素晴らしきかな、文化祭㉗
思えば、一度だって稽古で桜馬に勝ったことはなかった。いつだって負けてばっかりで、でもそれは当たり前だった。
だって自分には才能がないから。
魔術だけじゃない。剣術の才だって、彰也や春夜と比べたら明確に劣っていた。
なのにどうして、自分は――
木刀が体育館の床に落ちる音で、いさなは我に返った。
――勝った、の?
すぐには信じられなかった。しかし、手のしびれと、床に転がった桜馬の木刀は揺るがぬ事実だった。
桜馬は姿勢を正し、いさなに向かって一礼する。
呆然としていたのも束の間、いさなは木刀を下ろし、深々と頭を下げた。
「――ありがとうございました」
途端、どっと脱力した。紛れもなく、全力を使い果たした。
立っていられなくなり、いさなはその場に膝をついた。
氷魚が近づいてくる気配があった。
「……どうして」
我知らず言葉が漏れる。氷魚の足音が後方で止まる。顔を上げる。
いさなは、生前と変わらぬいかめしい顔つきの祖父をじっと見つめた。
「どうして、わたしなのですか?」
桜馬はなにも答えない。ただ黙って見つめ返してくる。
「わたしを選んだ理由を、凍月は教えてくれません。おじいさまには心当たりがありますか?」
桜馬が無言で近づいてくる。
「絡新婦の沢音さんから聞きました。次の影無は彰也かわたしだとおじいさまが言っていたと。でも……」
再びうつむく。
「……わたしには、理由がわからないのです」
無能でも影無に選ばれたのは、遠見塚の血が流れていたから。最低限の資格はあった。
選ばれたからには責務を全うしようと考えていたし、そうしてきた。
だけど――
ずっと誰かに教えてほしかった。自分が影無に選ばれた理由を。
おまえには本当の意味での資格があるから安心しろと、保証してほしかったのかもしれない。
唯一それができるはずの凍月は黙して語らず、先代の影無である彰也はもういない。
先々代の桜馬にこうした形で会えたのは、あるいは千載一遇の好機なのかもしれなかった。
桜馬がかがみ込み、いさなと目線を合わせる。
驚くほど穏やかな顔つきをした祖父の顔が、そこにはあった。
「おじいさま……」
桜馬は、いさなが手にしている木刀を指さした。
目を向ける。
木刀は、淡い輝きを放っていた。
輝きは見る間に強くなっていき、やがて木刀を完全に包み込んだ。
そして、木刀は一際強い輝きを放ち、いさなは思わず目を閉じる。
「――っ!?」
次にいさなが目を開けたとき、木刀は見慣れた刀へと姿を変えていた。
「わたしの、刀……?」
桜馬はやはりなにも言わず、自分の胸に手を当てたあと、いさなの頭をなでた。
「え……?」
祖父に頭を撫でられた記憶はない。両親にも。
壊れ物でも扱うように、祖父はごつごつした手のひらでいさなの頭を撫でる。
初めてのやさしい感触に、いさなの目頭が熱くなった。
「おじいさま、わたしは――」
祖父が手を離し、大きくうなずく。そして、一歩後ろに下がった。
「! 待って、待ってください!」
祖父の口が動いた。なにを言ったのか、聞き取ることはできなかった。
祖父の身体が淡い光に包まれる。
祖父が消えていく。
せめて、と思う。
せめて、これだけは。
「――おじいさま。また会えて、嬉しかったです」
最後に祖父は、やさしく微笑んだ。




