素晴らしきかな、文化祭⑩
和装の老人だった。
「……嘘でしょう」
我知らず声が漏れる。
いさなは、老人の顔に見覚えがあった。
彫りの深い顔立ち。忘れるはずもない。厳しくもやさしかった人。
「おじいさま……」
先々代の影無にして、いさなの祖父――遠見塚桜馬。
桜馬が右手に木刀を持っていることに、遅ればせながら気づく。
背筋に冷たいものが走り、いさなはつばを飲み込んだ。
幽霊か、それとも幻か。
いさなが小学生のときに桜馬は亡くなっている。
本物であるはずがないが、幽霊ならば本物と言ってもいいのか。
そして、なんのために自分の前に現れたのか。
動揺するいさなに頓着する素振りすら見せずに、桜馬は無言で間合いを詰める。
殺気――
「――っ!」
いさなは反射的に跳び退いた。
桜馬が振るった木刀の切っ先が胴体をかすめる。容赦のない一撃だった。直撃していたらあばら骨の2、3本は折れていたに違いない。
桜馬がさらに間合いを詰める。
正体について考えるのはあとだ。
この状況ではっきりしているのはただ1つ。
伝わってくるのは紛れもない殺気。応戦しなければやられる。
なにか武器はないのか。
周囲を素早く見渡す。屋台の鉄板の上に、鈍色のコテがあるのが目についた。
八相に構えた桜馬が袈裟懸けに木刀を振り下ろす。ぎりぎりのところで斜めに転がり、いさなは2本のコテをつかみ取った。
リーチは短いが、無手よりはましだ。軽くすりあわせて焦げを落とす。
両手にコテを構えたいさなを見て、桜馬はわずかに唇をつり上げた。
――笑った?
そういえば――
「おじいさまは、刀に頼らない戦い方も教えてくれましたね」
いさなが言うと、桜馬は笑みを引っ込める。こちらの言葉は通じているようだ。
徹底的に叩き込まれたのは剣術だが、素手や他の武器での戦闘も教わっている。無手のときはあらゆるものを武器にしろとも。
そんな場合ではないのに、懐かしさがこみ上げた。
彰也、雅乃、そして春夜。
あのときはみんなが揃っていた。稽古は厳しかったけど、みんながいたから耐えられた。
けど、いまは。
――誰もいない。わたしだけだ。
どうして道を違えてしまったのだろう。なんでみんないなくなってしまったのだろう。
そんなことを考えてしまい、一瞬、気が逸れた。
いさなの隙をとがめるように、桜馬が木刀を振り下ろす。いさなは慌てて2本のコテを交差させて斬撃を受け止めた。
すかさず片方の手を下げ、木刀を受け流す。牽制の蹴りはあっさりと躱された。
間髪入れずに桜馬は次々と斬撃を繰り出してくる。
どれもが重く、鋭い。
太刀筋は記憶の中のものと全く同じで、否応なく稽古を思い出す。
桜馬はもちろん手加減してくれていたが、当時は本当に殺されると何度も思った。それくらい容赦がなかった。
しかしいまはどうにかついていけている。
これで刀さえあれば。
コテだけでは防戦で手一杯だ。
そもそも、中庭のような開けた場所だと自由に木刀が振れる分、あちらが圧倒的に有利だ。
ならば――
いさなは身を翻すと、屋台の隙間を走り抜け、空いていた窓から手近な教室に飛び込んだ。




