ダンス・ウィズ・キャッツ⑦
事前の打ち合わせ通りに、ミオは言った。無条件で願い事を取り消したら、さすがに説得力がないからだ。
神様を都合のいい存在と思われるのも困る、というのはミオ談である。
「読書感想文って……」
戸惑ったような仁菜の声が聞こえてきた。
無理もない。神様からいきなり読書感想文を書けとか言われたら、意味がわからないだろう。
「おまえが通っている小学校の課題だ」
「どうして神様が知ってるんですか」
突っ込まれるのは想定外だった。耀太に聞いたから、とは言えない。
ミオはちょっと考え込んで、
「……それは、神だからな」
説得力があるんだかないんだかわからない。
「すごい! そうか。神様だったら、読書感想文をどう書けばいいかもわかりますよね。教えてくれませんか」
予想外の方に話が転がった。
「……え」
ミオは困ったように氷魚に目を向けた。そんな目で見ないでほしい。こっちも困ってしまう。
しかし、この窮地を乗り越えなければ家に帰れない。早く帰らないと、そろそろ誰かがミオの不在に気づくかもしれない。
考えろ。
確か耀太の話では、仁菜は『吾輩は猫である』を読んでいるはずだ。
氷魚は必死に頭を働かせて、ミオに耳打ちする。
「なるほど。――よし、いいか、仁菜よ」
「神様、あたしの名前も知ってるんですね!」
仁菜ははしゃいだような声を上げる。
「……神だからな」
さっきと同じミオの返しだった。大丈夫だろうか。
「とにかくだ。まずはきちんと借りた本を読むのだ」
「でも、読みづらいです」
「どうして読みにくい?」
「文章とか、台詞……言い回しっていうんですか? とかがわかりにくいっていうか」
確かに、小学生にはとっつきにくいというのはあるかもしれない。
「それはそれで一つの感想だろう。素直に書くといい」
「いいんですか? なんだか文句みたいで気が引けますが」
氷魚は再びミオに耳打ちする。
「ならば、小説を読んでいいと思った箇所はないのか」
「あります。猫の視点っていうのが、面白いと思いました。猫の目から、人間はこう見えているのかなって」
「いいじゃないか。その時点で、立派な感想だ」
「そうですか?」
氷魚はさらにミオに囁いた。
「うむ。あとは具体的に、登場人物の台詞や行動のどこになにを感じたか、というように書いていくと、自然と原稿用紙は埋まるはずだ。読んでいて読みにくかったり、わかりにくい箇所はいっそ飛ばすのも手だな」
「飛ばす? でも、本ってきちんと読まないとだめなんじゃないですか」
どうやら、仁菜は根が真面目な子のようだ。
「そんなことはない。肩肘張らなくてもいいのだ。だが、そうだな。納得できないのなら、時間をおいてから再読するといい。いまは理解できなくても、あとで読んだら理解できるかもしれないだろう」
「なるほど……」
「とまあ、こんなところだな」
「すごいです、神様! なんだかあたしでも書ける気がしてきました」
「それはなによりだ」
「神様、あたし、またここに来てもいいですか」
「来てくれるのは構わないが、今日みたいに、声を返すことはできないかもしれないぞ」
「いいんです。聞いてもらうだけでも」
「そうか。なら、好きにするといい」
「はいっ!」
弾んだ仁菜の声が返ってきて、氷魚もうれしくなる。
「――ああ、そうだ、仁菜」
「なんでしょうか?」
「私の像を磨いてくれて――見つけてくれて、ありがとう」
でなければ、私はいまこうしてここにはいなかったよ、と最後は氷魚にだけ聞こえる声でミオは言った。
――そうか。
仁菜がこの祠を見つけなければ、ミオと氷魚は出会うことがなかったかもしれないのだ。これもまた不思議な縁だ。
自分も仁菜にお礼を言いたいところだが、声を出したら台無しなので我慢する。
「あたしこそ、ありがとうございます。それじゃあ神様、また」
「うむ、気をつけてな」
仁菜の足音が遠くなっていく。
「あー、緊張した」
ミオがふっと息を吐いて、氷魚の肩から下りた。
「おつかれ。がんばったね」
「久々の神様ムーブしてたところに、読書感想文の書き方なんて爆弾を投下されて内心冷や汗だったわ。でもまあ氷魚のおかげでなんとかなったわ。ありがとう」
「役に立てて良かったよ」
氷魚が囁いたアドバイスをミオが話す。仁菜からは氷魚たちが見えなかったので成り立った戦術だ。
「読書感想文の書き方、あれ、氷魚くんのアドバイス?」
こちらに歩いてきたいさなが言った。
「ええ、そうです。おれも苦労した口なので。姉から教わった方法です」
「だからやけに具体的だったんだね」
ちなみに姉は鑑賞したB級映画の感想なんかをツイッターに上げていて、けっこうな数のいいねをもらっている。
「これで、今回の騒動はひとまず解決でしょうか」
かがんでいた奏は立ち上がると、大きく伸びをした。
「そうだね。あとは協会に報告して終わりかな」
「にしても、まさかこういう着地をするとはな」
いさなの足下にいた凍月が苦笑する。
「たまには、こういうのもいいでしょう」
「ああ。おまえ好みの結末かもな」
「視点の問題、でしたね」
祠を見つめながら、奏が言った。
「っていうと?」
「猫から見た人間、人間から見た猫、そして、神様から見たあたしたち。もつれあってたけど、お互い話すことができたから、荒事にならずにすんだ」
「言われてみれば、そうだったね」と氷魚はうなずく。
「他人事のように言ってるけど、ひーちゃんが立役者だよ」
「おれが?」
「そうそう」
「立役者どころか、シゲトラには大根だって怒られたよ」
氷魚が言うと、傍らのシゲトラがふっとニヒルな笑みを浮かべる。
「僕をうならせたかったら、カナカナくらいの演技をするんだね」
そのカナカナだが、隣にいたりする。いまは眼鏡をかけているので、シゲトラは気づいていないようだ。猫にも効くらしい。
「なにもともあれ、これで事件は解決。文化祭を思う存分楽しめそうだね」
奏の言葉に、いさなが反応した。
「文化祭と言えば、氷魚くん、また女装するんだって?」
「ええ、まあ」
「絶対見に行くからね」
どうしていさなは目を輝かせているのだろう。
ともかく――
「せっかくだから、精一杯、お嬢様をおもてなしさせていただきます」
楽しもうと決めたのだ。
「いいな。携帯で写真撮って茉理に送ろうぜ。ついでに沢音にも」
「凍月さん、それはやめてください」
無闇な拡散は控えてほしいと思う。
「氷魚、またってことは、女装が趣味なの?」とミオが言う。
「待って。女装は否定しないけど、趣味ってわけじゃないからね」
「あら、いいじゃない。別に恥ずかしがることなんてないわ」
ミオは、地母神のようなやさしい笑みを浮かべた。
「そうそう。ひーちゃん、似合ってるし」と奏がうなずく。
これはいけない。
氷魚は助けを求めるようにいさなに目を向ける。いさなは力強くうなずいた。
「わたしも、いいと思う」
どうやら、この場に味方はいないようだ。
細い息を吐き出した氷魚の足を、ミオが前足で叩いた。
「さあ氷魚、そろそろ帰りましょう。疲れたから、抱っこしてってよ」
「はいはい。わかったよ」
氷魚はミオを抱き上げる。子猫の身体は軽くて、温かい。
「あー、いいなぁ」
「だってさ、凍月」
いさなが言うと、奏はなにかを察したように腕を広げた。
「いや、飛び込まねえからな?」
「えぇ……」
「だから、俺はマスコットじゃねえっての」
みんなでそんなことを話しながら、氷魚は帰路につく。
新しい家族の温もりを、腕に感じながら。
――なにはともあれ、これからよろしく、ミオ。
ダンス・ウィズ・キャッツ 終
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第十章、終了です。
本当は文化祭の話まで行こうと思ったのですが、区切りがいいので一旦ここで終わりにしました。
別の話を書き終わったら、こちらの十一章を書く予定です。




