僕の図書室を守って③
教員は多忙だと聞く。加えて怪しげな事件の対処など、とてもやっていられないだろう。
「――いいよ、凍月」
いさなが声をかけると、影が怪しく蠢き、凍月が姿を現した。
「よし、出番だな」
机の上に飛び乗った凍月は、鼻をひくひくと動かす。
凍月の外見は犬と猫が混じったような姿で、仕草がやっぱり猫みたいだよなぁと思う。本人に言うと怒るので、口にはできない。
「妖気の残り香……? いや、これは……」
凍月は首を傾げた。なにか考え込んでいるようだ。
「氷魚くんは?」
いさなに問われ、氷魚は胸をさすった。
「なにも感じません」
初夏に起きた猿夢事件の後遺症で、氷魚は近くに汚れたものがいると胸が痛む体質になった。日常生活には支障がないので、特に問題とは思っていない。それどころか、危険を察知できたりもするので、ちょっと便利だと考えている。
「妖気らしきものが残っていたってことは、やっぱりあやかしかな。弓張さんはどう思う?」
「本を荒らすっていうと、鉄鼠が思い浮かぶんですが、鳴城には鉄鼠伝説なんてありませんよね」
「そうだね。それに、先生の言う通りなら、傷つけられた本はなかった」
「そもそも、鉄鼠は人間がありがたがる経典を狙うだろ。なんで小学校の図書室を荒らすんだよ」
「――あの、鉄鼠って名前だけは聞いたことがあるんですが、どんなあやかしなんですか? 鼠なんですよね」
3人は鉄鼠について知っている前提で話しているが、氷魚にはそのあやかしの知識がない。
あやかしについては時間を見つけてネットや本で調べているが、数が多すぎてなかなか把握ができないのだ。
「元は頼豪阿闍梨っていう、平安時代のえらい坊さんだよ。時の天皇に皇子誕生の祈祷を頼まれて、無事に皇子が生まれたんだが、天皇はなんでも褒美を与えるっていう約束を反故にした。で、恨みに思った頼豪は断食行の末に死んだ。その後、鉄の牙を持つ大鼠へと転じたのさ。鉄鼠は手下の鼠を引き連れ、経典を食い破って回ったそうだ。後に鼠の秀倉と呼ばれることになる社に神として祀られて、ようやく鎮まったらしい。――だいぶ省略したが、ざっとこんな感じだな」と、凍月が説明してくれる。
憤死してあやかしになるとは、よほど腹に据えかねたのだろう。恨みの大きさがうかがえる。
「ありがとうございます。だからさっき、いさなさんは先生に本が破られていないか聞いたんですね」
「そういうこと。でも、破かれた本はなかった」
「鉄鼠じゃない、と考えるのが無難だな。まあ、先入観は禁物だが。この間の置いてけ堀みたいな例もあるしな」
あれは、耀太が本家の置いてけ堀を模して起こしていた事件だった。
「それにしても、一体どんな怪異が、どんな目的で本を散らかしたんでしょうか」
氷魚が言うと、いさなは人差し指を立ててくるくると回す。
「部屋の中を調べてみようか。キョーカイ部らしくね」
長すぎて大抵略称で呼んでいるが、氷魚たちが所属している部活の正式名称は『郷土部兼怪異探求部』という。その名の通り、怪異を探求する部活だ。なお、郷土部要素は主に部長の星山が担っている。
「そうですね」
というわけで、図書室の調査が始まった。
といっても小学校の図書室なので、さほど広くない。せいぜいクラス2つ分くらいだろうか。
机の下や本棚の隙間を覗き込んでみたが、これといったものは見つからない。
手分けしたこともあって、10分程度で調べる場所はなくなってしまった。
氷魚たちは再び集合する。
「どう? なにか気づいた点はある?」
いさなの問いに、氷魚は挙手した。
「足跡や手形は見つからないし、ポルターガイスト的な怪異――家鳴りはどうですか。弓張さんもちらっと言ってましたけど」
「可能性は薄いんじゃねえか。机も本棚も動いた跡がないからな」
「そういえば、先生も異常はなかったって言ってましたね。家鳴りだったら、家具も動かすか……」
「本だけを散らかす家鳴りとか」と奏が言う。
「まどろっこしいな。わざわざ本棚から本だけ抜いてぶん投げるのか? それこそ、目的がわからんぞ」
ああだこうだと話し合っていると、ドアが控えめにノックされる音が響いた。宇田川だろうか。
「おっと。俺は引っ込むぜ」
凍月が瞬時にいさなの影に戻る。
「――どうぞ」いさなが余所行きの声を出す。
「失礼します」
ドアを開けたのは耀太だった。深緑色のランドセルを背負っている。
「耀太くん、残ってたの?」
「ええ。まだ読書感想文が終わってないんです。でも、下校の時間になってしまって。それで、宇田川先生がここに奏さんたちがいるって教えてくれたんです」
「もうそんな時間か」奏は腕時計を見て呟く。
「今日のところは引き上げましょうか。時間的にこれ以上は学校側に迷惑だろうし」
言って、いさなは鞄を手に取った。
「わかりました」
全員で廊下に出て図書室のドアを閉める。
「そうだ。耀太くん、夕飯の材料を買って帰ろうか。なに食べたい?」
「今日は『マルオー』でひき肉が安いですよ」
「いいね。ハンバーグでも作ろっか」
「僕はロールキャベツを作りたいです」
「う……。じゃあ、任せる」
もうすっかり2人は家族だなと思う。
奏と耀太の後に続き、氷魚といさなは廊下を歩く。
「あれ、大野さん。どうしたの?」
ふいに、足を止めた耀太が言った。
耀太の目線の先、廊下の角に、こちらを窺うように立っている少女の姿があった。くりっとした目の少女はおずおずと口を開く。
「……あ、その、図書室、どうなったのかなって」
奏は少女と耀太を交互に見やった。
「耀太くんのお友達?」
「クラスメイトの大野仁菜さんです」
「そっか。はじめまして。耀太くんの姉の奏です」
奏が笑いかけると、仁菜は宇田川同様に何度か目を瞬かせた。それから、ぼそりと、
「……はじめまして」
「大野さん、図書室が気になるの?」
「……べつに」
耀太が尋ねても、仁菜は困ったようにもじもじしているばかりだ。なにか言いたいことがあるのだろうか。
見知らぬ男子高校生の自分が話しかけても、警戒を強めるだけだと思う。
氷魚がどうしたものかと悩んでいると、いさなが前に進み出た。かがみこみ、仁菜と目線を合わせる。
「仁菜さんは、本が好き?」
いさなの問いに、仁菜は首を横に振った。
「そうなんだ。どうして?」
「字がいっぱいで、読みにくいから」
「慣れないうちはそうかもね。でも、慣れると、本って面白いよ」
「そうなの?」
「うん。知らない世界をいっぱい教えてくれるからね」
「知らない世界……。おねえさんは、本が好きなの?」
「好きだよ。だから、本が大事にされないと、悲しい」
「あ……」
仁菜ははっとしたような顔になり、うつむいてしまった。どうしたのだろうか。
「仁菜さん。もしかして、図書室で起こったことについて、なにか知ってるの?」
いさながやさしい声で尋ねる。仁菜は激しく首を横に振った。
「知らない!」
いさなの後ろで、氷魚は奏と顔を見合わせた。仁菜は、明らかになにかを隠している。
しかし、いさなはそれ以上追及しようとしなかった。
「――わかった。じゃあ、わたしたちは行くね」
そう言って、職員室の方に歩き出す。いいのかなと思いつつも、氷魚も後に続こうとした。
「待って」と、いさなの背中に仁菜が声をかけた。
「――?」
いさなは振り向く。
「おねえさん、警察じゃないよね。ドラマに出てくるような探偵なの?」
「――謎を解いて事件を解決するっていう意味なら、似たような感じかな。わたしたちは、仁菜さんの学校の図書室が荒らされた原因を調べているの」
「……そうなんだ」
「もし、事件について気づいたことがあったら、耀太くんに言ってくれると助かるな」
「……うん」
控えめに、仁菜はうなずいた。それから踵を返し、昇降口に向かって足早に歩いていく。水色のランドセルを背負っていた。
「このまま行かせちまっていいのか。犯人ってわけじゃねえだろうが、事件についての情報を持ってそうだぞ」
凍月が小声で言う。
「いまはいいよ。話したくなさそうだったし、無理に聞き出すのも悪いでしょ」
「おやさしいこったな」
「相手は小さな女の子だよ。年上がやさしくしなくてどうするの」
「はっ、おねえさんぶりやがって」
「いいでしょ、別に。――さて、わたしは遠見塚の家で地域の文献を調べてみるよ。それじゃあ、今日は解散ね」
今のところ、自分にできることはあまりなさそうだ。とりあえず、帰ったらネットで鳴城の伝承とかを調べてみようと氷魚は思う。




