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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第三章 さまよえる鎧武者
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氷魚の長い1日⑧

「――いさなさんの中には、凍月いてづき、がいるんですよね」

 いさなが顔を上げたタイミングで、氷魚ひおは尋ねる。

「ええ。気の遠くなるくらい長い年月をいろんな人間の中で過ごしていたせいか、少しは角が取れたみたいだけどね。普段はほとんど寝てるわ」

 いさなは努めて気楽な口調で言うが、自分の中に妖怪がいるなんて、気が休まる暇はあるのだろうか。

 いさなは、今まで一体どうやって日常生活を送ってきたのだろう。

 氷魚はいさなの正確な年齢を知らない。いさなは2年生だから16か17で、つまりは氷魚と1つか2つしか違わないはずだ。

 たった1つか2つ。なのに、だというのに。1年や2年ではどう逆立ちしたって埋まらない、途方もない人生経験の差が、氷魚といさなにはあった。

「そんなに深刻な顔をしないで。慣れればどうってことはないんだから」

 よほど沈んだ顔をしていたのか、氷魚の顔を見て、いさなは安心させるように微笑んだ。

「それに、怪異に関わる仕事をするときは助けてもらってるの」

「妖怪が人を助けるんですか?」

 自分が触れてきた媒体の影響だろうが、妖怪といえば人を驚かせたり襲ったりする印象しかない。

「ええ。友好的な妖怪は、わたしたちの間では『隣人りんじん』って呼ばれてる。妖怪からしたら、人間本位の呼び方でしょうけどね。隣人、割と多いのよ。人を助けるというのもあるけど、何より自分たちの秩序を守るために協力してくれるの。凍月の場合はまたちょっと違うけど」

「秩序……」

「そう。人には人の、あやかしにはあやかしの秩序がある。それぞれの秩序を乱すような問題が起きたら、協力して解決する。そうやって、人妖の調和を守るのがわたしたちの仕事」

「その、凍月も、いさなさんを助けてくれるんですよね」

「うん。さっきも言ったけど、わたしは霊視れいしができないし、周囲の魔力や霊力を感じることもできない。魔術の素質はないし、だからといって何か特別な力があるかといえばそれもない。ないない尽くしで、要するに、怪異に関わるために必要な才能の一切が欠如しているのよ。剣術には自信があるけど、遠見塚とおみづかの一族としては落ちこぼれね」

 自嘲じちょう卑下ひげの響きは一切ない。いさなはただ事実を事実として告げているだけだと伝わってきた。

 遠見塚の一族がどれだけすごいのかは知らない。だが、いさなが現在の境地に至るまで、数えきれないくらいの葛藤かっとうや苦しみを乗り越えてきたのだろうということだけは氷魚にもわかる。

 でも、といさなは続ける。

「凍月がいるから、わたしは仕事ができる。足りない部分を補ってくれるの。氷魚くんたちの異常を教えてくれたりね。気まぐれなのが玉に瑕だけど」

 いさなの話を聞く限り、凍月が人に手を貸すような『隣人』とは思えない。だが、凍月は氷魚たちが猿夢に捕まっているのをいさなに教えたらしい。人の身の内にいる間に、何かしらの心境の変化があったのかもしれない。それこそ、角が取れるような。

「だったら、おれは凍月、さんにもお礼を言わないといけませんね。ありがとうございます」

 氷魚が言うと、いさなはしばらく黙り込んで、それから微笑んだ。

「『どういたしまして』って」

「え、ホントにそう言ったんですか」

 話に出てきた凍月のイメージと結びつかない。いさなは目を逸らして、

「それに近いニュアンスかな。へそ曲がりなのよ、彼」と曖昧に笑った。

 本当はなんて言ったのだろう。気になる。『べ、べつにあんたのことなんか心配してないんだからね』とかだろうか。

「ツンデレな大妖怪?」

 氷魚が頭に浮かんだ言葉をぽそりと言うと、いさなはぷっと吹き出した。それから慌てたように、刀を持ったまま器用に耳を押さえる。

「わかった。わかったから怒鳴らないで」

「もしかして、怒らせちゃいましたか」

「気にしないで。わたしたちはいつもこんなんだから。――にしても、傍から見たら、危ないやつよね。一人芝居をしているみたい」

「事情を知らなければそうでしょうけど、そもそも、知らない人の前ではそういう振る舞いはしないですよね」

「――今は、ね。あ、いや、今でもたまに油断するかな」

星山ほしやま先輩の写真のときとか?」

 いさなは図星を指されたという顔になる。

「あれは失敗だったわ。あとで星山くんだけに伝えればよかったのに、よりにもよってみんなの前で指摘するなんて」

「それだけ、放っておけなかったってことですよね。一刻も早く教えなければと思った」

「そうかな……。自分ではよくわからないけど」

「そうですよ。おれのときだってそうでしょう。学校での自分の体面を気にするのならば、放っておくのが1番だったのに、いさなさんは助けてくれた」

「氷魚くんのは、仕事でもあったから」

 でも、誰かに頼まれたわけではなかった。いさなは、怪異に困っている人を放っておけないのだ。

 それをわざわざ指摘するのは野暮だろう。代わりに氷魚は黙って微笑んだ。

「なに、その生暖かい笑み。……っと」

 いさなは手にした刀に目を向ける。

「本来の目的を忘れるところだったね」

「おれとしては、いさなさんの話も聞けたのでこのまま帰りたい気分です」

「そういうわけにはいかないでしょ。傘、お願いしてもいい?」

 いさなは自分の傘をたたむと、氷魚に差し出した。わけがわからないまま傘を受け取ると、いさなは有無を言わさず氷魚の傘の中に入ってくる。身体が密着するくらい近い。ふわりと、いさなの髪からいい匂いがした。

「い、いさなさん? 何故急に相合傘っ!?」

 動揺のあまり声が裏返った。風呂には入ってきたが、自分が汗臭くないか心配になる。

 いさなは氷魚の質問には答えずに、くるりと背中を向けて刀の鞘を払う。妖しくも美しい刀身が露わになった。

 どうやら、抜刀するために両手を空けたかったようだ。それならそうと言ってくれればいいのに。びっくりする。

「ん?」

 よくよく目を凝らしてみてみると、いさなの耳がわずかに赤い。もしかしたら、いさなも恥ずかしいのかもしれない。

 氷魚がそんなことを考えていると、いさなは逆手に持ち替えた刀の切っ先をいきなり地面に突き刺した。まさか照れ隠しではないだろうと氷魚が思っていると、いさなは凛とした声で言った。

「凍月、お願い」

 いさなの言葉に応えるように、刀を中心に白い光が円状に広がった。光は砂利道の向こうまで広がっていき、やがて消える。

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