彼が髪を切るときは
「じゃーん、どうよ」
ハサミを小刻みに動かし、仕上げを終えた小町は得意げに笑った。
理容院特有の大きな鏡に映った髪型は明らかに以前より垢抜けている。氷魚は微笑んだ。
「すごい。見違えた。小町に切ってもらってよかったよ」
「でしょ。いさなの氷魚を見る目も変わるかもね。誰このイケメンってさ」
「どうかな」と氷魚は苦笑した。
鏡の中の氷魚も同様の顔になる。
元が元なので、そこまで劇的な変化はない。良くも悪くも氷魚の容姿は凡庸だ。いさなたちといると余計に際立つ。
映画で言うなら名もなき端役で、画面の端っこに映っていても誰も意識しない。
氷魚は、自分はそれで構わないと思っている。周りが強いから、ちょうどいい。
立ち上がり、古風なレジで会計を済ませる。
「にしても、氷魚も物好きだね。わざわざ鳴城から来てくれるなんて」
お釣りを返しながら小町は言った。
鳴城から泉間まで電車でおよそ1時間、確かに決して近い距離ではない。
だけど――
「小町に髪を切ってもらうって、約束したから」
この秋、怪異が絡む事件を通して知り合った小町は、泉間で理容院かつ美容院を経営している鎌鼬3きょうだいの末っ子だ。
小町はあやかしで、人間ではない。だが、今の見た目は完全に人間の女の子だ。人間社会で暮らす都合上、人の姿で過ごす方が多いとのことだ。
窮屈ではないかと尋ねたら、もう慣れたと小町はあっけらかんと笑った。
時折、夜遅く、人気のない公園でイタチの姿で走り回っているからストレスもさほどないと言う。
小町は、昔の方がよかったとは嘆かない。自分が置かれた環境に適応して生きているんだなと思う。
「律儀なんだね。……あ、そういえば、あのとき無料でいいって言ったのに、お金もらっちゃった。返そうか?」
「いいよ。客として来たんだし。お金を払う価値は十分にあったよ」
氷魚は笑って自分の頭を撫でた。
「へへ、そう言ってもらえると嬉しいな」
小町は無邪気に笑う。
「茉理さんにも突撃すればいいのに」
小町はいさなと奏の師匠である茉理に好意を寄せていて、いつか髪を切りたいと思っているのだ。
「う……。それは、そのうちね。弟分の散髪をするのとはわけが違うから」
小町は末っ子だからか年下の氷魚に対してお姉さん風を吹かせたがるが、あんまり年上という気はしない。どちらかと言えば妹みたいだと思う。
「それより、氷魚はどうなの。いさなとは」
やり返すように、小町は氷魚の胸を指さす。
氷魚は一瞬ためらい、
「特に何も」と応えた。
もうすぐ文化祭だ。一瞬、空き時間にいさなと一緒に回ってみたいと思ってしまった。大それた願いだ。
「ふーん」
答えに間が空いたのが気になったのか、小町は意味ありげな笑みを浮かべる。
「何か言いたそうだね」
「人間の一生ってあっという間でしょ? もたもたしてたら、大事な瞬間を逃しちゃうかもよ」
「大事な瞬間って?」
「またまた、わかってるくせに」
小町はうりうりと肘で氷魚の肩をつつく。
「痛いよ」
そのとき、店のドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
瞬時に営業スマイルに切り替えた小町が言った。
入ってきた白髪の男性は、小町と話していた氷魚をしげしげと見つめた。
「初めて見る顔だね。きみも青葉ちゃん目当てかい」
このお店は美容院と理容院で別れていて、理容院は長女の青葉と末っ子の青葉が担当している。今日は青葉がお休みで、小町が一人でがんばっていた。
青葉は男性人気が非常に高いらしい。穏やかで、思わず甘えたくなる魅力があるからだろう。
しかし、おっとりした外見とは裏腹に、青葉の内面には烈風のような激しさが潜んでいることを氷魚はこの前の事件で知った。あやかしも人も、目に見える部分だけが真実ではない。
「いえ、小町に切ってもらいたくて来ました」
氷魚が正直に言うと、男性はしわを深くして笑う。洋画に出てくる渋いおじいちゃんのような笑みだった。
「もしかして、こまっちゃんのいい人かい?」
「違う、友達。ほら、座って座って」
遠慮のない口調で言って、小町が椅子を指し示す。男性は小町と顔なじみのようだ。
「本当は青葉ちゃんにお願いしたかったんだけどな」
「青ねえがお休みだって、知ってたでしょ」
「まあな。けど、こまっちゃんも最近腕を上げたから」
男性は笑うと、椅子に腰かけた。
見た目で言うならおじいちゃんと孫だが、実際は小町の方が遙かに年上だろう。そう考えると不思議な感じがする。
「じゃあね、小町。また来る」
「うん、いさなたちにもよろしく」




