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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第三章 さまよえる鎧武者
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氷魚の長い1日⑨

「今のは?」

「魔力の波を周囲に放ったの。範囲内に霊的存在がいれば、反応があるはず」

 よくわからないが、ソナーみたいなものだろうか。だとしたら、魚群探知ならぬ亡霊探知だ。

 氷魚ひお固唾かたずをのんで辺りを見渡す。目立った変化はないようだ。数秒待つが、やはり何も変わらない。

「……っ!」

 何も起こりませんねと言おうとした瞬間だった。

 前触れもなく、急に胸が痛んだ。夢で怪物に刺された箇所だった。背中を向けているいさなは氷魚の様子に気づいていない。息を殺して、必死に悟られないようにする。いさなの集中を乱したくなかった。

 幸い、痛みはすぐに引いた。痛んだ箇所が箇所だけに引っかかるが、このまま黙っていようと氷魚が決めた瞬間、街灯が一斉に消えた。入れ替わるように、石灯籠いしどうろうに火が灯っていく。

 ウシガエルの合唱がぴたりと止まった。

 雨が傘を叩く音がやけに大きく聞こえる中、ずしゃりと、重厚な足音が響いた。

 氷魚といさなは揃って音のした方に身体を向ける。

「現れたみたいね」

 石灯籠の淡い光に照らされていたのは、抜身の刀をぶら下げた鎧武者だった。

 陣屋じんやの話の通り、兜の中は真っ暗で顔は見えない。ただ、目があると思われる場所が赤く光っているのと、鎧武者の身体に黒い大きな蛇みたいなものが巻きついているのが話と違う。

 鎧武者が一歩前に出て、刀を腰だめに構える。それに合わせたように、石灯籠の灯が激しく燃え上がった。

 明らかに様子がおかしい。

 疎い氷魚でもわかる。鎧武者の敵意が伝わってくるようだった。亡霊というのは、ここまではっきりした存在感を持つものなのか。

「おれの気のせいでしょうか。なんだか好戦的に見えますが」

 緊張と恐怖を隠すために、氷魚はわざと軽い口調で言う。

 鎧武者が更に一歩を踏み出し、前傾姿勢になった。黒い蛇はするすると、逃げ込むように鎧の隙間に消えていく。

「――はめられたわね」

 いさなはため息をつくと、地面から刀を引き抜いた。

「え? はめられたって、どういう」

凍月いてづきが教えてくれたんだけど、魔力に反応して、この場の怪異――鎧武者の亡霊を強制的に凶暴化させる魔術が仕掛けられていたみたい」

「それって、罠が張られていたってことですか」

「考えるのはあと。今は戦って切り抜けるしかない。氷魚くんはできるだけ動かないで」

 傘から出たいさなは手にしていた鞘を無造作に放る。鞘は地面に落ちる前に消え失せた。

「で、でもいさなさん、濡れちゃいますよ!」

 怪異に遭遇するのは2度目で、やはりまだ慣れなくて、だから動揺があったのだろう。こんな状況で、雨に濡れることを心配するなんて見当はずれもいいところだと氷魚は頭の隅でちらと思う。

「血に濡れるよりマシでしょ」

 首だけ振り向いたいさなは、そう言って笑った。前髪を伝った水滴がぽたりと落ちる。顔つきが一変していた。いさなは望んでいなかったのに、戦闘はもう避けようがないのだと氷魚は悟った。

 前に向き直り、いさなは鎧武者との間合いを詰める。彼我の距離が数メートルになった瞬間、鎧武者が刀を逆袈裟ぎゃくけさに振るった。斜め下から迫る斬撃を、いさなは身体を傾けてやり過ごす。お返しとばかりに、いさなは身体を戻す勢いを利用して刀を袈裟懸けに振り下ろした。あまりの速さに闇に白光が残っているように見えた。

 雨の中、青白い火花が散った。鎧武者の刀が、いさなの刀を受け止めていた。

 生の鍔迫り合いというものを、氷魚は生まれて初めて目撃した。

 体格で負けているはずなのに、いさなは鎧武者相手に一歩も引かなかった。

 しばらく競り合った後、業を煮やしたのか鎧武者が一気に体重をかけてくる。いさなはそれを利用してわずかに刃を滑らせ、いかなる足の運びか一瞬で鎧武者の背後に回る。

 いさなは、相手が振り向くのを待ったりはしなかった。命のやり取りをしているのだから当然だと言わんばかりに、いさなは刀の切っ先を鎧武者の首、兜の隙間を狙って突き入れる。

 終わった、と氷魚は思った。

 いさなの勝ちだ。いさなが負けるわけがないのだ。

 瞬間、いさなの身体が弾き飛ばされたように宙に舞った。勢いよく背中から桜の木に激突し、そのまま受け身も取れずに砂利道に落下する。

 氷魚にはわけがわからない。

 首をわずかに傾けた鎧武者の右足が、後ろに伸びていた。どうやら、刺突しとつかわしざま、いさなに後ろ蹴りを入れたらしいということがかろうじてわかった。死角からの蹴りは視認すらできなかったに違いない。

 なんだそれと思う。

 そもそも、亡霊というのはもっと儚くてかそけきものなのではないか。

 物理的接触か霊的な力かは知らないが、あんなに重そうな蹴りを放っていいものなのか。

 いさなは咳き込みながら立ち上がる。衝撃で口の中を切ったのか、それとも内臓のどこかを痛めたのか、口の端から血が流れていた。

 声をかけることはできなかった。

 運動会の応援とはわけが違う。がんばってくださいなんて言えるわけがないし、だからといって大丈夫ですかなんて呑気が過ぎる。

 口から血を流した女の子が、武装した鎧武者の亡霊と対峙たいじしているのだ。大丈夫なわけがなかった。

 こうなる可能性を、どうして自分は考えられなかったのだろう。なんとしてでも、いさなが夜の城址じょうしに足を踏み入れるのを止めるべきではなかったのか。

 陣屋じんやは確かに襲われなかった。それでどこか安心していた。自分たちが絶対に襲われないという保証なんて、誰もしてくれなかったというのに。

 氷魚の視線に気づいたのか、ちらと視線をよこしたいさなが無言で唇の端を持ち上げる。

 大丈夫だから、そこで見ていて。

 そう言っている気がした。

 腹をくくった。

 氷魚は大きくうなずいた。

 不安も後悔もすべてひとまとめにして胸の奥にしまっておく。今はいさなを信じるだけだ。

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