彼女の中身は神様
「ただいま」
「お帰り」
家に帰った氷魚を真っ先に出迎えてくれたのは猫のミオだった。
外見はアメリカンショートヘアーの子猫だが、精神は普通の猫ではない。なんと猫の女神様なのだ。といっても本体ではなく、分霊(ものすごく大雑把に言うと分身みたいなものらしい)だ。
ちょっと前にいろいろあって、一緒に住むことになった。
スニーカーを脱ぐために廊下に腰かけると、ミオは氷魚の肩に飛び乗った。かすかな重みがかかる。
ミオは頭の匂いをふんふんと嗅いだ。鼻息がくすぐったい。
「知らない女の匂いがするわ」
サブスクリプションで昔のメロドラマを見すぎなのではないか。
「修羅場が始まりそうな言い方はやめてよ。シャンプーの匂いじゃない?」
「いや、これはあやかしの匂いね」
そういえば、凍月も匂いを嗅いで妖気を辿っていたなと思う。どんな匂いがするのだろう。嗅いでみたいような、みたくないような。
「小町っていう鎌鼬の女の子に髪を切ってもらったんだ」
「なるほど。氷魚、けっこうあやかしの交友範囲広いわよね」
「一般人にしては、そうかも」
肩から下りたミオは、氷魚が置いたリュックの匂いを嗅ぐ。
「こっちからは甘い匂いがする」
「アップルパイを買ってきたんだ。泉間駅で有名なやつ」
「私も食べてみたいな」
「猫にアップルパイっていいのかな……。調べてみて、問題がなかったらね」
精神は神格でも、ミオの身体はあくまで子猫のものだ。猫によくないものは食べさせられない。
「玄関でなにをぶつぶつ言ってるの?」
と、姉の水鳥が居間から顔を覗かせた。日曜日は大抵どこかに行くのに、今日は珍しく家にいたらしい。
ミオを見た姉は納得したような顔になる。
「またミオと話してた?」
「そんなとこ」
「氷魚とミオって、ほんとに会話しているみたいだよね」
どきりとした。まさかばれているわけではないだろうが。
「ミオは頭がいいんだよ。人間の言葉がわかってるんだ」
「すっかりデレデレじゃない。うちの子が世界で一番かわいいっていうノリね」
猫と話す飼い主は珍しくない。が、ミオの場合は実際に会話できるので、氷魚もつい普通に話をしてしまう。ちなみに、ミオの言葉は家族には単なる鳴き声にしか聞こえないらしい。ミオ曰く、そういう調整をしているとのことだ。
「それより、アップルパイを買ってきたよ」
「お、いいね。早速お茶を入れて食べようか」
姉は鼻歌交じりに台所に向かった。
「水鳥って、勘が鋭いわよね。私のこと疑ってたりして」
「たぶん大丈夫だと思うけど」
ほとんどの人間は超常的存在が本当にいるなんて知らないし、実在を信じてもいないだろう。
きっかけの問題だと氷魚は思う。
ふとした弾みで怪異やあやかしに遭遇するかどうか。
氷魚も実際にあやかしに出会ったりしなければ、一生知らずに過ごしていたはずだ。
どちらが幸福かはもちろん人によるだろう。自分はあやかしに出会えてよかったと思う。
世界の見方が変わったし、個性的な知り合いも増えた。
恐ろしい怪異にしたって、悪いことばかりでもない。
怪異に巻き込まれなければ、いさなと接点を持つことはなかったからだ。こうしてミオと一緒に暮らすこともなかった。
「どうしたの? ぼうっとして」
ミオが首をかしげた。
「なんでもないよ」
氷魚はミオの耳の辺りを軽く撫でる。ミオは気持ちよさそうに目を細めた。
本当、不思議な縁だよなと思う。
いさなと出会ってからは、「まさか」の連続だった。
きっと、これからもそうなのだろう。
怖いこともあるけど、自分は間違いなく楽しく感じてもいる。




