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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第十章 ダンス・ウィズ・キャッツ
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早すぎた女装

 文化祭を控えた鳴城なるしろ高校の放課後は、お祭り前の活気に満ちていた。みんな準備に余念がない。

 氷魚ひおたちのクラスは、当初の予定通り喫茶店をやることに決まった。

 それは別に構わない。

 しかし――

「なあ、なんで俺たちがメイド服を着なきゃいけないんだ?」委員長のあざみが呟く。

「そりゃ、うちの女子が強いからだろ」桟敷さじきが力なく返した。

 1-5の教室の片隅で、くっつけた机の上にずらりと並べられたメイド服を前にした男子生徒たちは皆一様に戸惑っていた。

 氷魚もその一人である。

 館もののサスペンスに出てくるようなクラシックタイプや、フリルのついたかわいらしいもの、きわどいミニスカメイド服、はたまた明治時代辺りの女給さんの制服みたいな物もある。

 無論、こうなったのには理由がある。

 普通の喫茶店ではつまらない。どうせなら男女のコスチュームを逆にしようと女子たちが言い出して、そのまま押し切られたのだ。

 多数決だと人数が多い男子に分があるし、仕方がないといえば仕方がないのだが――

 氷魚は教室のもう一方に目を向けた。

「この燕尾服、かっこいいね」

「こっちのも捨てがたいよ。『オムレット』のギュスターブ様みたい」

 女子たちがうきうきと執事服を選んでいる。あちらも種類がいろいろある。みんな楽しそうだ。

 ちなみにメイド服、執事服共に、かなでの伝手でレンタルしたものだ。やけに本格的なのも納得である。

たちばなはどうするんだ」

 薊に訊かれて、氷魚はクラシックなメイド服を指さした。

「これが一番無難かな」

「だよなぁ」

「つまらん。どうせなら、みんなでミニスカメイド服を着ようぜ」

 鼻息も荒く言ったのは、バレー部の綿野わたのだった。身長185センチ、体重90キロ越えの巨漢だ。

 鳴城高校は県で屈指のバレー強豪校で、綿野は1年生ながらそのバレー部のレギュラーなのだ。

「シャバがミニスカメイド服とか、ホラーだろ」

 桟敷が突っ込む。

 シャバというのは綿野のあだ名である。イケメンで有名なゴリラの名前からきているらしい。実際、綿野の顔は彫りが深く整っている。

「なぜだ。かわいいじゃないか」

 綿野は真顔で返した。

「まあ、服はかわいいけどな……」

 そういえば、綿野は自己紹介のときに手芸が趣味だと言っていた。絡新婦じょろうぐも沢音さわねと話が合うかもしれないなと思う。沢音は編み物が得意で、あみぐるみを地元の土産物屋で販売しているのだ。

「俺だって、かわいい服を着てみたいぞ。せっかくの文化祭だ。迷惑にならない範囲で、弾けたっていいじゃないか」

 魂のこもった綿野の言葉に、氷魚の心は揺れ動いた。

「――確かに、一理ある」

 言われてみれば、そうかもしれない。お祭りなのだ。守りに入る必要はないだろう。

「おい待て橘。感化されやすすぎるだろ」

 薊が呆れたように言った。

「女子のみんな、楽しそうだしね。おれたちも楽しまない?」

 一度女装を経験しているから、というわけでもないが、メイド服を着るのは楽しそうではある。

「いや、でも、うーん……」

「やっぱり、スカートはちょっとなぁ……」

 桟敷と薊は及び腰だ。

「徳川家光も女装したらしいよ」

 氷魚が言うと、2人は驚愕の表情を浮かべた。

「え、家光って3代目将軍だよな。武士のトップじゃん」

「マジかよ」

「マジだよ。かぶき者のファッションが流行ってたんだって」

「へえ、昔の人も女装したんだな」

「そういや、白拍子しらびょうしって男装だよな。義経の恋人の静御前みたいな」

「そう考えると、異性装って割と歴史があるよね」

「ひーちゃんたち、どれを着るか決めた?」

 3人でそんなことを話していると、背中から声がかかった。振り向けば、満面の笑みを浮かべた奏だ。いかにも楽しくて仕方がないといった感じだった。髪切り通り魔事件後、ショートカットになったが、こちらもよく似合っている。

「うん。おれは――」

「ひーちゃんには、やっぱりこれだよね」

 奏が手に取ったのは、フリルをふんだんにあしらったメイド服だった。前向きな気持ちにはなっているが、かわいさ全振りのふりふりはさすがにひるんでしまう。

「いやいや、おれには似合わないって。変身に失敗した残念な魔法少女みたいになるよ」

「そんなことないよ。ひーちゃんスタイルいいじゃん。この間だって――」

「この間?」

 耳ざとく聞きつけた桟敷が割って入ってきた。

「な、なんでもない」

 当然だが、囮作戦で女装したことは、クラスのみんなには内緒だ。

「そうそう。あ、桟敷くんにはミニスカが似合いそうだよね。足が長いし」

「やっぱり、弓張ゆみはりさんもそう思う?」

 奏が言うと、桟敷は自分の足を叩いてみせた。実際、桟敷の足はすらっとしている。

「うん。間違いないよ。あたしが太鼓判を押す」

「よっしゃ。俺はミニスカに決めた! すね毛も処理する!」

 桟敷はミニスカメイド服を手に取り、勇者のように高々と掲げた。

「それでこそだ、桟敷! 俺もミニスカになるぞ!」と綿野が続く。

「いいね。青春だね」

 奏はにこやかに笑った。いい笑顔だった。

「というわけで、ひーちゃんも、さ」

 ふと思う。

 奏は、こういう学校生活に飢えていたのかもしれない。みんなでわいわい、気兼ねなく騒げる、何気なくも貴重な日々だ。

 だったら、自分も――

「――決めポーズの練習をしておいた方がいいかな」

 だとすると、凍月いてづきがマスコット枠だろうか。

「ふふ。そうだね。――っと、失礼」

 奏はスカートのポケットから携帯端末を取り出し、教室から出ていった。

「彼氏だったりしてな」

 急にテンションが下がった桟敷がぽつりと言った。

「いるのかな、彼氏」と薊がドアの方を見つめる。

「そりゃ、いるんじゃないの。めっちゃかわいいし、芸能人だし」

 そして、2人は揃って氷魚に目を向けた。

「そこんとこどうなんですか。橘マネージャー」

「――さあ、どうなんだろうね。あとおれはマネージャーじゃないから」

 夏、沢音のお屋敷で彼氏はいないと奏は明言していたが、自分が教えることではないだろうと思う。

「でも橘、弓張さんと仲いいじゃん。ひーちゃんとか呼ばれてさ」

「そうそう。俺もカナカナにゆーちゃんって呼ばれたい」

 桟敷が言って、薊は力強くうなずく。

「仲良くなる秘訣は?」

「って言われても」

 奏とは、文字通り一緒に死線を潜り抜けた中だ。

 夏休み、沖津おきつの隠れ家での冒険は奏との距離が縮まった理由の1つではあると思うが、まさかバカ正直に言うわけにもいかない。仮に話したとしても、ほら吹きと思われるのがオチだ。

 あとは女装、とか?

 奏が氷魚のことをひーちゃんと呼ぶようになったのは、間違いなく女装がきっかけだと思う。

 もっとも、これも言うわけにはいかない。

「おれが地味だからじゃないかな。変に気を張らなくて済むから」

「地味? いやおまえ、最近はずいぶん派手だろ。見た目じゃなくて、素行的な意味で」

「そうかな」

「そうだよ。言っちゃ悪いが、入学したばっかりのときの橘は、ほんと存在感がなかったからな。同じ中学出身って言われても、ぴんとこなかったし。それが今はどうだ。あのカナカナに仇名で呼ばれてるんだぞ。しかもかわいい先輩と同じ部活って。どうなってるんだよ」

「でもさ。橘って、顔つき変わったよな。前はもっとぼんやりしてる感じだったのに」

「変わった自覚はないけどね」

 曖昧に笑ってやり過ごそうとしていると、奏が戻ってきた。

「部活関係で先輩からの呼び出しだった。ひーちゃんも、いい?」

 奏はそれとなく目配せしてきた。氷魚はうなずく。

「――うん」

「じゃあ。ごめん、みんな。今日はこのまま帰るね。お先に失礼します」

「おれも、先に帰るよ」

 これ幸いとまだなにか言いたげな薊と桟敷に背を向けてリュックをつかみ、氷魚は奏と連れだって教室を出た。

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