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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第十章 ダンス・ウィズ・キャッツ
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ダンス・ウィズ・キャッツ③

「子猫を拾ったんだけど」

 言葉はそれだけで十分だった。

 帰宅した氷魚ひおの腕に中にいる子猫を見た姉の水鳥みどりは即座に車を飛ばしコンビニからキャットフードと専用のミルク、そして猫砂を買ってきた。

 母は取ってあったダンボールで簡易トイレを作成し、姉が買ってきた猫砂を投入する。

 姉と母の息の合ったコンビネーションにより、驚くべき早さで子猫――ミオを迎え入れる準備が整った。

「はい、どうぞ」

 水鳥はキッチンの隅に新聞紙を敷き、食器を置いてキャットフードを開けた。見た感じ、高級そうな猫缶だ。隣に猫用ミルクを添える。普通の牛乳だと、お腹を壊してしまうことがあるらしい。

 ミオは水鳥に向けてお礼を言うように一声鳴くと、まずミルクを飲み、それからキャットフードを食べ始めた。飢えているはずなのに、がっついたりしない。優雅な食べ方だった。

「気品のある猫だ」と父が言う。

「だね」氷魚はうなずいた。なにせ中身は猫の女神様なのだ。

 ――あれ、でも、キャットフードでいいのかな。

 疑問に思わないでもなかったが、おいしそうに食べているのでよしとする。フカヒレとかキャビアを要求されても困るし。

「明日はまず獣医さんに行って健康診断と予防注射ね。その後はホームセンターで専用の食器やちゃんとしたトイレを買いましょう。おもちゃやキャットタワーも必要ね」と母が言った。

 鳴城にペットショップはない。なので、ペット用品をそろえるならホームセンターが頼りだ。にしても、ずいぶん買い込むようだ。おもちゃはともかく、キャットタワーは要るのだろうか。

「先にホームセンターの方がいいんじゃない? 獣医さんに連れていくのにキャリーケースが必要でしょ」と姉が応じる。

「洗濯ネットに入れればおとなしくなるから、大丈夫らしいよ」

 氷魚と父をそっちのけで、母と姉は着々と段取りを整えていく。

「……洗濯ネットって、網よね。入りたくないんだけど。注射って言葉も不穏」

 母と姉の会話を聞いたミオが、食事を中断し、ぼそりと言った。

 声が聞こえたら大変だ。氷魚のように「猫がしゃべった!」ではすまされないだろう。

 氷魚は慌てて姉たちの様子をうかがうが、こちらを気にしている様子はない。

「安心して。私の言葉はあなたにしか聞こえないように波長を合わせている。他の人たちには単なる鳴き声よ」

「器用だね」

 自分にだけは言葉として聞こえるなんて、昔話に出てくる聞き耳頭巾を着けているみたいだ。

「これでも神だからね。それはそうと、網の件、なんとかしてくれない?」

 そう言われて氷魚は困った。

 張り切っている2人をなんとかできるとは思えない。

 しかし、注射を我慢してもらうのだから、せめて洗濯ネットはなんとかしてあげたい。

 おずおずと、氷魚は口を開く。

「あー……。母さん、姉さん。ミオはおれが抱っこしていくっていうのは」

「だめよ! 逃げちゃったらどうするの!」

「そうね。待合室におっきな犬とかいたらびっくりしちゃうかもしれないし」

 かくして氷魚の提案はあっけなく一蹴された。

「ごめん。無理だった」

 ミオには家族の前では普通の猫のように振るまってくれと頼んでいるので、本人の口からいやだと言ってもらうわけにもいかない。

「いまのでこの家の力関係をおおよそ察したわ」

「って氷魚、あんたもう名前をつけたの? ミオって」

 水鳥に言われてどきりとした。反対されたらどうしようと思う。本人申告の名前なのだ。ニーナとかフェリセットとかオフィーリアとかつけられても、ミオは困るだろう。

「あ、う、うん。ミオって、いい名前だと思うんだ。美しい尻尾って書いて、美尾。どうかな?」

「いいんじゃない? 母さんと父さんは?」

「いいと思うよ」「うん」

「よかった」

 すんなり通って、ほっと胸をなで下ろす。

「にしても、まさか氷魚が猫を拾ってくるなんてね」

 水鳥は感慨深そうに言う。

「意外?」

「意外。氷魚は、猫に限らず、動物を飼うのを嫌がってるふうだったから」

「そうかな……?」

「うん。あたしや母さんがそれとなく水を向けても、いい顔をしなかったでしょ。だから、嫌いなんだと思ってた」

「嫌いじゃないよ」

 水鳥にというより、不安そうな顔を見せたミオに向かって氷魚は言う。

 嫌いだったら、そもそもミオを連れてきたりしない。最初にきっぱり断っていた。じゃないとお互いが不幸になるだけだ。

「――そうだね。そうだったみたい」水鳥は微笑んだ。

「おれはともかく、みんなは動物を飼いたかったの?」

 姉と母は顔を見合わせ、曖昧にうなずいた。父も「俺も」とさりげなく言う。

「……そっか。気を遣わせてたんだね。ごめん」

 全然気がつかなかった。てっきり、橘家は動物を飼うことには積極的ではないのだと思っていた。

 でも、違った。自分がそう思い込んでいただけだったのだ。皆の希望を汲めずにいたことを申し訳なく感じる。

「いいよ。とびきりかわいい子を連れてきてくれたんだから」

 水鳥は笑うと、食事を終えて毛繕いをしていたミオの背中をそっと撫でた。

 ミオは水鳥の顔を見上げて、にゃあ、とかわいらしく鳴いた。

 氷魚の胸の中が温かくなる。

 この選択は、間違いではなかった。ミオにとっても、自分たちにとっても。

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