素晴らしきかな、文化祭㉕
「いさなさん。あれって木刀じゃないですか」
氷魚は壁をライトで照らす。
「本当だ。どうしていままで気づかなかったのかな」
首をかしげて、いさなは木刀に近づいた。手に取ってじっと眺める。
「ずいぶん年季が入ってる。材質はなんだろう……」
「木刀に使われる木材って、たくさん種類があるんですか?」
普段意識したことがないので、さっぱり見当がつかない。氷魚にとっての木刀は、観光地の土産物屋で売っているものという印象が強い。
「あるね。赤樫が使われることが多いけど、これはわからないな」
言って、いさなは軽く木刀を振ってみせる。鋭い音がした。
「うん、しっくりくる」
「なら、その木刀を持っていきますか?」
「そうだね……」
いさなはどこか浮かない顔だった。木刀が気に入らなかったのだろうか。
「やっぱり、違う武器を探しましょうか」
氷魚が言うと、いさなはゆるりと首を横に振る。
「……ごめん。そうじゃないの」
そして、木刀を下ろして切っ先を床に向ける。
「ただ、考えちゃって」
いさなは、困ったような笑みを浮かべた。一体どうしたのだろう。
「考えた、というと?」
「もしもわたしがおじいさまに勝てなければ、ずっとここから出られないのかなって」
「――」
予想外の言葉だった。
この異界学校で、いさなは一度、桜馬に負けているという。その事実が、いさなを弱気にさせているのかもしれなかった。
「いさなさん、おれは――」
いさなさんを信じていますと言いかけて、氷魚は寸前で思いとどまった。
氷魚はもちろんいさなを心から信じている。相手がどれだけ強敵だろうとも、きっと勝てる。たとえ、実の祖父だろうとも。
だが、戦えない自分がいさなに「勝てます」と言っていいのか。
こんなとき、凍月がいてくれたら――
氷魚は、細いライトの光の中に浮かぶ、心細げないさなの顔に目を向ける。
氷魚に助言を与えてくれる存在はここにはいない。そして、いさなを励ますことのできる存在も。
氷魚は拳を握った。
だったら――
「――いさなさんは、おじいさんのことが好きですか?」
「どうしたの、急に」
「気になったんです」
いさなはしばし考え込む。
「――そうだね。好きだと思う。厳しい人だったけど、やさしい人でもあった。……みんなに内緒でこっそりお団子をくれたりね。あれはうれしかったな」
「なら、本気で戦うことはつらいですか?」
「……つらいというより、怖い。祖父は、わたしよりずっと強いから」
「でも、いさなさんは戦おうとしてくれてますよね」
どうしてですか、とは訊かなかった。訊くまでもなかった。
氷魚は息を吸う。そして正面からいさなを見て言った。
「いさなさん。おれは、いさなさんを信じます。いさなさんなら、きっと勝てます。相手が誰でも」
いさなは、一瞬だけひるんだような顔になった。
「どうして……?」
「いさなさんは、自分のためだけに戦っているわけじゃないから」
「なんでそう言い切れるの?」
「さっき、言いましたよね。ミオを助けるためにも行かなきゃって」
「――」
「だからです。だから、いさなさんは勝てます。いままで、誰かのために戦ったいさなさんが負けたことはないから」
「氷魚くん……」
言うだけ言ったら気恥ずかしくなった。氷魚はごまかすようにへにゃっとした笑みを浮かべる。
「向こうに戻ったら、打ち上げでアンジェリカに行きましょうよ。季節のパスタとパフェ、まだ全部制覇してませんよね」
いさなは、ふっと笑った。肩の力が抜けたのが、傍目にもわかった。
「そうだね。こっちの世界には、おいしい食べ物もなさそうだし」
そう言って、いさなは倉庫の出入り口に向かう。
氷魚もあとに続く。
背後に、氷魚の気配を感じながらいさなは思う。
本当に、自分は何度氷魚に助けられるのだろう。




