素晴らしきかな、文化祭⑦
「次はどこに行くの?」
薄暗い校内を進みながら、ミオが尋ねる。
「脱出するのが目的なら、校門から外に出ればいいんだけど、そんなに単純かな」
「ドアが開かないとか、どうやっても窓ガラスを壊せないとか、ホラーもので閉じ込められたときの定番だものね」
「ミオ、ホラーも観てるの?」
「たまにね。どっちかっていうと、湿度を感じる邦画ホラーが好みかな。学校が舞台でみんなわちゃわちゃするのもいいわね」
ホラーを観て語る神様って面白いなと思いつつ、確認のために昇降口まで足を運ぶ。
氷魚も出入り口のドアが閉まっている可能性は高いと思っていたが、予想に反して開け放たれていた。どうぞご自由に出て行ってくださいといわんばかりだ。
「いろんな匂いがする」
ミオは物珍しそうに下駄箱を覗き回っている。さっきから気になっていたのだが、彼女は裸足だ。
「ミオ。よかったらこれ」
氷魚は下駄箱近くに置かれていたスリッパを一足取って差し出した。
鳴高の文化祭では、外部のお客さんに靴を入れるためのビニール袋とスリッパを貸し出しているのだ。
ミオは首を横に振った。
「いらない。裸足の方が歩きやすいから」
「でも、いまは人間の足でしょ?」
「気にしないで。問題ないわ」
「ならいいんだけど……」
外部のお客さんも来るので、校内の掃除は徹底的にしている。踏んで怪我をするようなものは落ちていないはずだ。
氷魚はスリッパを元に戻す。
誰もいないがらんとした昇降口に薄ら寒いものを感じつつ、氷魚は自分の下駄箱を開けた。
今朝履いてきた、お気に入りのスニーカーが入っている。靴紐のよれ方、汚れのつき具合、寸分違わず同じものだ。
校内もそのままだし、外の風景も変わらない。ただ、人や生き物が見当たらないだけだ。
改めて、一体ここはどういう空間なのかと思う。現実世界のコピーみたいなものなのか、それとも現実そのものを何らかの手段で歪めたのか。
氷魚には知識もないし、確かめる手段もない。
ミオの意見を詳しく聞いてみようと傍らを見れば、ミオは無造作に外に出て行こうとしているところだった。
「ミオ――」
無防備ではないかと呼び止めようとした瞬間、出入り口に、巨大な骸骨がぬっと顔を覗かせた。
心臓が止まるかと思った。
「……っ!」
驚いたのはミオも同じだったようで、猫らしい跳躍力で大きく後ろに飛び退いた。恐怖も忘れ、氷魚は急いでミオの前に出てモップを構える。
「ミオ! だいじょうぶ?」
「あ、あたしは平気。いきなり出てきたからちょっぴり驚いただけ。ちょっぴりね」
骸骨は空っぽの眼窩をこちらに向けた。
底なしの闇を思わせる暗さに背筋がぞっとする。モップを持つ手が震えるのを止められない。
氷魚はつばを飲み込んだ。
それにしても大きい。頭だけで氷魚の身体くらいはある。全長は何メートルあるのだろう。
氷魚が構えているモップなんて、このバケモノの前では棒きれに等しい。襲いかかってきたら、ひとたまりもないだろう。
しかし、髑髏はただ氷魚たちに空っぽの眼窩を向けるだけで、攻撃してくる様子はない。
「……なんなの、こいつ」
驚かされたのがしゃくなのか、ミオは苦々しげに言った。
「たぶん、がしゃどくろだよ」
「がしゃどくろ?」
「行き倒れて無念のうちになくなった人たちの髑髏が集まって巨大な髑髏になった、っていうあやかしだよ。人を食べたりするらしい」
有名なので、氷魚でも知っている。確か、そこそこ新しめのあやかしだったはずだ。
「内蔵もないくせに貪欲ね。いや、ないからこそ、かしら」
「かもね」
「にしてもこのガイコツ、動かないわね」
ミオの一言で、ある考えが浮かぶ。
「ミオはここにいて」
「え?」
氷魚は慎重な足取りで、がしゃどくろの頭部が塞いでいるところとは別の出入り口に向かう。
一歩外に足を踏み出そうとした途端、骨だけの巨大な手が、氷魚の進行を遮るように降ってきた。地面が揺れる。
振ってきた手は、それきり動かなくなった。
「――やっぱり」
後ろに下がり、氷魚は呟いた。
「ちょっと! 危ないじゃない!」
「いや、外に出ようとしない限り、だいじょうぶだよ」
がしゃどくろは、ミオが外に出ようとした瞬間に出現した。そして、いまの行動だ。
「もしかして、こいつは門番ってこと? あたしたちを外に出さないための」
「だと思う。こっちを攻撃するつもりなら、とっくにやってるだろうから」
氷魚の言葉を裏付けるように、がしゃどくろは校内に手を突っ込んでくることもない。
「なるほど……」
「外に出るためには、このがしゃどくろをなんとかする方法を見つけなきゃいけないのか、それとも別の脱出口があるのか……」
「なんにせよ、いまのあたしじゃ、こいつは倒せる気がしないわ」
「倒せるなら、倒すつもりだったの?」
「もちろん、驚かされたお礼はきっちりしないとね」
ミオは両手をかぎ爪のようにしてみせる。
どうやら、根に持っていたらしい。
「ひとまず退こうか。校内をもっと探索してみよう」




