素晴らしきかな、文化祭⑯
氷魚が振り向くと、ミオの姿が消えていた。
「ミオ?」
「上、上!」
ミオの声だ。
「なっ……」
ミオは、逆さまになった人体模型の上半身に捕まっていた。
異様なその光景に、氷魚は思わず固まってしまう。
人体模型の上半身からは桃色の紐状のものが伸びていて、天井まで続いている。そして、天井には下半身が張りついていた。
紐状のものは、よく見たら腸だった。内蔵の模型が収められているのは知っていたが、こんな使い方をするものじゃないだろうと思う。
「ミオっ!」
固まっている氷魚の脇を、いさなが走り抜けた。床を蹴ってバレー選手みたいに跳躍し、ミオ目がけて手を伸ばす。
「くっ……」
しかし、すんでのところでミオは天井へと引き上げられてしまった。
氷魚は慌ててライトで照らす。
蜘蛛みたいに天井に張り付いている人体模型の顔は、不敵な笑みを浮かべていた。元が模型だとは思えない、人間くさい表情にぞっとした。
腕の中でミオがじたばたと暴れているが、よほど人体模型の力が強いのか、それともミオが非力なのか、びくともしない。
焦りが膨れ上がる。
どうにかしたくても、氷魚には天井に向かって飛ぶことはできないし、攻撃することもできない。
「このっ!」
いさながモップを槍投げの選手みたいに構える。
「……っ」
が、ミオに当たったらまずいと判断したのか、すぐに下ろした。それから自身の影に向かって呼びかける。
「凍月、お願い」
「――え?」
もしかして、いさなには凍月の声が聞こえたのだろうか。
期待を込めていさなに視線を向けると、いさなは自分の口を押さえていた。
氷魚の視線に気づいたいさなは、気まずそうに目をそらす。
「……ごめん。いつものくせで、つい」
「あ、いえ……」
安易な励ましは、かえっていさなを傷つける気がして、氷魚は言葉を濁した。
いさなと凍月はこれまで一心同体で戦ってきた。とっさに呼びかけてしまうのも無理はないと思う。2人の絆は、きっと氷魚には想像もできないほど強いものだ。
「それより、ミオが」
いさなの言葉にはっとして、氷魚は天井に視線を戻す。
するすると、ミオを抱えた人体模型が降りていくのが見えた。天井を移動したようで、ここから大分距離が開いている。
「追いかけよう」
「はい!」
氷魚はいさなと順路に戻る。ミオたちが降り立ったのはゴールの近くだ。
入り口に歩を進めると、矢印が書かれた看板だけが落ちていた。
当然、番をしていた人体模型の姿はない。学校の怪談ではさして珍しい話ではないが、まさか本当に動くとは思わなかった。
最初に見たときも、さきほども、そんな気配は微塵もしなかったのに。
この調子ではトイレから花子さんが出てくるかもしれないし、音楽室のベートーベンも笑い出すかもしれない。
「ミオは、大丈夫ですよね……」
槐がミオに危害を加える可能性は低いと思うが、楽観視はできない。現に、いさなは戦って傷ついている。
「ええ、きっと大丈夫。でも、早く迎えに行かなきゃね」
いさなは、氷魚を安心させるように微笑んだ。




