素晴らしきかな、文化祭②
「氷魚くん」
向かった踊り場で、すでに待っていたいさなが控えめに手を振る。その仕草に、氷魚はにやつきそうになるのを必死に抑えた。
妙に意識してしまう。ただの調査なのに。
「お待たせしました」
「そんなに待ってないよ。それじゃ行こうか」
いさなはどこか陰りのある笑みを浮かべた。昨日の笑顔とはまるで違う。あんなに楽しそうだったのに。
「いさなさん、体調でも悪いんですか?」
氷魚が言うと、いさなは虚を衝かれたような顔になった。
「――え? いや、全然。どこも悪くないけど、どうして?」
「元気がないように見えます」
「……ああ、昨日あんまり眠れなかったからかも」
いさなは髪をいじって言う。
「もしかして、お祭りが楽しみで?」
「そんな、小学生じゃあるまいし。――あ、でも、楽しみだったってのはあるね」
「一応、調査なんだろ」と凍月の声がした。からかうような調子だ。
「一応じゃなくて、れっきとした調査だから」
「はいはい。そういうことにしとくぜ」
「……もう」
それからいさなは氷魚をちらと見て、気を取り直すように「行こうか」と言った。
体調不良ではないとすると、陰りが見えるのはどうしてなのだろう。
心配だが、これ以上の追求はできず、「はい」と氷魚はうなずいた。
「どこから回りますか。焼きそばやたこ焼き、シシカバブなんかもありますよ」
たくさんの生徒や一般客で賑わう廊下を歩きながら、氷魚はパンフレットに目を落とす。
「食べ物優先でいいの?」
こちらを伺うように、いさなは言った。
やはり肉は正義だし、なにか食べればいさなはきっと元気になると思う。
「腹が減っては戦ができぬっていうじゃないですか。調査前に腹ごしらえは大切だと思います」
「そうだね。その通り」
いさなは満足そうにうなずいた。よかった。どうやら、少し元気が出てきたようだ。
「なにを食べます?」
いさなはパンフレットを覗きこみ、「氷魚くんが言ってた、これを食べてみたい」と指を差した。バスケ部が中庭に出店しているシシカバブの屋台だ。
「高校の文化祭でシシカバブって珍しいですよね。そもそもおれ、食べたことないです」
移動しながら氷魚は口を開く。お祭り独特の雰囲気に包まれた校内は、歩いているだけでも気持ちが弾んでくる。
「わたしも食べたことないな。肉の塊だから、おいしいに決まってるよね」
「ですね。テレビで観たとき、おいしそうでした」
バーベキューで見かけるような大きな串に、肉を突き刺して焼いた料理だったと記憶している。羊の肉が使われることもあるようだが、バスケ部の屋台のシシカバブは牛肉とパンフレットに書いてあった。
氷魚といさなは校舎を抜け、中庭へ出た。校内に負けず劣らずたくさんの人で賑わっている。
威勢のいい売り子が声を張り上げている屋台でそれぞれシシカバブを購入した2人は、空いているベンチに腰かけた。氷魚もいさなも1本ずつだ。
足りなくないのかと意外そうな顔をした氷魚に、いさなは「これ以外にも食べたいから」と言った。それから、自分に言い聞かせるように「あくまで調査だし」と呟く。
やはり、今日のいさなはどこか思い詰めたような雰囲気がある。
「調査は調査ですけど、息抜きを兼ねていてもいいんじゃないでしょうか」
氷魚が言うと、いさなはちらと視線をよこした。
「せっかくの文化祭なので、おれはいさなさんと楽しみたいです」
「氷魚くん……」
氷魚は肉にかぶりつく。肉汁が口の中に広がった。
「うまいな、これ。ほら、いさなさんも、冷めないうちに」
「……そうだね」
いさなも肉を一口かじった。途端に笑顔がこぼれる。
「おいしい」
素直な笑みに氷魚も嬉しくなった。
「ですよね。次はなにを食べます? それか、出し物でも見に行きますか。お化け屋敷とか楽しそうですね」
本物の怪異と関わっているいさなではあるが、気分転換にはなるかもしれない。
「氷魚くんは、どうしたい?」
「いさなさんと一緒なら、どこでもいいですよ」
「え……?」
いさなの瞳が戸惑ったように揺れた。ちょっと言葉が足りなかったかもしれない。
「あ、いや。いさなさんが行きたいところなら、どこでもっていう意味です」
「……そ、そうか、そうだね。わたしは……」
いさなは自分の顔を隠すようにパンフレットを広げる。
「からあげと焼きそばを食べて、演劇部の劇を観にいきたい」
「演劇ですか」
パンフレットを確認すると、午後の部まであと1時間くらいだった。
演目名は『羅生門』だ。
芥川龍之介の小説がベースだが、羅生門から異星生物がやってくるというSF的なアレンジがされているらしい。どんな内容なのか、あらすじからは全く想像がつかない。
「いいですね。――そういえば、弓張さんが演劇部から熱烈スカウトを受けてたな」
「承諾したの?」
「断ってましたよ。うちのクラスの喫茶店に集中したいからって。もちろん嘘じゃないんでしょうけど、まだ芝居をするのに抵抗がありそうでした」
「だろうね。それに、高校の演劇で彼女が出たらさすがに……」
「プロですもんね」
2人は苦笑して、食べ終わった串をゴミ箱に入れた。
そのときだった。
ふと、視界の端を見覚えのある顔が横切った気がした。
氷魚は視線を走らせる。
「――?」
だが、すでにその誰かは見えなくなっていた。人混みに紛れてしまったのだろうか。
「どうしたの?」
「なんか、知っている誰かがいた気がしたんですが……」
「うちの生徒じゃなくて?」
屋台を切り盛りしている生徒や、周囲を歩いている生徒には確かに知り合いもいる。だが、根本的に違う気がした。
――まあいいか。
氷魚は緩く首を振る。
「きっと気のせいだと思います。それより、からあげと焼きそばですね」
「うん。――ねえ、氷魚くん」
「はい?」
「ありがとう」
笑みと共に礼を言われて、虚を衝かれた。
「お礼を言われるようなことなんて、なにかしました?」
氷魚の言葉に、いさなはふんわりと笑う。
「わからなくてもいいよ。わたしが勝手にお礼を言いたくなる気持ちになっただけだから」
そう言われても、どうにもピンとこない。
「さ、行こうか」
よくわからないままだが、どうやら、いさなは少し元気になってくれたらしい。
「――はい!」
うなずいて、氷魚は歩き出したいさなの後に続いた。




