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この怪異は誰のもの?  作者: イゼオ
第九章 あやかしのサガ
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あやかしのサガ⑳

 奏の発言を小町と書いていた部分の誤字報告、ありがとうございます。修正しました。何回か読み返しているんですが、どうしても見落とす部分があるのがなんとも……。

「右に曲がってくれる?」

「わかりました」

 いさなの誘導に従い、廊下を歩く。こんなに奥の方まで来たのは初めてだ。やはり、相当広い。廊下を雑巾がけするだけでも大変そうだ。

「ここが、わたしの部屋」

 奥まった場所にある部屋の前でいさなは言った。

「開けますね」

 いさなを片手で支え、氷魚ひおは襖を開ける。

「照明のスイッチは右手の方にあるよ」

 言われるままに手で探り、スイッチを入れる。

 部屋が明るくなった。

 簡素な畳敷きの部屋だった。年季の入った箪笥に、机と椅子、それに本棚以外、ほとんど物がない。

 昔からこうなのか、それとも、いさながこの家を出ていってからこうなったのか。どことなく、物寂しい印象を受ける。

「とりあえず、下ろしてくれるかな」

「はい」

 氷魚はそうっとかがみこむ。背中から下りたいさなは、椅子に横向きに腰かけ、細い息を吐き出した。

「ありがとう。助かった。自分の足で歩いてくるのはつらかったかも」

「少しでもお役に立てたのなら、よかったです」

「――さっきも言ったけど、氷魚くんは足手まといなんかじゃないよ」

「でも……」

 いつも守られるばかりだ。自分には怪異と戦う力はないし、身に付けられるとも思えないが、不甲斐ないという気持ちはどうしても消せない。

「直接戦うだけが力じゃないから」いさなは微笑む。

 どういう意味だろう。

「――あ、汚れたものを察知することとか?」

 それなら、かろうじて特技といえるかもしれない。

「まあ、そういうことにしておこうか」

 そこで、襖越しに「入ってもいいかな」という声がした。

 いさなが「どうぞ」と返すと、救急箱を持った道隆みちたかが入ってくる。

「それじゃあ、きちんと手当てしようか」

「うん。お願い」

 救急箱を畳に置いた道隆は、中から包帯を取り出した。

「おれ、外で待ってますね」

 背中の手当てをするのに、自分がいたら障りがあるだろう。氷魚はそそくさと部屋の外に出た。

 廊下を歩き、庭を見渡せる縁側に腰かける。まん丸の月が浮かぶ、きれいな夜空だった。

「小僧、お疲れだったな」

 不意に、後ろで声がした。振り向けば、凍月いてづきがとことこと廊下を歩いてくる。

「凍月さん。いや、おれは何も……」

「んなこたぁない。台風娘のお守に、いさなの運搬。大仕事じゃねえか」

 凍月は、氷魚の横にちょこんと座る。

「言い方」と氷魚は苦笑した。

「なぁ小僧。おまえ、小娘のことをどう思ってるんだ」

「小娘って、弓張ゆみはりさんですよね。急にどうしたんですか」

 質問の意図がわからず、氷魚は首を傾げた。

「いいから」

 凍月に促され、氷魚は少し考えて、

「友達だと思ってます」と答えた。

「それだけか?」

「あとは――すごいひとだなと」

「すごいって、どうすごいんだ」

「そうですね。弓張さんの演技って、胸に来るんです。彼女が演じている登場人物の心情が、痛いほど伝わってくる。幸せな場面ではこちらも幸せになるし、つらい場面では応援したくなる。困難を乗り越えた時は、こちらも力をもらえた気になるんです。よし、自分も頑張ろうっていう力を、周りの人間に与える。それって、すごいことだと思いませんか」

「ああ。だが、そりゃ別に小娘の専売特許でもないだろ」

「え?」

「女優とかそういうのは関係ない。誰にだってできるはずだ」

「それは、そうかもしれませんが……」

 決して簡単なことではないと思う。少なくとも、ある程度のカリスマが必要なのではないか。

「おまえだって、自分が知らないところで誰かに力を与えているかもしれないぞ」

「おれが? ……いや、どうかな」

 自覚はまったくない。

「まあ、いいさ。で、小娘はおまえにとって憧れの存在だったのか?」

「ファンではありますね」

「直接会ってみて、どうだったんだ」

「すごいっていうのは変わりませんけど、あんなに親しみやすいひとだったのは、意外でした」

 テレビの向こうにいた奏は、実際に会って話してみると、自分と同じ地続きの上にいる、自分と同じ高校生だった。意外だったが、嬉しくもあった。

「そうか」

「弓張さんが、どうかしたんですか?」

「いいや、ちっと訊きたかっただけだ」

 凍月は、それ以上説明する気はなさそうだ。なら――

「凍月さん、おれも訊いていいですか」

「なんだ」

 いさながいない状態で凍月と話せる機会など滅多にない。今のうちに、はっきりさせておきたいことがある。

「いさなさんって、春夜しゅんやさんが好きだったんですか」

 単刀直入に、氷魚は言った。

「やっぱり、わかるか」

「いさなさん、星祭りの夜の日に言ってましたからね。雅乃みやの『も』春夜が好きだったんだと思う、って」

「無意識だったんだろうな。あいつは自分の失言に気づいてない」

 いさなは、自分の気持ちに蓋をしているのかもしれない。

 自分が好きだった相手にいとこを殺されたのだ。当時小学生だったいさなの受けた衝撃は、いったいどれほどのものだっただろう。

「今のいさなさんは、春夜さんを……」

 凍月は、ゆるゆると首を横に振る。

「俺にもわからん。単純に恨んでいるだけっていうんだったら、まだ楽なんだろうが。……簡単には、割り切れねえのかもな」

「そうですか……」

「だから、あとはおまえ次第だ。これからも気張れよ――氷魚」

「それって、どういう……? って、凍月さん、おれの名前を」

 凍月はにいっと笑ってみせると、大きく伸びをして、悠々と歩き去っていった。

 見送ってから、考える。

 いさなは、もし春夜と再会したら、どうしたいのだろうか。

 そして、自分には何ができるのだろうか。

 おまえ次第と凍月は言ったが、どうすればいいのかわからない。少なくとも、今は、まだ。

 氷魚は再び夜空を見上げる。

 先ほどと変わらぬ大きくて丸い月が、煌々と輝いていた。

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