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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第三章 さまよえる鎧武者
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氷魚の長い1日⑩

 鎧武者が、甲冑の重さを感じさせない俊敏しゅんびんさでいさなに迫る。いさなは真っ向から迎え撃つ。

 斬撃と回避、撃ち合いが繰り返される。互いの刀が振るわれるたび雨粒が切り裂かれ、闇に白い軌跡が残る。

 目まぐるしい攻防だった。

 これは現実で、時代劇の殺陣たてではない。実際にいさなの命が懸かっているのだ。斬られたら血が出るし、最悪死ぬかもしれない。見世物におとしめていいはずがない。だが、それでも、そんなことわかっているはずなのに、氷魚ひおは両者の斬り合いに見とれた。興奮さえしたと思う。

 永遠に続くかと思われた斬り合いだったが、終わりはさほどの時を置かずに訪れた。

 城址の砂利道は舗装されていないため、雨が降り続くとあちこちにぬかるみができる。

 鎧武者が意図的に誘導したのか、それともいさなの不運か、鎧武者の刀を受けたいさなが足を後ろに下げたところに、そんなぬかるみの1つがあった。

 ぬかるみに足を取られたいさなが、体勢を崩した。ほんのわずかな隙だった。

 鎧武者にとっては、そのわずかな隙で十分だった。

 鎧武者の刀が、いさなの左腕をかすめた。切っ先がいさなの肌を斬り裂き、鮮血が飛び散った。

 氷魚は悲鳴を押し殺した。

 卑怯でも構わない。足元の石を拾って鎧武者に投げつけてやろうかと思う。注意くらいは引けるだろう。

 しかし、その機会は訪れなかった。

 斬られた腕は使い物にならなくなったと判断したのか、刀を片手で握りなおしたいさなが次の一撃に備えた瞬間だった。

 唐突に、鎧武者が刀を取り落した。まさか自分が斬った相手の血を見て動転したわけではないだろうが、兜を両手で押さえて後ずさる。

 鎧武者の様子の変化に慌てたように、兜の隙間から黒い蛇が這い出てきた。黒い蛇は鎌首をもたげ、いさなを威嚇いかくするように舌を出す。

 ぎくしゃくと、充電切れ直前のロボットみたいな動きで鎧武者は刀を拾い上げる。鎧武者の身体の動きと意思は明らかに反している。まるで蛇が命令を下しているように見えた。

 いさなの判断は早かった。間合いを一瞬で詰めたいさなは、逆手に持ち替えた刀で黒い蛇の頭部を斬り落とした。頭を失った黒い蛇の身体はあっけなく霧散する。

 よろめいた鎧武者は地面に力尽きたように膝を着き、そのままがくりとうなだれた。これ以上戦う意思がないことを証明するように、刀を己の横に置く。それきり、うなだれたまま動きを止める。

 斬ろうと思えば、いくらでも斬れたはずだった。だが、いさなはそうしなかった。代わりに、刀を消して頭を下げた。

「――ごめんなさい。あなたを苦しめるつもりはなかったんです」

 いさなの言葉に、鎧武者が頭を上げた。兜の中はやはり真っ暗で、顔は見えない。ただ赤い光がふたつ、弱々しく光っていた。

「正気に戻ったのなら、あなたを斬る理由は無くなった。違う方法で、あなたを解放してみせます」

 いさなが言うと、兜の中に灯っていたふたつの赤い光が消える。同時に、鎧武者の姿が徐々に薄くなり、やがて闇に溶け込むように完全に消えた。

 気づけば石灯籠いしどうろうの灯も消え失せ、街灯が辺りを淡く照らしていた。

「いさなさん!」

 我に返った氷魚は、いさなに駆け寄った。雨に濡れたいさなの左腕、肘と手首の間に見るも痛々しい刀傷があり、血が流れ出している。半ば混乱した頭で、氷魚はとにかく止血しなければと思う。

「そ、そうだ。ハンカチ。血を止めないと」

 みっともないくらい狼狽ろうばいした氷魚は、震える手でポケットからハンカチを取り出す。いさなの腕に巻こうとするが、どこにどう巻けば止血できるかわからない。こんなことなら、保健体育の授業をもっとまじめに聞いておけばよかった。

 焦りがパニックを加速させ、手の震えが余計にひどくなり、ついに氷魚は動けなくなる。

「ありがとう。あとは自分でやるわ。ハンカチ、血でだめにしちゃうけど、いい?」

 いさなはどこまでも冷静だった。ついさっきまで鎧武者と命がけの斬り合いをしていたとは思えない。

「ど、どうぞ」

 氷魚からハンカチを受け取ったいさなは端を口にくわえると、無事な方の手も使って器用に傷口に巻きつけた。明らかに手馴れた処置だった。それはつまり、手当てが必要な怪我を今までも無数にしてきたということに他ならないと氷魚は思う。

「これでひとまずはいいかな」

 白いハンカチは、見る間に赤く染まっていく。いさなの顔がいつもより白く見えるのは、きっと気のせいではない。

「よくないですよ。病院、いや、救急車呼びましょう!」

 携帯端末を取り出した氷魚を、いさなはやんわりと押しとどめる。

「平気だから」

「でも!」

「救急車を呼んで、なんて説明するの? まさか亡霊に斬られましたって言うつもり?」

「そ、それは……」

「ふたりして警察のお世話にはなりたくないでしょう」

 警察という単語で急速に頭が冷えた。

 鎧武者の亡霊なんて大人に信じてもらえるはずがなく、痴話喧嘩のもつれで氷魚がいさなを刺したというような、大多数が納得しやすいストーリーに誘導されるのが容易に想像できた。

「わたしのことは心配しないで。氷魚くんは帰って大丈夫だよ。送っていけなくて悪いけど」

「そんな、怪我してるいさなさんを置いていけませんよ。病院じゃなくても、せめて家までおれが送ります」

「わたしは兄さんを呼ぶから」

 いさなは携帯端末を取り出した。片手で手早く操作する。道隆が来るなら、ひとまず怪我に関しては大丈夫と判断していいだろうか。遠見塚とおみづか秘伝のよく効く薬とか持っていそうだ。河童の妙薬みたいな。

「――わかりました。それなら、道隆さんが来るまで傍にいます」

「もう遅いから待たなくていいよって言っても聞かないよね」

「聞きません。てこでも動きませんよ」

「きみならそう言うと思った」

 いさなは困ったように笑うと、桜の木に背中を預けた。氷魚は隣に並んで、いさなと一緒に傘に入る。


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