素晴らしきかな、文化祭㉛
いさなが実際に戦っていたのは数分だっただろうか。氷魚の目には、一瞬の出来事に映った。
いさなが残心を解いたのを見て、駆け寄る。
「いさなさん、いつも以上にすごかったです」
氷魚が言うと、いさなは照れくさそうにはにかんだ。
「ありがと。自分で言うのもなんだけど、いまの戦いは調子がよかったんだ。おじいさまに稽古をつけてもらったからかな」
「あれって稽古だったんですか? てっきり試練の一部だと思ってました」
氷魚の目から見たいさなと桜馬の戦闘は激しいものだった。命の取り合いといわれても納得するくらいに。
「稽古だよ。最後のね」
いさなは晴れがましく笑った。
「最後……」
確かにその通りだ。死者である桜馬と再会するなど、本来ならば叶わないことだった。
いさなはきっと桜馬を慕っていた。
師として――何より祖父として。
ありえないはずの再会は試練などではなく、いさなにとっての救いだったのかもしれない。
「わたしはまだまだだけど、でも――」
いさなは刀の柄をそっと撫でる。
「少しは、ましになれたんだと思う」
「そうだな。でなけりゃ、俺の目が節穴だったってなっちまう」
いさなの肩に跳び乗った凍月が、前脚でいさなの頬をつついた。いさなは凍月の頭を撫でる。
「そうだね。凍月の選択は間違ってなかったって、証明しなくちゃ」
「間違いではなかったと思うよ」
唐突に、側面から声がした。
氷魚たちが目を向けると、人体模型が笑みを浮かべて立っている。いつの間に現れたのだろう。まるで気配を感じなかった。
いさなは即座に臨戦態勢を取った。氷魚は言われる前にいさなの後ろに待避する。
「待った。こちらにはもう戦う意志はない」
人体模型はわざとらしく両手を挙げる。この声、聞き覚えがある。それに、気配を感じさせなかったのは――
「もしかして、槐さん、ですか」
氷魚が言うと、人体模型は嬉しそうに手を叩いた。
「当たりだ、少年」
そうして、『トータル・リコール』のワンシーンのように、人体模型の身体が頭から両側に割れていく。中に入っていたのはスーツ姿の老人――槐だった。
「ミオをどこにやったんですか」
いさなの背後から進み出て、氷魚は口を開いた。
いまさら害を加えるとは考えにくいが、このあやかしはどうにも信用できない。
氷魚の問いを受け流すように、槐は両手を広げた。
「一足先にきみたちの世界に帰ってもらったよ」
「だったら、俺たちもさっさと帰せよ」と凍月がすごむ。
「その前に、1つだけ訊かせて」
刀の柄から手を離したいさなが口を開く。
「いいとも。なにかな?」
「おじいさまの霊体を、どうやって呼び出したの?」
氷魚はなんとなしに魔術だと思っていたが、違うのだろうか。降霊術みたいなものもあるのかもしれない。
「きみには答えがわかっているんじゃないかな」
槐の言葉に、いさなはびくりと身を震わせると、刀に目を落とした。
「なら、彰也も……?」
なぜ、ここで彰也の名前が出てくるのか。氷魚には見当がつかないが、影無にしかわからないなにかがあるのか。
「さあ、どうかな」
槐は、人を食ったような笑みを浮かべた。
「わたしが死んだら、また会える?」
どういう意味だろうか。いや、それよりも――
気づけば氷魚はいさなの腕をつかんでいた。
「……氷魚くん?」
いさなのいぶかしげな声で、氷魚は慌てて手を離す。
「あ、ご、ごめんなさい」
「――こちらこそ、ごめん。おかしなことを言って」
「その、おれは……いさなさんに、長生きしてほしいです」
我ながらひねりのないセリフだとは思うが、氷魚の本心だった。
しばしきょとんとしていたいさなだったが、やがて破顔した。
「そうだね。そうなったら、いいかもね」
「桜馬だってあんなしわくちゃのじじいになったんだ。おまえもばばあになるさ」
凍月がぶっきらぼうに言う。
「――うん。ありがと。ふたりとも」
いさなは氷魚の手を取り、そっと握った。
「もう、いいかな?」
槐の言葉に、いさなはうなずいた。
「はい。もうだいじょうぶ」
「なら、そろそろお開きにしようか」
「なにがお開きだ。てめえの都合で好き勝手やりやがって」
凍月の毒舌を笑って受け流すと、槐は指を鳴らした。
そして、異界学校に来たときと同じように、視界が歪んだ。




