん、よろしく。もし実現したら、高給で雇うからね」

「時給250円でも構いませんよ」

「なにそれ。安すぎ」

「ねえ、いい感じのところ悪いんだけど、そろそろ帰った方がいいんじゃない? あたしがいないのがばれたら、面倒でしょ」

 ミオの言葉で、氷魚は状況を思い出した。槐は、ミオをさらってきたのだ。

「もう、ばれてるかも……」

 今頃、橘家ではミオを大捜索しているかもしれない。

 いや待て。家族は氷魚を冷やかした帰り際、この後どこかに寄って行こうかと言っていた。だとしたらまだチャンスはある。

「いさなさん、おれ、片付け前にミオを家まで届けてきます」

「わかった。気をつけて」

 氷魚はミオをそっと抱き上げると、制服の下に隠した。いくら文化祭でも猫を連れ込んでいるのを見つかったら大目玉だ。

「ちょっと、もう少しやさしく扱ってよ」

「ごめん。少しの間だから、我慢して。じゃあいさなさん、行ってきます」

 教室を出ようとした氷魚の背中に、「氷魚くん」といさなの声がかかった。

「はい?」

 氷魚が振り向くと、いさなは希望半分、不安半分の表情で言った。

「わたしは、がんばってみるよ」

「――はい」 

 いさなの希望もわかるし、不安もわかる。

 許可証持ちと菓子職人の二足のわらじは、口で言うほど簡単ではないだろう。

 春夜の問題だってある。

 いさなが歩く道は、決して平坦ではない。どんな選択をしても、きっと困難はついて回る。

 決して長くない時間だが、これまでいさなと一緒にいてそれを痛いほど実感している。時には氷魚自身が傷つくこともあった。

 それでも、と氷魚は思う。

 これからも、いさなにそっと寄り添っていたい。

 願わくば、いさなが穏やかな時を手にすることができるまで。


 そしてミオを懐に抱き、氷魚は教室を出た。






 素晴らしきかな、文化祭     終


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