夜の図書館④
「金色の髪の子はあやかしの気配があるわね。で、男の子は――」
氷魚は身体を強張らせた。なんだか、身の内を覗かれている気になる。
「普通の人間……かしら?」
なんで微妙に疑問形なのだろう。不安になる。自分はただの人間なのに。
「この小僧は以前、夢の世界で精神を傷つけられたからな。その影響でもあるんだろうさ」
「なるほど。なんにせよ、変わった組み合わせね」
「俺たちのことはいいだろ。いまはおまえさんだよ。これ以上本を散らかすとなると、こっちも黙っちゃいられねえぜ」
「黙ってられないって、どうするの? 私を倒す?」
「武力行使は望みません。わたしは穏便に解決したいと考えています。お互いが納得できる形で」
いさなは毅然とした態度で言った。
「――そう。でも、悪いけど、やめる気はないわ。協会の規定なんて知ったことじゃない。久しぶりに誰かに頼られたんだもの。期待には応えないと」
「まさか、鳴城中の本をひっくり返す気じゃねえだろうな」
「それも悪くないかもね」
「だったら、ここで止めるしかねえな」
「あら怖い。いまの私じゃあなたには勝てないわね。互いに全盛期には遠く及ばないにせよ」
白い霧は、窓の方に素早く移動する。
「おい、待て!」
凍月が追いかけるが、白い霧はふっと窓に溶けるように消えてしまった。
「いさな! 追うぞ!」
駆けつけたいさながカーテンをのけて窓を開け、外に飛び出す。奏と、少し遅れて氷魚も窓を乗り越えた。
外に出たところで、氷魚はいさなと奏が固まっていることに気づいた。理由はすぐにわかった。
暗闇の中、無数の猫たちがこちらを取り囲んでいたのだ。
三毛猫、黒猫、ハチワレ、白猫、トラ猫、縞猫、中には血統書付きと思われる猫種もいる。飼い猫なのか、首輪をつけた猫もいた。
猫たちは瞳を光らせて、じっとこちらを見つめている。
異様な光景だった。猫が苦手な人なら卒倒しているに違いない。好きすぎても倒れるかもしれないが。
「なんでこんなにたくさんの猫が」
氷魚はたじろいだ。
猫は嫌いではないが、これだけいるとかなり怖い。猫というと春夜と一緒にいた三毛猫を連想するが、目の前の猫たちの中にはいないようだ。
「あいつの神通力だ。近くにいる猫を呼び寄せて、意のままに操ることができる。俺たちと話している間に、ここいらの猫を呼んでいたんだろう」と、凍月が説明してくれる。
「猫の女神は伊達じゃないってことですか」
弱っているみたいなことを言っていたが、さすがは神様だ。
「だとしたら、あたしたちがあの霧を追跡しようとしたら、この猫たちは……」
困ったように立ち尽くしていた奏は猫の群れを見やる。
「襲いかかってくるかもな。あいつの力が完全じゃないせいか、中には気が散っているやつもいるが」
確かに、よそ見をしていたり、のんびり毛づくろいをしている猫もいる。ちょっとかわいい。
「どうします、先輩」
奏に問われたいさなは一瞬考え込み、
「――この子たちを蹴散らして強行突破ってわけにはいかないね。ひとまず退こうか」と言った。
猫たちが入ってこないように窓をしっかり閉め、氷魚たちは児童書コーナーに戻った。
時刻は真夜中の2時を過ぎている。さすがに眠くなってきた。目頭をもんだ氷魚はマットの上にあぐらをかく。奏も近くに座り込む。
「凍月、あの白い霧について知っていることを教えてくれる? 猫の女神って言ってたけど」
立ったまま壁に背中を預けたいさなが口を開いた。
「俺もそこまで詳しいわけじゃねえが、あいつは分霊で、元を辿れば異国の神だよ。名前は……まあ、猫の女神でいいか。あいつも言ってほしくなさそうだったしな」
「その女神様が、どうして鳴城にいるんですか?」奏が尋ねる。
「昔、異国の魔術師によって持ち込まれたのさ。分霊が宿った神像と共にな。その魔術師が鳴城に来た理由は知らん。あいつは教えてくれなかった。布教目的か、偶然か。なんにせよ、魔術師は鳴城に来るなり死んじまった。だいぶ衰弱していたらしい。で、あいつだけが残されたってわけだ」
「心細かったでしょうね……」
「さてな。あいつはけっこう強かだぞ。なんせ人間たちに自分の有用性をアピールして、地域の守り神として祀らせたんだからな」
「有用性っていうと、もしかして猫を集める力ですか」
氷魚の言葉に、凍月はうなずいた。
「そうだ。猫を集めて、鼠どもを追っ払ったのさ。ちょうど厄介な鼠が発生していてな。あいつにとっちゃタイミングがよかった」
「厄介な鼠っていうと、普通の鼠じゃなさそうですね。鉄鼠とはまた違うあやかしですか」
「ああ。旧鼠っていうバケモノ鼠だよ。長生きした動物が変化することがある経立の一種だな。旧鼠には猫の子どもを育てたり、人の娘と契ったりする話もあるが、鳴城に出たのは、人や猫を襲って喰っちまうような凶暴なやつだった。人間の大人くらいの大きさでな、手下の鼠を引き連れて、近隣を荒らしまわったんだ。鳴城に発生するあやかしは霊脈の影響か、強い力を持っていることが多い。その旧鼠も例外じゃなかった。」
人間の大人ほどの大きさの鼠だなんて、とんでもない。猫の女神の口ぶりだと、当時は協会もなかったみたいだし、退治は大変だったのではないか。
だが、影無はいた。あやかし退治や怪異解決のプロフェッショナルだ。
「――そうか。だから、凍月さんは猫の女神と面識があったんですね。当時の影無と共闘したんじゃないですか」氷魚は言った。
「そういうこった。あいつと、猫の協力もあって、俺たちは旧鼠の退治に成功した。人間たちは、猫の女神を祭り上げたよ。祠まで作った」
「でも、忘れ去られたんですよね」
そう呟いたのは奏だった。なにか思うところがあるのか、膝を抱き寄せ、顔には憂いの色がある。
「喉元過ぎればだな。旧鼠の恐怖が薄れれば、人は助けてくれた神のありがたみも忘れる。第二の旧鼠は現れず、かくしてあいつは信仰を失った」
氷魚がネットで調べた鳴城の伝承にも、猫の女神についての話はなかった。つまりはそういうことだろう。
「そしていまに至るんですね」
「だな。誰があいつの祠を見つけたのかは知らないが」
凍月の言葉に引っかかるものを覚えたが、氷魚がそれを指摘する前にいさなが口を開いた。




