あやかしのサガ㉑
「それで、青葉さんはどうなったんですか?」
対面の奏がいさなに尋ねる。
「少しの間、療養所で治療するって。深刻な状態ではないみたいだけど、念のためね」
「大事にならなくて、よかったですね」
「ええ、そうね」
いさなが青葉を撃退した翌日の放課後である。氷魚たちは、アンジェリカに集まっていた。
いさなの隣に座っている氷魚は水を一口飲んで、
「いさなさんの傷の具合は、どうですか?」と、訊く。
「だいぶよくなったよ。あの後、白鷹さんが鎌鼬の薬を持ってきてくれたんだ。塗ったら、効果てきめん」
そう言って微笑むいさなの顔色は、確かに昨日よりよくなっている。さすがに入院が必要なのではと思ったが、一安心だ。
「先輩、あの青葉さんに勝つってすごいですね。今度、あたしに稽古をつけてくれませんか」
「素手だったら、わたしより絶対弓張さんの方が強いでしょ」
「いえ、あたし、慢心があったと思うんです。なので、鍛えなおしたいなぁと。ぜひぜひお願いしたいです」
奏は鼻息も荒く、いさなに迫る。
「――う、うん。まあ、わたしの稽古にもなるから、いいけど」
「やった! 約束ですよ。じゃあ、次の休みの日に!」
「はりきってるね……」
「そういえば、小町と白鷹さんはどうしたんですか?」
2人の会話が途切れたところで、氷魚は口を挟んだ。
「昨日のうちに帰ったよ。これ以上店を閉めておけないからって。青葉さんが復帰するまで、2人で切り盛りするみたい」
「そうだったんですね」
小町に挨拶をしそびれてしまった。髪を切ってもらう約束も果たせないままだ。
「いらっしゃいませ。おひとりですか?」
「あ、いえ。待ち合わせです」
そんなやり取りが聞こえて、入り口に目を向ければ中条がこちらを窺っている。一旦家に帰ったようで、私服に着替えていた。
「中条さん、こっちこっち」
腰を浮かせた奏が手を振る。
「こちらから指定したのに、待たせてしまってごめんなさい」
奏の隣に座った中条は、そう言って頭を下げた。
今日、氷魚たちがこうして集まっているのは、中条に話があると言われたからだった。
「いいよ、気にしないで」と奏が笑う。
コーヒーを注文した中条は、「あの、弓張さん、怪我は……」と、遠慮がちに奏に話しかけた。今日はみんな誰かの怪我の心配をしているなと氷魚は思う。
「もう平気だよ。ほとんど治ったから」
奏が言うと、中条は眉をひそめた。
「――え? でも、切られたんだよね。……怪異、に」
まだ一週間も経っていないのに、そんなにすぐに治るものなのか。中条はそう考えているのだろう。
「まあね」
そこで、中条の頼んだコーヒーが運ばれてきた。
「それより、中条さんの話って?」
奏が促すと、中条はコーヒーカップに視線を落とした。
「あなたたちに、謝りたいと思って」
中条は自分を落ち着かせるように、コーヒーを一口飲む。それから、思い切ったように、
「――今回は、わたしのせいで皆さんに迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした」と言って深々と頭を下げる。
「中条さん……」
頭を上げた中条は、奏に目を向けた。
「聞いていると思うけど、弓張さんが髪を切られたのは、わたしが怪異に頼んだからなの。……本当に、ごめんなさい。わたしは、わたしには無いものを全部持っている弓張さんが妬ましかった」
「そっか」と、奏はどこか寂しげに笑った。
「わたしがしたことはどうやっても償えないし、許してほしいなんて虫のいいことも言えない。ただ、謝りたかったの。それがけじめだと思ったから」
「なるほど、償いか」
言って、奏は首の包帯をさすった。
「あるよ。償いの方法」
「……え?」
「ただし」と、奏は人差し指を立てる。
「そのためには、中条さんにあたしの秘密を知ってもらう必要がある。知ったら後には引き返せないし、知らない方がよかったと思うかもしれない。中条さんの常識が揺らぐような、そんな秘密」
氷魚はいさなと顔を見合わせた。
奏の秘密とは、まさか――
「常識が揺らぐ……?」
「うん。あ、フェアじゃないから先に言っておくけど、あたしは中条さんを恨んでないよ。その点は安心して。そういう意味では、償いは必要ないから」
「でも……」
「嫌味に聞こえることは百も承知で言うけど、あたしは、妬まれることが結構多かったんだ。あからさまな態度を取る人もいたし、影で悪口を言う人もいたし、それをわざわざあたしに言う人もいた。最初はつらかったけど、なんとか慣れたよ」
「だとしても、つらいのに変わりはないよね」
「そうだね。でも、あたしは決めたんだ。負の連鎖はどこかで断ち切らなきゃ。だから、あたしは誰も恨まない」
「そのために、弓張さんがつらい思いをしても?」
「どうってことないよ。あたしは図太いからね」
「……弓張さんは、やっぱりすごいな」
「ありがと。で、どうする?」
中条はコーヒーカップを持ち上げ、口に運びかけ、結局一口も飲まずにテーブルに戻す。
しばらくの間、中条は揺れるコーヒーを見つめていた。
やがて、顔を上げて奏に目を向ける。
「聞かせて。弓張さんの秘密」




