夜の図書館②
「ありがとうございます、凍月さん」
「礼はいらねえよ。俺も退屈してたから、ちょうどよかった」
ペンライトで進行方向を照らしながら、凍月を肩に乗せた氷魚は一階をざっと見てから二階へと上がった。凍月がいてくれるからか、暗い館内でもさほど恐怖は感じない。
二階は書架の他に郷土史コーナーや学習室、モニターとDVDプレイヤーが備え付けられたAVコーナー等がある。
中学のとき、図書館を普段使用しないのであろう同級生の男子がその存在を知って、「図書館でAVが観れんのかよ!」とはしゃいでいたのを思い出した。でもって、女子に冷ややかな目で「違う」と突っ込まれていたのだ。AVイコールアダルトビデオを想像するのは男子の悲しきサガだと思う。
一通り二階を巡回したところで、凍月が郷土史コーナーを顎でしゃくった。氷魚は椅子に腰かけて、ペンライトを机の端に置いた。凍月が机に飛び移る。
「小僧、おれに話がありそうな顔をしてたな」
「気づいてくれたんですね」
「ひょっとこみたいな顔だったぜ。こんなの」
凍月は器用に前足で自身の頬を挟んでみせた。
「そ、そうでしたか……」
「冗談だよ。で? いさなの個人情報でも知りたいのか? 身長は169㎝、体重はごじゅ」
「違います違います!」
氷魚は慌てて凍月の言葉を遮った。
本人のいないところで聞いたら、斬られても文句は言えない。
あたふたしている氷魚を見て、凍月はくつくつと笑った。絶対に楽しんでる。
「ちなみにいさなの誕生日は12月10日だ。覚えておいてやってくれ」
こちらは貴重な情報だった。脳裏に刻み込む。
「絶対に忘れません。それはそうと――」
「話は、今回の怪異についてか」
真顔になった凍月が口を開く。
「そうです。凍月さんは、今回の怪異を起こしている『犯人』に心当たりがあるんじゃないかなって」
「どうしてそう思う」
「芝宮小学校の図書室での反応です。凍月さんは妖気と断言しなかった。妖気じゃないならあやかしではない。だったら、正体はなんです? 汚れたものってわけでもないでしょう」
「さあな。俺はただ、古い知り合いの気配に似てるって思っただけだ」
「知り合いですか」
「こう見えても長生きしているからな。知り合いも増えるさ。ひとやあやかし、そして、それ以外も」
それ以外。ひとではなく、あやかしでもない。汚れたものでもないだろう。
ならば――
「それより小僧。おまえ、いさなのことをどう思ってる?」
「なんですか突然」
いきなりの変化球に、氷魚は面食らった。
「いいから」
「――すごい人だって思ってますよ。おれと大して歳も違わないのに、剣の達人で、怪異を解決して。あと、食べる量も半端じゃない」
最後のは冗談のつもりだったが、凍月はくすりともしてくれなかった。
「そういうことは訊いてない」
「って言われても……」
本当は、凍月の訊きたいことはわかっている。鎌鼬の小町にはもっと直球で訊かれた。
いさなのことをどう思うか。
自分は疑いようもなく、いさなに好意を持っている。
でも、それを誰かに言うことはできない。凍月にも。いさなに教えたりしないとわかっていてもだ。
口にした途端、自分といさなの関係性に変化が訪れてしまいそうで、怖いのだ。
氷魚が答えに窮していると、凍月はおもむろに口を開いた。
「――小僧、俺はな、いさなには、普通の幸せもあっていいんじゃねえかって思ってる」
「普通?」
「そうさ。俺みたいなバケモンに影を食われて、刀を振り回すような人生じゃない。普通に生きて、自分で選んだ仕事をして、恋だってして、結婚して、子どもを産んで、育てて、最期には子どもだけじゃなく孫やひ孫に看取られて安らかに死ぬ。そういう、影無では絶対に得られない幸せが、あいつにもあっていいんじゃねえか」
凍月の言いたいことは理解できた。
けど――
「いさなさんは、それを望んでいるんですか? 凍月さんの言う普通の幸せを」
「わからん」
「いまが不幸せだと、いさなさんが言ったんですか?」
「言ってねえ。だが……」
凍月は言葉を濁した。
「だったら――」
「わかってる。決めるのは俺じゃねえ。いさなだ。だが、俺が選ばなければ、いさなには別の生き方もあったんじゃねえかって、最近思っちまうんだ」
重い息を吐き出すようにして言う。
「凍月さんが選ばなければ、いさなさんは春夜さんに殺されていたのでは?」
口にして、改めてぞっとする。星祭りの夜に聞いたいさなの話では、かなり危険な状況だった。紙一重だったのだ。
「その前に俺が春夜を殺せばよかった。いや、そうすべきだった」
だが、凍月はそうしなかった。いさなの気持ちを知っていたからだと思う。いさなの目の前で春夜を殺めることはできなかったのだ。
だって、当時のいさなは、春夜のことを――
「――最近ってことは、前は思ってなかったってことですよね。どうしてです?」
凍月は蒼い瞳で氷魚をじっと見つめる。
「わからないか?」
「わからないです」
本当にわからなかった。
凍月の考えを変えるようなことでもあったのだろうか。見当もつかない。
「おまえは妙に鋭いときもあるのに、基本はぼやっとしてるんだな」
ため息交じりに凍月は言った。氷魚は頭をかく。
「鋭いときがあるかはわかりませんが、鈍いというのには同意します。命に無頓着だって、いさなさんにも怒られましたし」
「そうだったな」凍月は口角を上げた。
「――ここに至るまで、ふたりには、きっとおれには想像もつかないようなことが色々あったんだと思います。命を懸けるようなことも、つらいことも」
でも、と氷魚は一拍置いて続ける。
「凍月さんと一緒にいるいさなさんは、不幸せには見えませんよ」
「――そうか?」
「はい」
「なら、いいんだがな」
ひっそりと、凍月は笑った。
凍月は、今まで一体何人の影無の死を見届けてきたのだろうと、ふと思う。
何回も出会って、別れて。
それは、百年の孤独ではきかないのではないだろうか。
影無の幸を願う凍月自身は、幸せなのだろうか。
伸びをした凍月は、再び氷魚の肩に跳び乗った。
「さて、そろそろ戻ろうぜ。待ちすぎて、2人がろくろ首みたいになってたらいけねえからな」
どうやら、話は終わりのようだ。
凍月を肩に乗せたまま立ち上がった氷魚は階下に向かう。
「凍月さん、ろくろ首にも会ったことがあるんですよね」
「あるとも。あいつら、マジで首が伸びるんだ。花粉症だと大変みたいだぜ。くしゃみの度に首がぐらつくらしくてさ」
「人前でポロリしたら大惨事ですね」
そんなことを話しながら、氷魚と凍月は児童書コーナーに戻った。




