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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第三章 さまよえる鎧武者
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氷魚の長い1日⑪

 鎧武者の亡霊と遭遇そうぐうして、一戦を交えたいさなが怪我をした。

 言葉にすればシンプルだが、現実感が追いついてこない。

 今までどれくらい戦ってきたんですか、とか、傷は痛みませんか、といった訊いたところで自分にはどうしようもない質問がいくつも頭に浮かぶが、その度にいさなの腕に巻かれたハンカチが目に入り、氷魚ひおは結局何も言えなくなる。

 雨が降る真夜中の城址じょうしで、赤く染まったハンカチだけが確かな存在感を持ってくっきりと浮かび上がっていた。

 氷魚はなんとなく携帯端末を取り出して時刻を確認する。0時半。いつの間にか日付が変わっていた。

 とんでもなく長い1日だったと思う。朝からいろんなことがありすぎた。

 頭をこねくり回したが、いさなにかける言葉はついぞ思いつかず、氷魚は黙って砂利道に視線を落とす。

 いつの間にか再開していたウシガエルの合唱会がにぎやかだった。

 お堀のカエルと大淵おおぶち公園の池のカエルは親戚なのだろうかと、どうでもいいことをぼんやり考える。


 あれは確か小学校3年か4年のころだった。頻繁ひんぱんに鼻をほじることと怖い話がうまいこと足が速いことで有名な石谷いしたにが、休日を丸々1日使って大淵公園の池で捕まえたというでっかいウシガエルを教室に持ってきた。教室の水槽で飼うつもりだったらしい。

 子どもの顔くらいのサイズのウシガエルは小学生にとって妖怪変化ようかいへんげと大差なく、女子も男子も仲良く揃って悲鳴を上げて、当然先生にはめちゃくちゃ怒られて、石谷は責任を持って池に帰してこいと鬼の形相ぎょうそうで告げられた。

 朝の学級会の途中で教室を飛び出した石谷は、1時間目が始まる前に戻ってきた。俊足しゅんそくだとしても早すぎる。聞けばウシガエルを公園の池ではなく、学校近くのお堀に放したという。

 人間側はそれで一応の手打ちとなったが、一方的な被害者となったウシガエルはたまったものではなかったはずだ。

 安住の地であったはずの公園の池から連れ去られて、小学生に悲鳴を上げられた挙句あげく、異国も同然のお堀に放り込まれたウシガエルはうまくやっていけたのだろうか。

 よそ者として、他のウシガエルにいじめられたりしなかっただろうか。

 同じ種族同士でいがみ合うことがなければいいと思う。

 ウシガエルが外来種で厄介者と知ったのは、小学校を卒業した後のことだ。厄介者を食べてやろうというテレビの企画で調理されているのを見て、衝撃を受けた。

 しかし、厄介者だと知っても、あの時感じた思いは変わらなかった。

 同じ種族から爪弾きにされるのがつらいのは、人間だけではないはずだ。

「怖い思いをさせちゃってごめんね」

 左腕を押さえて、ぽつりといさなが言った。それで、空回りしていた頭がようやくまともな思考を始めた。

「いえ、おれは……怖くないと言ったら嘘だけど、いさなさんが戦ってくれたから」

「最初にどじっちゃった。罠に気づけなかった。戦う必要はなかったかもしれないのに」

「さっき言ってた魔術ですよね。鎧武者を凶暴化させるとかいう。あの蛇みたいなやつがそうだったんですか」

「ええ。蛇の形を取っていたわね。わたしを標的としたものかはわからないけど、専門家を狙い撃ちにするものだったのは間違いない。完全にしてやられたわ」

「誰がそんなことを……。まさか陣屋じんやさんじゃないですよね」

 証拠もないのに疑いたくはないが、鎧武者の話を持ち込んだのは陣屋だ。もしかしたらと思ってしまう。

「その点は安心して。陣屋さんが仕掛けた可能性は、極めて低いと思う」

「確信があるみたいですね」

「調べてもらったから。陣屋さんの家は両親揃って製薬会社の研究職。親類縁者、更に先祖にさかのぼっても魔術と関わりのありそうな人物はいない。そんな環境で陣屋さんが隠れて独学で魔術の練習をしてましたなんて、無理があるわ」

「調べたって、いつの間に」

「猿夢騒動の後よ。念のため、関わった人たちみんなを洗う必要があったの」

 やることが公安じみている。一個人では難しいだろう。いさなは政府の人間ではないらしいが、一体どんな人脈があるのか。

「な、なるほど」

 ともかく、いさなの話には専門家ならではの説得力があった。氷魚は、考えなしで陣屋を疑ったことが恥ずかしくなった。

 それはそうと、自分の過去も洗われたのだろうか。

 お天道様に顔向けできないようなことはしていないのでその点は安心だが、自分では忘れてしまった恥ずかしい過去を、いさなに知られたかもしれないというのが恐ろしい。

「それに、わたしには陣屋さんが演技しているようには見えなかったわ」

「確かに、あれが演技だったらアカデミー主演女優賞並ですね」

 大げさかもしれないが、陣屋の話にはそれだけリアリティーがあった。

「そもそも手段が問題なの。怪異に干渉して性質を捻じ曲げるなんて、よほど魔術に通じていないと無理よ。一朝一夕でどうにかなるものじゃない」

 手段と聞いて、氷魚の頭に閃くものがあった。

「アプリだったらどうでしょうか。陣屋さんじゃないにしても、誰でも使えるんじゃないですか」

「アプリ?」

葉山はやまさんから聞きました。猿夢はアプリを使って発動したと」

「ああ、葉山さんは氷魚くんに話したのね」

「まずかったですか」

 葉山に口止めはされなかったが、口が滑ったかもしれない。

「まずくはないわ。氷魚くん相手ならね。無論、関係者以外には口外禁止だけど」

「実際のところ、可能なんでしょうか」

「可能か不可能かで言えば、まず不可能と言っていいでしょうね。『魔術をアプリに落とし込んで他者が容易に使用できるようにする』なんて、人間業じゃない。人が使える魔術の領域を超えているわ」

「でも、葉山さんは実際に猿夢を発動させてましたよね」

「――そこなのよ。葉山さんが使ったという猿夢アプリに関しては、謎が多いの。アプリが消えてしまったこともあって、どういったものかまったく解明されてないの。誰が何のために作ったのか、さっぱりわからないみたい。そもそも、本当にアプリだったのかっていう問題もあるわね。アプリに偽装した『何か』だった可能性もある」

「そうだったんですね……」

「ただ……」

 いさなはそこで口ごもる。

「どうしたんです?」

「ん……ごめん。やっぱり、今の段階ではまだなんとも言えない」

 気にはなるが、無理に聞き出す気にはなれなかった。今日だけで、いさなはたくさんの話をしてくれたと思う。それでもまだ、氷山の一角に過ぎないのだろう。

「それで、次はなにを調べますか。まさかおれはここでお役御免とか言いませんよね」

 氷魚は意識して明るい声を出す。この件はまだ解決してないのだ。

「いいの?」

「もちろん」

 いさなは口を開きかけ、何かをこらえるように閉じ、それからまた開いた。

「――だったら、次に調べるのは怪談の背景ね。どうして鎧武者の亡霊が城址に出るようになったのか。理由が必ずあるはずよ」

「……亡霊、消えてしまいましたが、まだいるんですよね」

 周囲には何の気配もない。石灯籠も沈黙している。

「一時的に退いただけね。元々、女子供おんなこどもに剣を向けるような人ではなかったんだと思う。魔術でおかしくなっていたけど、わたしを斬って正気に戻ったみたい」

「あの鎧武者は本物の亡霊だったんですか。負の思念の集合体とかではなくて」

「実際に相対した感じ、本物だと思う。負の思念で発生した怪異はぼんやりしているものが多いの。星山くんに憑いた手みたいにね。もちろん、例外はあるけど」

「解放するって言ってましたけど、いさなさんの刀で斬るだけじゃだめなんですか。亡霊にも通用するんですよね」

「通用するけど、わたしの刀で斬るのは、力任せに祓っているようなものなの。凶暴な悪霊ならともかく、あの鎧武者は善良だと思う。できるなら、自然に成仏してほしい」

「――ああ、だから調査するんですね。鎧武者がこの城址に繋ぎ留められている理由を見つけて、心残りとかがあれば解決する」

「そう。そういうことよ」

 いさなが嬉しそうな笑みを見せた。

「人だけじゃないんですね。いさなさんはあやかしの立場も慮る。決して一方的じゃない」

「それがわたしたちの仕事だからね」

 いさなは気負いなく言った。

 仕事だからというのはもちろん理由の一つではあるだろう。でも、それだけじゃないと氷魚は思う。

 いさなは、怪異を理解したいのではないか。だから怖い話や都市伝説を好むのではないか。

 理解して、解き明かして、できるなら、寄り添いたいと考えているのではないか。

 もちろんすべては氷魚の推測だ。しかし、いさなの怪異に対する態度を見る限り、まるきりの的外れでもないと思う。

 そんなことを考えていると、車のヘッドライトが見えた。ほどなくして現れた車が氷魚たちの前で止まる。

「お待たせ。さあ2人とも乗って」

 窓ガラスが開いて、道隆みちたかが顔を見せた。

「おれもですか? 寄り道になっちゃいますが」

「いいから。たいして変わらないわ」といさなが促す。

 一応遠慮したが、正直1人でここから帰るのは怖いので送ってもらえるのはありがたい。

「では、お願いします」

 傘をたたんで、2人は車に乗り込む。

 シートに身体を預けた氷魚は、ふと後頭部に視線を感じた気がした。もしかして、またあの三毛猫だろうか。

 氷魚は首をねじって後ろを見る。

 違う。猫ではない。

 走り出した車の後ろ、小さくなっていく公園のブランコの辺りに誰か立っている。

 夜目にも鮮やかな、新緑色の着物を着た女性だった。

 輪郭りんかくはおぼろげで、明らかに常世とこよのものではないと直感した。しかし、不思議と恐怖は感じなかった。

 いさなに声をかけようとして、氷魚は寸前で思いとどまった。いさなは、目を閉じていた。顔には疲労の色が濃い。

 危険な存在なら、きっと凍月いてづきが警告するはずだ。それがないのなら、今自分が無理に言う必要はない。余計な負担になってしまうだろう。

「氷魚くんの家は、どのへんかな」

 大手門おおてもんを出たところで、道隆が口を開く。

「――と。近くにコンビニがあるので、そこの駐車場で降ろしてください」

「ここから近いコンビニっていうと、ゴーソン?」

『ゴーソンにゴー』という、思いつくのに10秒もかかってなさそうなキャッチコピーで有名なコンビニだ。

「あ、そうです。説明足らずですみません」

 頭がうまく回っていない。いくらコンビニが少ない鳴城なるしろとはいえ、名前も出さずにわかるわけがない。

「いいよ、疲れてるだろ。すぐ着くから、それまで楽にしてて」

 道隆の言葉に甘えて、氷魚はシートに深く身を沈める。車なら5分もかからない。眠るつもりはなかったが、気が抜けたのか自然とまぶたが重くなる。

「着いたよ」と、道隆に声をかけられたときには、もうゴーソンの駐車場だった。コンビニの照明がしょぼついた目にまぶしい。

 礼を言って車を降りる。年季の入ったゾンビみたいな足取りで、氷魚はようやく我が家に帰り着いた。音を立てないよう細心の注意を払い、自分の部屋に入りベッドに倒れ込む。

 鼻から安堵あんどの息が漏れた。日付は変わってしまったが、ようやく今日が終わるのだという実感が追いついてきた。

 いろんなことがあったし、いろんなことを知った。

 あまりにも濃密な1日だった。自分が今まで生きてきた中でも1番かもしれない。

 疲れ切っているはずなのに、変に気が高ぶっている。明日も学校があるのに、眠れなかったらどうしよう。

 しかし、その心配は杞憂きゆうだった。

 目を閉じたら、すとんと意識がなくなった。


 そうして、氷魚の長い1日が終わる。

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