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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第十章 ダンス・ウィズ・キャッツ
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読書感想文の憂鬱

 どうしてこの世界には読書感想文なんてものがあるのだろう。

 放課後、小学校の教室で、大野おおの仁菜になは机の上の原稿用紙をにらみつけた。

 秋の読書週間で出された宿題だ。

 図書室でなんとなく選んだ本のあらすじを書き写し、ネットで検索したそれっぽい感想を添えて1日で提出したら「やり直し」と先生に突っ返されてしまった。

 教室には他にも何人か自主的な居残りがいて、みんな仁菜と同じように悩んでいる。

 そろそろ下校の時間だ。終わらなければ家でも書かなくてはいけない。宿題が増えるのはいやだ。

 やっぱり、借りた本をきちんと読んでから書くしかないだろうか。

 タイトルに猫とついていたので深く考えずに借りた『吾輩は猫である』だが、数ページでめげてしまった。

 小学校高学年からと書かれていたが、小説を読み慣れていない仁菜からすると、とっつきにくいことこの上ないのだ。吾輩なんて一人称、日常で聞いたことがないし。

 ろくすっぽ読みもせずに感想文を書くなんて、できはしないのはわかってる。

 だが、仁菜は活字を追うのが苦手だ。

 マンガならともかく、1ページに文字がぎっしり詰まった小説は読む気になれない。

 ユーチューブで動物の動画でも観ている方がずっと楽しいと思う。猫の動画なら、何時間観ていても飽きない。あまりタブレットを使いすぎると母に怒られるので、そんなに観てはいられないけど。

 母の真似をしてため息をつき、仁菜はさりげなく隣の机に目を向ける。

 鉛筆を握りしめた男子が、真面目な顔つきで原稿用紙と格闘していた。

 弓張ゆみはり耀太ようた。この前転校してきた男子である。

 転校生という強化魔法を抜きにしても、耀太はかっこいいと思う。

 顔立ちはどちらかというと幼い方だが、時折見せる陰のある表情は、クラスの男子の誰よりも大人っぽい。でもって、足が速いのだ。

 この間の秋の運動会では大活躍だった。応援に高校生らしき人たちが何人か来ていて、どういう関係なのか気になったけど、訊けずじまいでいる。

「大野さん、どうかしたの?」

 仁菜の視線に気づいたのか、耀太が話しかけてきた。

 どうかしたの? だって。他の男子なら「なんだよ」とか「見てんじゃねーよ」なのに。

「あ、ええと、弓張くんも読書感想文が苦手なんだなって。勉強、得意そうなのに」

 転校生というのは、大体みんな運動が得意で勉強がよくできそうに見えるから不思議だ。

「ぜんぜん。前のところより進んでいるから、追いつくのが大変だよ。読書感想文なんて、書いたことないし」

 そう言って、耀太は机に置いてある本の表紙をなでた。

『はてしない物語』というハードカバーの本だ。赤銅色の装丁は素敵だがページ数が多そうで、感想文以前にまず読むのが大変そうだと思う。小学5年生が読めるのだろうか。

「岩手から来たって言ってたよね。岩手の、どこ?」

「遠野だよ」

 仁菜も知っている地名だった。

「テレビで観たけど、遠野って、妖怪の話がいっぱいあるんだよね。――会ったこと、ある?」

 冗談めかして訊いてみた。

 耀太は一瞬考えるふうをして、

「――いや、ないなぁ。大野さんは妖怪が好きなの?」

「アニメに出てくるようなやつなら。現実でいたら怖いかも」

「そうなんだ」

 耀太はひっそりと笑う。ドラマで大人が見せるような笑い方だった。

「あ、そうそう。怖いといえば、鳴城なるしろの置いてけ堀って知ってる? 弓張くんが転校してくる前に話題になってたの。ザリガニがよく釣れる場所」

「……ああ、うん。聞いたことあるよ」

 気のせいか、耀太の顔が若干引きつったように見えた。ひょっとして、怖い話が苦手なのだろうか。

 少しだけ、からかってみたくなった。

「うちのクラスでも、薊くんが実際に行ったらしくってね。ホントに聞いたんだって。『おいてけ』っていう、声」

「へ、へえ。なんの声だったんだろうね」

「ザリガニのお化けか、それこそ、妖怪かもよ。結局、高校生のお兄さんに頼んで置き去りにしたバケツを取ってきてもらったらしいけど――」

 そこまで話したところで、「下校の時間です」と教室に入ってきた先生が言った。女の先生で、普段はやさしいのだが国語に関してはやたらと厳しい。

「提出期限にはまだ余裕があるので、焦らないで大丈夫ですよ。では、気をつけて帰るように」

「じゃあ、帰ろうか」

 耀太はほっとしたように立ち上がった。

 残念、もうちょっと話していたかったのに。


 帰り道、仁菜はいつもの通学路から脇道に逸れた。

 帰ったら読書感想文と戦わなくてはいけない。それを考えると、少しでも家に帰る時間を遅らせたかった。

 夕暮れの中、人気のない小道を歩く。

 滅多に通らない道なので、なんだか新鮮だ。

 不意に、右の茂みから物音がした。目を向けると、トラ猫が茂みの奥に消えていくのが見えた。

 仁菜はにんまりと笑みを浮かべる。

 ――野良猫かな。触らせてくれるかな。

 外で猫を見かけると、つい手を出したくなってしまう。つれなく逃げられることも多いのだが、中には触らせてくれる子もいるのだ。

 家に帰れば飼い猫のチャーチがいるけど、あまり触らせてくれないし、そもそも猫はいくら触っても飽き足りない。よその子からしか摂取できない栄養素もあるし。

 仁菜はトラ猫の後を追うことにした。

 仁菜の首辺りまである茂みをかき分けて進むと、ほどなくして囲いに覆われた場所に出た。奥まったところに、神棚みたいなものがある。

 おじいちゃんの家にある神棚と比べると、古ぼけているし、微妙に形も違う。

 ――こういうの、祠っていうんだっけか。

 おじいちゃんから聞いたことがあるが、よく覚えていない。神さまをお祀りしているのだったか。

 まあいい。いまはそれよりも猫だ。

 仁菜は周囲を見渡すが、トラ猫は影も形も見えない。見失ってしまったらしい。

 残念だ。

 仕方ない、帰ろうかと踵を返しかけた仁菜は、祠に目を留めた。

 神さまをお祀りしているということは、神社みたいにお願いをしてもいいのだろうか。

 近づいてみる。

 賽銭箱は見当たらない。お願いするにはちゃんとした作法があったはずだが、やっぱりよく覚えていない。

 とりあえず柏手を打った仁菜は目を閉じた。

 ――なにをお願いしようか。あ、そうだ。

「この世界から読書感想文を、……いえ、いっそ、本をなくしてください」

 本がなくなれば読書感想文もなくなる。

 とっさの思いつきだ。無茶苦茶なお願いで、叶うはずがないのはわかっている。冗談のつもりだった。

 こんなお願いなんてしてないで、きちんと本を読まなくては。

 目を開ける。

「……ん?」

 祠の奥で、なにかが光った気がした。顔を近づけると、格子状の扉の向こうに小さな猫の像が見えた。招き猫、ではない。

 よくよく目を凝らすと、猫なのは頭だけで、身体は人間のものだ。右手に赤ちゃんをあやすためのガラガラみたいな物を持っていて、左手にはライオンの頭がついた盾を掲げている。

 不思議な像だ。

 鈍色の像は、汚れて錆が浮いていた。

 扉を開けた仁菜は像を手に取った。大きさは10センチほどだろうか。

 ハンカチを取り出し、像を拭う。錆はとれなかったが、少しはきれいになった。

 像を元の場所に戻し、扉を閉める。

『――感謝するぞ、人の子よ』

「……え?」

 どこからか、声が聞こえた気がした。

 周囲を見渡すが、誰もいない。ふと気配を感じて後ろを振り返ると、さっきのトラ猫がいた。目をまん丸くして仁菜と祠を見ている。

 猫には表情がないという人もいるが、そんなことはない。うれしいときはうれしそうな顔をするし、びっくりしたときには驚いたような顔もするのだ。

 今、仁菜の目の前にいるトラ猫のように。

「もしかして、あなたがしゃべったの?」

 仁菜が話しかけると、トラ猫は文字通り飛ぶような勢いで逃げていった。

「――?」

 なんだったのだろう。

 気にはなるが、さすがに追いかけるわけにはいかない。そろそろ暗くなってきたし、帰らなくては。

 そうして、仁菜は祠を後にした。

 大変お待たせしました。十章開始です。

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