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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第十章 ダンス・ウィズ・キャッツ
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夜の図書館①

 夕飯と入浴を済ませ、湯冷めしないように念入りに髪を乾かした氷魚ひおは、準備をして家を出た。

 自転車をこいで図書館に向かう。

 夜の図書館に来るのは初めてだ。照明が落とされ、周囲はひっそりと静まり返っている。

 図書館の入り口には、誰もいなかった。どうやら一番乗りだったようだ。

 秋の夜風が吹き抜けて、氷魚は首をすくめる。

 年季の入った古い図書館は、獲物を待ち構えるお化け屋敷のようにも見えた。この中に入って1人で夜を明かせと言われたら、多分自分は怖気づいて逃げ出すと思う。

 だが、今回は1人ではない。

「氷魚くん、早いね」

 振り向くと、私服姿のいさなとかなでが歩いてくるところだった。

「張り切って、早く着きすぎちゃいました。心細かったですよ」

「確かに、雰囲気あるね」奏が図書館を見上げて言う。

「隣は市民プールだっけか」

「うん。秋と冬は水を抜いてローラースケート場になるよ。あんまり流行ってないみたいだけど」

 いまいちあか抜けない感じが、いかにも鳴城らしい。

「ローラースケートか。やったことないなぁ」と、奏は呟いた。

 言われてみれば、ローラースケートなんて、そうそうやる機会がないと思う。

「小学生のときに滑ったけど、楽しかったよ。よかったら、今度――」

 流れで言いかけて、思いとどまる。

 ちょっと待て。これではまるでデートに誘っているみたいではないか。

「お、逢引の誘いか。小僧も積極的になったな」

 しかし凍月いてづきは見逃してはくれなかった。姿を現し、氷魚の足をつつく。

「ふーん……」

 いさなが凍てつくような目を向けてきた。軽薄なやつと思われたのかもしれない。

「そ、そんなんじゃないですよ」

 奏と遊びに出かけたら楽しいに決まっているが、下心があるわけではない。それに、『デートする』というのなら、いさなを誘いたい。

 もちろん、そんな勇気は小指の爪の先ほどもないのだが。

「だとさ。いさなはどう思う?」

「――わたしは、別に」

 ふいと、いさなは視線を逸らした。

 ふと思う。

 文化祭の準備で盛り上がる氷魚たちのクラスを覗いたときも、いさなはこんな顔をしていたのだろうか。楽しそうに遊ぶ友達の輪を、少しだけ遠くから見つめるような――

「先輩も一緒に行きましょうよ。みんなで滑ったら楽しいですよ」

 氷魚がかける言葉に迷っているうちに、奏がいさなの腕を引いた。

「え? いや、でも、わたしは……」

「そうですね。みんなで行きましょう」

 ここぞとばかりに、氷魚は奏に乗っかる。

「氷魚くんまで……」

「今時の高校生の男女が揃ってローラースケートって、なかなかの絵面だな。時代を錯覚しそうになるぞ」

「一周回って新鮮なのでは?」

「そうかぁ?」

「――うん。そろそろ図書館に入ろうか。職員用出入り口の鍵を開けてもらってるから、裏に回るよ」

 軽く手を叩いて、いさなは言う。引率の先生みたいだ。

 いさなの後に続き、氷魚と奏は裏口から図書館に入った。

「照明はつけられないから、これを使うね」

 そう言って、いさなはペンライトを取り出した。細い光が館内に走る。

 日中の明るい館内しか知らないので、まるで違う場所のように見える。

 非常灯の緑色の光が、ぼんやりと館内を照らしていた。

 規則正しく並んだ書架の隙間から、いまにも得体の知れない怪物が飛び出してきそうだ。本のひそやかな呼吸の音が聞こえる気がする。

「とりあえず、怪しい気配はねえな」

 鼻をひくひくさせて、凍月が言った。

「おれも平気です」と氷魚は胸をさする。

「先輩、拠点はどこにするんですか?」

「児童書コーナーにしようと思うんだけど、どう?」

 児童書コーナーは一階の角に位置している。靴を脱いで上がるようになっており、子どもに読み聞かせをするための机や椅子もある。ガラス張りの窓から外の様子がわかるので、張り込み場所にはもってこいだ。

「いいと思います」「あたしも賛成です」

 そういうわけで、氷魚たちは児童書コーナーに移動した。靴を脱ぎ、カラフルなジグソーパズルみたいに組み合わされたマットの上に上がる。

 この部屋に入るのはずいぶん久しぶりだ。姉に連れられて来たっけなと思う。姉は読書も好きで、氷魚を児童書コーナーに放り込んで、自分は読みたい本を読んでいた。

 いさなはリュックから小型のランタンを取り出すと、光量を絞って部屋の中央に置いた。ほのかな明かりが部屋を照らす。キャンプみたいだ。

 氷魚の腰の辺りまでの高さの本棚には、絵本や児童書が収納されている。室内は少し肌寒い。

「あ、『はらぺこあおむし』だ。懐かしい」

 奏はかがみこむと、本棚から一冊の本を取った。そのままぺたんと座り込み、熱心に読みはじめる。

 人間と吸血鬼の間に生まれた子――ダンピールである奏は夜目が効く。暗くても気にならないようだ。

 一方で、落ち着く場所を探していたのか、きょろきょろしていたいさなは、子ども用の椅子に腰かけた。

「さすがにちょっと低い」

 そう言って笑う。暗くてこちらには表情がよくわからないと思っているのか、無防備な笑顔にどきりとした。

「ぶっ壊すなよ?」

 机の上に乗った凍月がからかうように言う。

「そんなに重くないから」

 思わず氷魚は笑ってしまう。途端、いさなにじろっとにらまれた。

「本当だよ?」

「大丈夫です。いさなさんはすらっとしてますよ。モデルみたいです」

 お世辞抜きでそう思う。

 力士かなと思うくらいめちゃくちゃ食べるのに体形が変わらないのは、やはり摂取カロリーが魔力に消えているからなのだろうか。

「同意ですね。同性から見てもいいなって思います」

 顔を上げた奏が言って笑う。

「そ、そう? ありがとう」

「でもな、こう見えて体重は」

「凍月」

 いさなは指をチョキの形にすると、ハサミで切る仕草をした。これは、凍月の毛を刈ってやるぞのサインだ。

「お、おう」凍月が顔を引きつらせる。

 もちろん本気ではない。ふたりのじゃれあいみたいなものなのだろう。

 ――だよね。

 氷魚は、部屋の隅に腰を下ろしてあぐらをかいた。

 なんだか不思議な空間だ。

 普通なら絶対に入れない夜の図書館に、いさなと凍月、奏と一緒にいる。お風呂上がりなのだろう、女子2人からはいい匂いが漂ってくる。ちょっとどきどきしてしまう。

 やはり寒かったのか、いさなはリュックからストールを取り出して肩にかけた。そんな何気ない動作も色っぽく見えてしまう。

「――ところでいさなさん、どうやって時間を潰しましょうか」

 胸の鼓動を誤魔化すように、氷魚はいさなに話しかけた。

 時刻は夜8時を少し過ぎたくらいだ。怪異が発生するにしても、もっと夜遅くなってからだろう。それこそ、丑三つ時まで待たなくてはいけないかもしれない。

「百物語」

 いさなは即答した。

「勘弁してください。マジで怖いです」

 ときめきは一瞬で潰えた。

 ただでさえ夜の図書館という異界じみた場所にいるのだ。怖い話を聞いてトイレに行けなくなったら困る。

「そっか……」

 いさなは本気で残念そうだった。どうやら、冗談ではなかったようだ。

「じゃあ、わたしは本でも読んでるよ」

 リュックから分厚い文庫本を取り出し、読み始める。

 奏はと見ると、片っ端から絵本を抜いて読みふけっている。

 話しかけて読書の邪魔をするのは悪い。

 というわけで、暇になってしまった。

 氷魚には携帯端末で時間を潰す習慣はない。

 部屋の外に出て適当に本を選んでくるというのもありかもしれないが、1人で行くのはかなり怖い。

「氷魚くん、どうしたの? トイレに行くならペンライト貸すよ」

 外の様子を伺いながらそわそわしていると、いさなに声をかけられた。

「いや、違います。見回りでもしてこようかなと思って。夜の図書館って、珍しいし」

「おまえ、ビビってたじゃねえか」

 机の上で丸くなっていた凍月が目を開ける。起きていたようだ。

「そうなんですよ。だから凍月さん、一緒に来てくれませんか」

 我ながら名案だ。凍月には訊きたいこともあったのだ。

「はぁ?」

「怖いけど、探検はしたいじゃないですか」

 必死に意をくんでくれと凍月に目で訴えかける。

「よかったら、あたしが付き合おうか?」

 と、絵本を閉じた奏が立ち上がる。

「え……。だったらわたしも」

 なぜかいさなも慌てたように立ち上がった。

「全員でぞろぞろ行く必要はねえだろうが。俺と小僧だけでいいよ」

 凍月はいさなの近くに置いてあったペンライトをくわえ、氷魚の肩に跳び乗った。

 凍月はうまくキャッチしろよと言わんばかりに口からペンライトを放す。氷魚はかろうじて、床に落ちる前にペンライトをつかみ取る。

「ほら。さっさと行くぞ、小僧」

「あ、はい。いさなさん。ペンライト借りてきますね」

 凍月の肉球に頬を押され、氷魚はそそくさと児童書コーナーを出た。

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